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第十四章 遺伝子レベルで屈服

「ふーん……何だかいろいろとおかしなことになってるみたいね」


 ミュリエルが杖で僕の体を小突いたり謎の光線を浴びせたりしながら、悩ましげに首を傾げている。

 あれからいろいろと落ち着きを取り戻し、ファリンとミュリエルの和解も無事に済ませた僕らは、ひとまず本来の目的であった僕の呪いについてミュリエルに調べてもらうことになった。

 ミュリエルが『国家術師』として研究しているのはまさに呪術であり、呪いそのものやその解呪法の他、身体強化などの付与術の研究も行なっている。呪術というと呪いのイメージが先行するが、回復や治療以外の形で人間の体に直接作用する術は基本的に付呪師の分野である。


「セックスをしたらレベルが下がったのよね?」

「まあ、たぶん」

「そんな呪い聞いたことないけど、でも、確かに呪われている気配は感じるわ。呪術的な力があなたの本来の力を何処か別のところに吸い上げているみたい」

「ふん。その程度のことなどわたしでも分かる。人間の付呪師など大したことはないな」


 ファリンはいったん牙こそ納めたものの、先ほどからずっと僕の腕にしがみついていて少し邪魔である。

 どうやらミュリエルに僕を取られまいとしているようなのだが、犬ってこんなに嫉妬深い生きものなのだろうか。


「それと、少し気になったんだけど、あなた、いつの間に従魔契約の術なんて身につけたの? 付呪師の中でもちゃんと使いこなせる術師は少ないし、わたしですら従魔契約については才能がないから諦めてるくらいなのに……」


 ミュリエルが今度はファリンのほうに杖の先端を向け、ファリンがそれを嫌そうに手ではねのけようとしている。

 そこで気づいたのだが、どうやらミュリエルは本当にファリンが僕の従魔になっているものと思っているらしい。まあ、ファリンの言葉を鵜呑みにすればそう誤解してしまうのも仕方がないが。


「いや、そもそも別に従魔契約なんてしてないよ。彼女の正体がバレたときの言い訳としてそう言ってるだけでさ」

「……何を言ってるの?」


 しかし、僕が真実を明かしてもミュリエルは余計に困惑した表情をするだけだった。別におかしなことを言ったつもりはないのだが、はて。


「そんなはずないわよ。あなたたちの間に、明らかに呪術的な繋がりがあるもの。まさかエド、あなた、セックスで魔物を従魔化させる能力でも手に入れたの?」

「え? そうなの?」


 まさに二重の意味で『そうなの?』である。

 もしそんな能力に目覚めているなら神に感謝したいくらいだが、少なくともそのような『神の声』は聞いていない。

 まあ、ファリンの変化にあの夜の営みが何らかの影響を与えている可能性くらいはありそうだが。


「ファリ……ああ、いえ、フェンリルは……」


 ——と、今度はファリンに質問しようとしたミュリエルがその『名』をうっかり口に出しかけて、ものすごい形相で睨まれている。

 魔物にとって『真名』は特別な意味を持つらしく、とくにフェンリルくらい高位の魔物ともなればおいそれと口に出してよいものではないらしい。

 まあ、ファリンも当初は僕が口にするだけで身悶えしていたくらいだから、本人にしか分からない何か特別な力がこめられているのだろう。


「その、フェンリルは、これまでに何か自分の体に変化が起こったりとかって感じていたりする?」

「うむ……実をいうと、最初にエドの子種をもらったときに何か凄まじい力のようなものは感じていたのだ」

「あんた、いきなり中で出したの?」

「ま、魔物だから別に大丈夫かなって……」


 いやだって、さすがにそこは大丈夫だと思うじゃない。


「……コホン、ごめんなさい、それで、そこから何か変調はあったりした? 力や体だけじゃなくて、心の面とかでも」

「否。子種をもらうたびに力が溢れ出してくるような感覚はあるが、それくらいだな。変化と言えば、あとは元の姿に戻れなくなったくらいか。何かの弾みで戻れたこともあったが……」

「元の姿に……ひょっとしたら、それはあなたの力を抑制するためのリミッターをエドが管理している状態になっているからかもしれないわね」

「僕が?」


 となると、メイガスの街と王都を繋ぐ街道でファリンが元の姿に戻れたのは、僕がファリンの背中に乗ることを何となくイメージしたからだったりするのだろうか。

 それが事実なら、少しは今後の心労も減るというものだが……。


「でも、本当に心の面での変調はないの? こんなことを言うのもおこがましいかもしれないけど、フェンリルのような最上位に位置する魔物が人間にかしずくだなんて、わたしが知るかぎり聞いたことがないわ」

「人間にかしずいているつもりはない。我が盟主は勇者エドワルドただひとり。もしエドが貴様ら人間を食い殺せと命ずるならば、今すぐにでも一人残らず喰らい尽くしてくれよう」

「そんな命令はしないよ」

「ぬう」


 またファリンが牙を剥こうとするので、念のために釘を刺しておく。

 ファリンはペタンと耳を下げながら少し不服そうな顔で僕の顔を睨んできたが、とくに文句などは言ってこなかった。まあ、これくらいなら可愛いものだろう。

 一方、ミュリエルはまだ少し納得していなさそうな様子だった。


「でも、それならどうしてそこまでエドに執心しているのかしら。これまでは、どちらかというと命を取り合うような関係だったんでしょう?」

「うむ。思えばわたしはその時点でエドに心を狂わされてはいたのだろう。だが、もちろんわたしが生まれ変わった理由は別にある」

「それはいったい……?」

「匂いだ」

「……え? 匂い?」

「初めて接吻をされたとき、口許から漂ってきた匂いに全神経を一瞬で支配されてしまったのだ。あの衝撃は今でも忘れられぬ。この男にすべてを捧げるべきだと、全本能が告げていた」

「ええっ……!?」


 ま、マジかよ。確かにあのときの随分と可愛らしい反応をするものだなと思ってはいたが……。


「わたしも最初は認めたくはなかったのだが、気づけば自ら『真名』を名乗り、身も心も明け渡してしまった。フェンリルとして生まれ出でたプライドなどどうでもよくなるくらいに圧倒的な衝動であった」


 うむうむと大真面目な顔で頷ずきながら、ファリンが告げる。

 何だかこちらのほうが赤面してしまいそうな一大告白だが、まさか彼女の中でそんなことになっていたとは。


「じゃ、じゃあ、最初から従魔契約がなくてもエドについてきてたってこと?」

「そもそも、わたしもエドと同様、従魔契約を交わした覚え自体がない。表向きはそうしたほうが人間社会で生きる上で都合がよかろうと提案しただけにすぎぬ」

「信じられない……まだ従魔契約のほうが納得できるわ。そんな一目惚れみたいな理由でエドに惚れ込んじゃったってこと? フェンリルが? そんな話ってある?」


 またミュリエルのローブがずるりとずれている。そのまま引っ張ったら脱げたりするのだろうか。

 一方、ファリンは話が終は終わりだとばかりに、僕の耳許に顔を押しつけてスンスンと匂いを嗅ぎはじめている。


「耳の裏までいい匂いがする……エド、宿が決まったら一度全身を舐めさせてほしい……」


 いや、本物の犬でもさすがにそこまではせんぞ。


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