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第二十章 後悔することはある

「やっちまったかもしれない……」

「不敬罪になっても知らないわよ」


 いつかではなく、わりとすぐに僕は後悔していた。後先のことは基本的に考えないが、後悔だけはしっかりするのが僕という男である。

 あのあと上辺だけは雰囲気よく別れた僕たちだったが、僕はそのまま絶望を抱えてミュリエルの私室に飛び込んだ。

 湯浴み上がりのミュリエルは分厚いバスローブに身を包んでフワフワの帽子のようなものを被り、座り心地のよさそうなソファの上でグラスに入ったワインに口をつけている。

 相変わらず僕は空っけつだしミュリエルも昨夜に調子に乗りすぎたためか股関節を痛めてしまったらしいので、今夜は一時休戦である。


「気づいてたなら、教えてくれよ」

「だって、目で必死に『内密で』って訴えてくるんだもの。下手に王女殿下の不興を買いたくはないし、仕方ないでしょう?」

「このまま王家に婿入りさせられたらどうしよう」

「さすがにそれは大丈夫だと思うけど。アリスフェルンさまに王位継承権はないはずだし、それに、確かもう嫁ぎ先だって決まってるんじゃなかったかしら」

「あ、そうなんだ? でも、僕以外のものになるのはそれはそれでイヤだな」

「あんた、王家相手でもそういうスタンスなのね」


 ミュリエルが半眼で嘆息する。彼女が僕を『あんた』呼びするときはわりと真剣に呆れているときだ。


「でも、王女さまのお父さんが病で倒れたってことは、つまりこの国の王さまが病床に伏してるってこと?」


 僕が訊くと、ミュリエルは陰鬱に溜息を吐きながら頷いた。


「そういうこと。それも、おそらく何者かによる強力な呪術が原因になっているみたいなの。おかげで王室はもとより王立神魔研究所も連日大騒ぎ。国中の名のある術師に連絡を取って、呪いの発生源やら解呪方法やらの究明に奔走してるってわけ」

「それで研究所もあんなにバタバタしてたのか。でも、そのわりに君はしっかり帰れてるみたいだけど」

「やることはちゃんとやってるわよ。呪いの発生源も概ね特定はしたし、解呪に時間をかけるよりも術者を始末したほうが早いって提案もしたわ。でも、王室はひとまず解呪方法を模索する方向で調整しているみたいね」

「何で術者の始末に乗り出さないの?」

「うーん……下手に軍隊を動かして、本当の狙いがそっちにあったら危険だっていうのが理由みたいだけど、王室や貴族院の連中が何を考えてるかまでは分からないわ。ひとまずは冒険者ギルドに依頼を出して様子見ってところじゃないかしら」


 なるほど。呪いの発生源が分かっているなら、わざわざ軍隊を動かさなくても冒険者ギルドに調査なり討伐なりの依頼を出させばいいわけだものな。

 とはいえ、王命となればそこいらの依頼と同じ扱いというわけにもいかないだろうし、それでギルドのほうもわざわざ近隣から職員を集めて対応に追われていたのかもしれない。

 ただ、そうは言っても少し暢気すぎるような気はするが……。


「正直なところ、本気で国王陛下を救う気があるのかは怪しいところだわ。もうずっと前から貴族院は王室を軽んじてるところがあるし、いっそ国王陛下がこのまま崩御されたほうが都合がいいのかも。そのあとでまだ幼い王太子を無理やり即位させて、その摂政に王妃さまをおきたいってのが本音なんじゃないかしらね。こんなこと言ってるなんてバレたら、わたしこそ不敬罪に処されそうだけど」

「どういうこと?」

「王妃さまは貴族院の実権を握ってるヴァレリ公爵家の出自で、今の国王陛下が即位されてからはとくに貴族院のやりたい放題になってるって話よ。これまでは公開されていた年次国家予算書も今の代になってからは非公開になっちゃって、そのタイミングでこれまで誰でも受けれた『神託』も有料化されちゃうし。おかげで国内の冒険者数ってこの数年でかなり減ってるの。知ってた?」

「そんなこと、僕が知ってると思う?」

「でしょうね。神殿側は人件費等のコストが増加したためとか言ってるけど、年々冒険者数は減ってるし、もともと王家から莫大な資金援助を受けてるはずなのに、何言ってんのって感じよ。間違いなく何処かのお貴族さまの懐にキックバックがあるんでしょうけど」

「権力は腐敗するってことかな」

「そういうことなのかしらねぇ……あ、そうだ。話は変わるけど、あなたの呪いについてもいくつか分かったことがあるわよ」


 おお、王室のゴタゴタなんかより、そちらのほうこそぜひ聞かせてもらいたい。


「呪いの発生源はおそらく東の森ね。ずっと『黒狼』の縄張りになってたみたいだけど、研究所で聞いた話だと数日前から気配が消えてるらしいわ。それが本当なら、今ならわりと安全に向かうことができるかもしれないわね」


 なんと、ここで東の森か。偶然にしては少しできすぎな気もするが、何か僕の知らぬところで運命の歯車でもまわっているのだろうか。


「解呪方法についても調べてみたけど、そっちはちょっと一朝一夕でどうにかなるものではなさそうね。これまでに見たどの系統とも違うタイプで、下手をすると今回の国王陛下にかけられた呪いと同じくらい高度な呪いかもしれないわ」


 マジかよ。あの女性、まったくそんなふうには見えなかったが、実はすごい付呪師だったんだな。


「もしその付呪師をうまく手中に収められれば、国王陛下の呪いの解呪のきっかけになったりするかもしれないわね。そうなれば、謝礼もたんまりもらえるかもしれないわよ?」

「謝礼は別にいらないから、アリスを僕にくれないかな」

「あら、まだそんなこと言ってるの?」

「冗談さ。さすがにそこまで向こう見ずじゃない」

「どうかしらね」


 ミュリエルが半眼になりながら薄く笑い、それから頭に被っていたフワフワの帽子を脱いで、何だかよく分からない不思議な術でブワワッと一気に髪の水気を吹き飛ばす。それからグラスに残ったワインをグイッと煽ると、ソファから立ち上がってベッドに腰かける僕のほうへと歩み寄ってきた。


「あなたの刻印についてもいちおう調べてみたけど、そっちについてはよく分からなかったわ」


 そう言いながら、僕の膝の上に乗りかかるようにして、ゆっくりと僕をベッドの上に押し倒してくる。


「あれ、今日は一時休戦じゃなかった?」

「そのつもりだったんだけど、あなたがあんまりにも王女殿下に執心するものだから、少し妬けちゃった」

「君くらいのヤキモチ加減が僕には一番心地いいよ」

「あら、都合のいいオンナってこと?」

「そうさ。だから、いつまで経っても僕は君のもとから卒業できないんだよ、バークレイ教授」

「バカね、あなたみたいな不良生徒は一生落第よ」


 ミュリエルが強引に唇を重ねてきて、僕たちはそれから貪り合うように互いの唾液を交換し続けた。すっかり空っけつになっていたと思っても、現金なものでそういう雰囲気になれば何だかんだで元気にはなる。


「そういえば、あなたの血液や精液、それに唾液や汗についてもついでに採取して少し調べてみたんだけど……」


 唾液の糸を引かせながら顔を上げ、僕の上でバスローブを脱ぎながら、思い出したようにミュリエルが言う。血液や性液はともかく、唾液や汗なんていつ取られたんだろう。寝てる間かな。


「それが、おかしいのよね……」


 ミュリエルが思い出し笑いでもするかのようにクスクスと笑いながら続ける。


「信じられる? あなたの体液から『影響力』に似た力が測定されたのよ」

「どういうこと?」

「さあ、分からないわ。まさかとは思うけど、体液にまで何かしら《加護》の力が及んでいて、それがわたしたちをこんなにも狂わせてるのかも……なんて」

「ええ? それってつまり、僕がモテるのもけっきょく勇者の《加護》によるものってこと?」

「ふふっ……そうかもしれないけど、どうかしらね。普通は体液にまで《加護》の影響が確認されることなんてないわ。仮に勇者の《加護》であっても例外はないの。わたしたち研究者の歴史は《加護》の探究と解析の歴史でもあるんだから、もしもそんな例が実在していたのだとしたら、何処かに必ず記録が残されているはず」

「つまり、どういうこと?」

「要するにね」


 ミュリエルが僕のズボンの前を勝手に開けて、中からそれを取り出しながら蠱惑的に微笑んで見せた。


「あなたは特別かもしれないってことよ」


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