「一つ発見したことがあるのだが、朝食をしっかり食べた日はその日一日を通して空腹を感じにくい気がするのだ」
「まあ、そういうこともあるのかな」
「つまり、朝の段階で空になるまで搾り取っておけば、おまえのだらしない下半身も少しはマシになるのではないかと思ってな」
「それで、こんなことになってるわけだ」
「うむ。妙案だとは思わぬか?」
目が覚めたとき、何故か僕はすっかり裸に剥かれていて、僕の上にはファリンがまたがっていて、すでにそれがはじまっていた。
慣れというのはすごいもので、ファリンは本当に朝ご飯でも食べるような自然さでその行為に励んでいる。
あの初々しいファリンがもう見れないのは寂しいが、こうしてすっかり爛れてしまった彼女を見るのもそれはそれで乙なものである。
別に僕が動く必要がないなら、ひとまず好きにさせておくか。
「ぬっ……!? んくっ……こ、こらっ……!」
――と、急にファリンの顔が朱に染まり、身悶えるように僕の上でその体を震わせはじめる。理由は単純で、僕が気の緩みからうっかり暴発させてしまったからである。
「きゅ、急に出されたら、その、気持ちのコントロールが……んんっ」
何か琴線に触れるものでもあったのか、ファリンの声が先ほどまでとは打って変わって甘やかなもの変容する。昨日のミュリエルの話ではないが、やはり僕の体液には何か特殊な力でも宿っているのか。
「エド……あっ、ダメっ……ご主人さまぁ……!」
反射的に下から軽く突き上げているうちに、すっかりいつものファリンに戻ってしまった。まあ、やはりこちらはこちらで愛らしい。たまには朝からしっかり頑張るのもいいだろうと暢気に考えながら、僕はすっかり脱力してしなだれかかってくるファリンの体を優しく抱きとめる。
※
「屋敷は自由に出入りできるように使用人に伝えてあるから、今後はいつでも好きに使ってくれていいわ。わたしもいつ本格的に忙しくなるか分からないし、そうなったら研究所に詰めっきりになっちゃうかもしれないしね」
親切にそう言ってくれるミュリエルにいったん別れを告げ、僕たちは改めて東の森を目指して出立した。
街門で近衛術師隊が検問を設けていることを知ったときは少し焦ったが、それについては昨日と同様にファリンの氷術をあてにさせてもらうことにした。突破自体は容易だったが、考えてみれば王室的には昨日から王女殿下が失踪した状態になっているわけで、日夜必死にその行方を捜索している近衛術師隊の境遇には少しばかり同情してしまうところもある。
「わたし、こんなふうに王都の外に出るのは初めてよ」
一方、東の森を目指して進む道中のアリスは、これまでに見せていた少し影のある様子とは打って変わって楽しそうにしていた。
彼女は彼女で退屈な王宮暮らしに飽き飽きしていたのかもしれないし、あるいは王位継承権を持たないことや嫁ぎ先が決まっていることなど、王室絡みの面倒ごとに鬱屈したものを抱えていたのかもしれない。
当初は三日程度とはいえ野宿を挟んだ旅路に王宮育ちのアリスが耐えられるのかという一抹の不安があったが、意外にも彼女はサバイバルができるタイプの王女さまだった。野宿をする際も積極的に薪集めに奔走し、逆に目の届かないところで怪我でもしてないかこちらが不安になってしまった。
さらにアリスは初級の魔術も使えるようで、薪を集めたあとは彼女自身が魔術で火を起こし、さらには野兎なども魔術を利用した罠で捕まえて、その場で綺麗に捌いて見せるという離れ業を披露してくれた。
あまりにも素人離れしたその手腕に、初日の夕食が終わるころには僕の中でこの少女が本当に王女さまなのかだいぶ疑わしくなってきていた。
「現国王……ルドルファス・ディトヴァ・ジェノア=レリンは、正確にはわたしの父ではないの」
野兎の肉と干し肉の茹で汁で作ったリゾットを器に盛りつけながら、ポツリとアリスが言った。
「本当の父は現国王の兄……ラルスベルク・ディアイン・ジェノア=レリン。わたしが十四歳になるころに病で亡くなったわ」
「では、そのあとで王弟の養女になったということか?」
リゾットの盛られた器を受けとりながら、ファリンが訊く。
まだ日は落ちきっていないが、西のほうに沈みかけた太陽が照らす光はごくわずかなものとなり、今は焚火の橙色の明かりだけがファリンとアリスの白い肌をぼんやりと染め上げている。
「ええ、そのとおりよ。ジェノア=レリン王家の成人は十五歳。当時のわたしに王位継承権はなかったの」
「母はどうしたのだ?」
ファリンが訊きにくいことをズバッと聞いてくれる。こういうとき、人間の常識に疎い彼女は頼りになる。
「母はもっと早くに亡くなっていたわ。それに、父も決して体の丈夫なほうではなかったから、小さなころからわたしが元気に育つようにって、狩りや野営に連れて行ってくれたり、時には王国軍の行軍訓練に同行させてくれたりしたの。わたしはそういう男の子みたいなことは好きじゃなかったけれど、お父さまといろんなことを体験するのは楽しかった」
なるほど。アリスが妙にサバイバル術に長けているのは、親の教育の賜物だったのか。それにしたって行軍訓練にまで同行させるのは少しやりすぎな気もするが、結果として先王の目論見どおりにはなったのだろう。
「でも、今回は今のお父さんのために東の森に行くんだよね?」
いちおう、確認のために訊いておく。
アリスが何の目的で急に身の上話なんかをはじめたのかは分からないが、少なくとも最初に聞いた時点では病に倒れた父のために東の森に行きたいという話ではなかったか。
「ふふっ……違うわ。わたし、そんなことは言ってない。そういうふうに聞こえるようには言ったけど」
アリスがまだほとんど手のつけられていない自分の器を見下ろしながら、自重的な笑みを浮かべて言った。
「お告げはこう言ってたわ。『王国に夜明けが来る。そのはじまりは王弟が病に伏したとき。東の森に棲まう予言の魔女を尋ねなさい。さすればあなたの前に光の道があらわれ、王国の未来を照らすことでしょう』……」
「……お父さんが病に倒れたのは、きっかけにすぎないってこと?」
「ええ。それに、本音を言えば父と思っているわけでもないわ。表向きは養女ということになってるし、そう言ったほうが当たり障りがないからそう言ってるだけ。でも、あなたたちには本当のことを伝えておきたくて」
そう告げるアリスの横顔は、いつの間にかすっかりもとの何処か影のある顔に戻っていた。どちらが好きかと聞かれれば、やはり僕は焚火を起こしたり野兎を捌いていたときのあの明るいアリスのほうがいい。
「まあ、僕は別に君がどんな理由を抱えていてもかまわないけどね」
冷めてきたリゾットを匙ですくって口の中に含みながら、僕が言った。
「君の力になれればそれでいい。最初から僕の目的はそれだけさ」
「エドワルド……」
「ぬう!」
アリスが潤んだ瞳で見つめてきて、その一方でファリンがもの凄い形相で睨みつけてくる。
考えてみれば、これからしばらくは三人で肩を寄せ合いながら寝食をともにしていくわけで、考えるまでもなく、これは僕にとってかなりの修羅場になるのではなかろうか。
ひとまず僕はこの先に待つ過酷な現実から目を逸らしつつ言葉を続ける。
「それに、僕たちもたまたま東の森に用ができたところだしね。君が秘密を明かしてくれたから僕も明かすけど、実は僕も呪いをかけられてるんだ。その発生源が東の森にあるらしい」
「そうなの? なんだか運命的ね」
「その『予言の魔女』が呪いのもとだったりしたから、笑っちゃうんだけどな」
「ふふ、本当ね」
もうその時点で、アリスはクスクスと笑っていた。
その姿を見てかファリンのフラストレーションも限界に達したようで、バネみたいにビョンッと膝の力を使って頭から僕に突進してくる。いてえ。
「おい、貴様。この男に色目を使うのはかまわぬが、此奴のそばには常にわたしがいるものと心得よ」
「べ、別にわたしは、色目なんか……」
剣呑な目つきで睨んでくるファリンに、アリスはすっかりタジタジである。
ファリンに人間の常識が通用しないのは分かってるが、一国の王女殿下を相手にここまで命知らずな発言をできるその胆力は恐れ入る。まあ、ファリン自身が国を相手どれるくらい高位の魔物だからなのかもしれないが。
「あ、あの……二人は、その、恋人同士だったりするの?」
――と、それまでとは少し異なる調子で、自分の器に入ったリゾットを意味もなく掻き混ぜながらアリスが訊いてくる。
そんな事実はない。そんな事実は決してないが……。
「そのような生っちょろい関係はすでに超越した。我らはすでに魂の盟約をはたしたも同然。たとえ神が引き裂こうとも、この身この魂は離れ得ぬ運命よ。その生はもとより死後もなお溶け合うほどに共にあることであろう」
そ、そこまで!?
「そ、そう……」
アリスは目に見えて暗い顔をしている。ま、マズい……。
「ふん。甘いのだ、貴様は。この男は気に入った女と見れば後先考えずまぐわろうとする獣のような男ぞ。かような男のそばにいようとするのであれば、自らも相応に覚悟を決めねばならぬ」
何だか男らしいことを言っている。出会ってまだ一週間足らずだが、確かにファリンとはこの先も一生一緒にいるのだろうという謎の確信はあった。
「覚悟……」
一方、失意に沈んでいたと思われたアリスの瞳にも、いつしな決意のような輝きが宿りはじめている。
これは意外にもナイスアシストだったのではなかろうか。せっかくアリスとはこの短期間で着実によい関係を構築できているのだし、こんなところでご破産にするのはあまりに惜しいと思っていたのだ。ありがとう、ファリン。
「そうね。わたしには覚悟が足りなかったのかもしれない。ありがとう、白狼」
「ぬ? う、うむ」
ファリンは少し戸惑い気味に応じていた。まさか自分自身で爆弾に火をつけてしまったとは思うまい。
ただ、アリスはアリスで僕との関係がどうこうというよりは、もっと別の大きな何かを見ているような気がした。これまで聞いた話から想像するかぎり王室の内情は決して平穏なものではなさそうだし、すでに成人しているはずなのに王位継承権を持たないことや、嫁ぎ先まで決まっているというアリスの現状にはかなり違和感がある。
考えるまでもなくアリスも王室をめぐる権力争いに巻き込まれているはずで、だからこそ彼女の決めた覚悟が自分の人生に対する覚悟だったとしたら、ファリンが火をつけた爆弾は僕が思ってるよりもずっと大きなものであるのかもしれない。
「そうだ、ミュリエルさんに少しお酒も分けてもらったんだけど……」
ふと何かを思い出したように、ミュリエルが自分の荷袋を漁りはじめる。
「お父さまが……その、本当のお父さまが、野営で呑む酒は美味いぞってずっと仰ってたから、どうしても試してみたくって。それでミュリエルさんに少し無理を言ってお願いしたの。よかったら、一緒に呑まない?」
「ぬっ! ま、まあ、せっかくだから一緒に呑んでやらんこともないが……」
荷袋から取り出した大きな革袋を担ぎ上げながら、アリスがにっこりとファリンに向けて微笑みかける。友情の盃でも交わそうと言うのだろうか。
考えてみれば、こうやって誰かと焚火をかこいながら野宿をするなんて随分と久々の経験だった。諸国を漫遊しながら魔物退治やダンジョン探索に明け暮れていたころは、むしろこれが日常だったものなのだが。
「ぬう! 確かに外で呑む酒は一段と美味いな!」
「本当ね……」
ともあれ、気づいたころにはすっかり二人は意気投合して、空になった互いのマグに酒を注ぎ合いながら革袋が空っぽになるまで宴を楽しんでいた。ファリンは呑むだけで飽き足らずしっかり食べもするので、僕は慌てて自分の分をおかわりを確保する。
宴が終わったころにはもうファリンはすっかりベロベロで、アリスが気を利かせて寝袋を準備したら、礼も言わずそのまま中に潜り込んですやすやと寝息を立ててしまった。まあ、ファリンがいるかぎり野生の魔物が襲ってくることはないだろうし、まだ王都に近いこのあたりでは野盗に襲われる心配もないから、別に問題ないと言えば問題ないのだが。
「白狼も面白い人ね」
大口を空けて眠るファリンを見て、アリスがクスッと笑った。
同じくらい呑んでいたはずなのに彼女はまったく酔っている様子がなく、どうやら酒にはかなり強いらしい。いつも僕は酒の席からいい雰囲気になったところで勢いのままに押し倒すというのを常套手段にしていたのだが、彼女にその手は使えなさそうだ。
「お酒はまだあるのよ。エドワルド、よかったらもう少しつきあってくれる?」
むしろ、まだまだイケる口らしい。
自分の荷袋からさらに別の革袋を取り出して、こちらに意味ありげな流し目を送ってくるアリスに、僕はほんの少しだけ戦慄に似た緊張感を覚える。はたして狙っているのは僕のほうか、あるいは彼女のほうなのか。
それでもアリスからの申し出を断るような野暮な真似をできるはずもなく、僕たちは改めて互いのマグに酒を注ぎあうと、何となく肩を寄せ合い、たまにじゃれ合うようにキスをしたりしながら、星空の下でのんびりと酒を酌み交わした。