「ありがとう。助かったわ」
無事に冒険者ギルドの建物の前までアリスを送り届けた僕らは、そこで各々の目的を果たすために解散する流れとなった。
けっきょくアリスが何者なのかも何の目的で冒険者ギルドに向かいたかったのかも分からないが、彼女が『勇者』であることが事実なのであれば、単に退屈なお屋敷暮らしに嫌気がさしてどうしても冒険に出たくなってしまっただけなのかもしれない。
アリスをここに送り届けるまで、ファリンはまるで本当の騎士のように毅然と彼女をエスコートしていた。その姿に普段の駄犬っぷりはまったく感じられず、やればできるではないかと勝手ながら感心させられたものである。
ただ、それはけっきょくアリスと一緒に行動している間のわずかばかりの間のことであったが。
「どうしておまえは平気な顔をしておるのだ! わたしがあのように別の人間の言うことをホイホイと聞いている姿を見て何とも思わぬのか!? わたしを独り占めしたいと寂寥感に心が震えたりはせぬのか!?」
今はもうずっとこの調子でまとわりつかれている。人目も憚らず大声を出すものだから、冒険者ギルドに入る前からすでに道行く人の奇異の目に晒されていた。
どうしよう。ギルドにシェリーがいるかどうかを確認したいという気持ちはあるものの、さすがにこの状況を見られたらろくなことにならないことくらいは想像がつく。
「別に、僕が心配することは何もないからね」
とりあえず、いつまでも喧しくしているファリンに僕が言った。
「どれだけ君が他の人間に尻尾を振っても、君は最後には必ず僕のもとに帰ってくる」
「ぬ……?」
ファリンが騒ぐのをやめ、じっと僕の顔を見上げてきた。僕はその瞳をまっすぐに見つめ返しながら、情感たっぷりに告げる。
「君はその魂に至るまで僕だけのものだからだよ、ファリン。上辺をどれだけ取り繕ったところで、君はもう僕からは逃げられない」
「あっ……エド……」
ファリンの顔が瞬く間に朱に染まっていき、その瞳が歓喜に揺れる。どうせもうすでに観衆の好奇の目には晒されているわけだし、今さら恥じらっても仕方がないので、僕はそのままファリンの震える唇にそっとキスをする。
キャッとかオーッとか歓声が上がる中、もう完全にファリンは腰砕けになっており、酩酊しているのかと思うくらい真っ赤な顔で僕の腕にすがりついていた。
「あ、あは……ご、ご主人さまぁ……」
熱い吐息とともにファリンの口から甘い声が漏れる。しまった。少しやりすぎたか。どうにも調節が難しいな。
「……随分と仲が良さそうね?」
——と、そのときである。
僕は即座に死を覚悟した。聞き間違えなどするはずもない。ただ、一方でほんの少しだけ理解が追いつかないところもあった。
何故、彼女がここにいるのか。応援のために王都に出向しているわけだから、ギルド内で業務に当たっているはずなのではないのか。
壊れた人形のように歪な動きで振り返ると、そこにはドラゴンですら裸足で逃げ出すのではないかというほど鬼気迫る形相をしたシェリーが立っていた。
「わざわざ王都にきてまで見せつけてくれるなんて、随分とお優しいことね?」
「ち、ちが、これは、つまり、火球的事態に対応するためであって……」
「別にあんたが何処で何をしようがかまわないけど、できればもうあたしの前には現れないでくれる?」
ヤバい。これはわりとガチ目に怒ってるときの態度だ。どう考えても今回は向こうから現れたようにしか見えないが、この場で迂闊なことを言おうものなら火に油を注ぐことになるのは間違いない。
というか、彼女に対して僕が何を言って何をすればいいのかなんて、もう最初から分かりきっている。ただ、それには傍らのファリンがほんの少し邪魔なだけだ。
——否、もうここまできたら腹をくくるべきだろう。この修羅場を潜り抜けるためには、僕にも命の一つや二つ投げ出す覚悟がいる。
「シェリー」
僕は彼女の名を呼ぶと、その手を取って無理やり引き寄せ、その唇を強引に奪った。
シェリーは咄嗟のことに何が起こっているのかしばらく理解できなかったようだが、気づいてからの抵抗は激しかった。それでも僕はシェリーの体を強く抱きしめ、いったん傍らのファリンはいないものとしてひたすら彼女の唇を奪い続けた。
もう冒険者ギルドの前には完全に人だかりができていて、正直なところ僕は本気で生きた気がしなかったが、それでも辛抱強く続けていると、次第にシェリーの体から力も抜けて僕の腕の中で大人しくなっていった。
それからも僕はさらに五分くらいずっとシェリーの唇を優しく啄み続けた。
「もう、いいわよ……」
やがて、シェリーが真っ赤な顔をしたまま僕の体をやんわりと押し返す。その顔はまだ少し怒っていたが、少なくとも僕の誠意の一端は伝わったらしい。傍らにまた別の鬼が生まれ出ている気もするが、そちらについてはまたあとで対応しよう。
「僕がどれだけ多くの女性と肌を重ねようと、君が僕に取って特別であることは変わらないよ、シェリー」
「当たり前でしょ。調子に乗らないでよね。あたしで童貞を捨てたくせに」
捨て台詞のようにそう言って、真っ赤な顔のままシェリーは冒険者ギルドの裏手のほうへと立ち去っていった。おそらくそちらに職員用の通用口があるのだろうが、となると、いよいよ彼女がこの場を訪れた理由が分からなくなってしまう。
まさか、本当に何かの直感でやってきたのか。彼女は故郷の村にいたころから僕の位置を正確に探り当てる不思議な特技を持っていたから、可能性としてはあり得なくもないが。
「エド……」
今度は足許から声がする。
恐る恐る見やると、ペタンとその場に座り込んでいたファリンが闇よりも深い瞳でこちらを見上げていた。
いつの間にか築き上げられていた人垣は固唾を飲んで次なる展開を見守っており、僕はさらなる選択を迫られる。
修羅場、第二ステージ、いや、第三ステージである。さすがにもう同じ手は通用しないだろうから、ひどまず僕はその場に膝を折ると、ファリンの体を優しく抱きしめながらその背中を愛撫する。
「ファリン、確かに僕は移り気な男だ。これからもこうして君に辛い思いをさせるだろう。でも、それでも君は僕だけのものだ。誰にも渡しやしない」
随分と勝手なことを言っているとは自分でも理解しているが、今はファリンの心に響いてくれることを祈るしかない。
頼む、ここはオレさま系な僕にときめいてくれ……!
「うふふ……ご主人さまぁ……うふふふ……」
やべ、情緒を揺さぶりすぎて、いよいよ壊れたかもしれん。