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第十章 引っ越し検討中

 街に戻ってきた僕たちは、ひとまず依頼の報告のために冒険者ギルドに足を運んだ。


「あら、エドワルドさん、ひょっとしてお仕事のご報告ですか?」


 受付に立っていたのは、シェリーとは別の女性だった。たしか、名をネリアといったか。

 当然ながらシェリーにだって休みの日くらいはあるし、彼女が休みの日となれば、別の職員が代わりを勤めるのもごく自然な話ではある。

 ただ、僕の記憶が確かなら、シェリーの定休日は今日ではない。こう見えて僕はちゃんとシェリーのシフトを把握しているし、ギルドに顔を見せるときだって彼女の休みに被らないように日頃から気をつけていた。


「そうだけど、よく分かったね」


 ひとまず僕は、当たり障りのない返答をする。

 シェリーの不在について思うところはあるものの、ここで文句を言っても仕方がない。単に休憩中なだけかもしれないし。


「まあ、素敵! エドワルドさんがお仕事を探しにくるところに鉢合わせるだけでも珍しいのに、報告に立ち会えるだなんて!」


 ネリアはたいそう驚いているようだった。どうやら本心から感激しているようで、その言葉にも表情にも皮肉や悪意といったものは微塵も感じられない。おそらくこの女性の人生には不幸なんて一生訪れないだろうなと、ほとんど直感で僕は確信する。


「シェリーは休憩中?」


 すっかり毒気を抜かれて僕が訊くと、ネリアはニッコリと微笑みながら首を振った。


「シェリーさんは、今朝から王都のほうに出向しています」

「出向?」

「はい。なんでも大きな事件があったとかで、対応のために近隣の職員に招集がかかっているみたいなんです」

「ふーん、王都でねえ。でも、参ったな。依頼報酬でご飯を食べに行こうって約束をしていたんだけど」

「あら、そういうことだったんですね。シェリーさん、随分とご機嫌ナナメのご様子でしたから、なにかあったのかなぁとは思っていたんですけど」

「どういうこと?」

「伝言を預かっています。えぇー、コホン……『昨夜はお楽しみだったみたいね。ちょっとでも期待したアタシが馬鹿だったわ。しばらく王都にいるけど、顔見せにきたりなんかしないでよね。あんたの顔なんてみたくもないんだから』……だそうですよ」


 しっかり声真似までして、ネリアが熱演してくれる。

 僕の脳裏にはすっかりイマジナリーシェリーが出現していて、ものすごく不機嫌そうな顔で後頭部のあたりを執拗に蹴りを入れてきていた。

 おそらくだが、昨日の夜にファリンと一緒にいるところを見られてしまったのだろう。僕がシェリーの行動パターンを把握しているように、彼女だって僕がいつもどの店で夕食を食べるかくらいは把握している。

 これは少し面倒なことになってしまった。シェリーは今の僕の状況を知らない。たとえAAランクの討伐依頼だろうと、僕ならばその日のうちに片づけてくるだろうと考えている可能性は十分にある。

 その上で依頼報告もせず見知らぬ女と一緒にいる姿を目撃したとなれば、シェリーのことだから自分を軽視していると感じてしまったとて不思議はなかった。ほとんど言いがかりみたいなものだが、そんなところがまたシェリーの可愛らしいところでもある。


(どのみち王都には行く予定だったし、顔だけでも見せてみるか……)


 シェリーがわざわざ『顔見せにきたりなんかしないでよね。あんたの顔なんてみたくもないんだから』と伝言に残すくらいだから、本音では死ぬほど会いにきて欲しいのだろう。

 ツンデレがいきすぎて逆に正直者になってるのがシェリーという少女であり、そこはゆとりある大人の男性として慮ってやる必要がある。


「ひとまず依頼報告を受けつけておきますね。こちらは報酬精算票です。一両日中にギルド付冒険者が現場状況の確認に赴きますので、概ね三日後くらいには報酬のご用意ができるかと思います。それまでは清算票を失くさないようにご注意くださいね」

「ありがとう。報酬って王都でも受け取れるんだよね?」

「はい。依頼の受注および精算状況は各国市町村のギルドで共有されています。さすがに通信施設すらない辺境のギルドとなると話は別ですが、王都であればその日のうちに情報共有されるかと」

「そっか。ありがとう」


 親切に教えてくれるネリアに改めて礼を告げ、僕は受付を離れて一人待たせていたファリンのもとに戻った。

 僕が受付で依頼の報告をしている間、ファリンは適当に依頼板の依頼でも眺めていると言っていたが……。


(げっ……)


 しかし、そこで思わぬ状況を目撃する。ファリンが三人組の男性に囲まれていたのだ。


「ねぇ、君、その格好、冒険者? 猫耳アクセ、可愛いね」

「随分と若く見えるけど、いくつ? 冒険者ランクは?」

「よかったら俺たちと行かない? 一人じゃ心細いっしょ?」


 ナンパされておる……。

 まあ、ファリンは見た目だけで言えば間違いなく可愛いし、まだあどけなさの残る感じも冒険者ギルドのむさ苦しい雰囲気の中では人目を引くことだろう。

 頭から生えた猫耳ならぬ犬耳も端から見ればそういう装飾品にしか見えないし、そんなものをつけている少女の姿を見れば『世間知らずの新米冒険者』と思われても仕方がない。


「失せよ」


 ファリンの答えは短かった。男たちのほうを見てすらいない。

 さすがにその反応は癪に触ったのか、男の一人が苛立ちも露わにファリンの横顔を睨みつける。


「ごめん、ちょっと聞こえなかったなぁ。俺たち、いちおうこのあたりではそこそこ有名なんだ。『銀狼の牙』って知らない? この前、Aランクに昇格したところなんだけど」

「俺たちに声をかけられるなんて、むしろ光栄なことなんだぜ?」

「そうそう。俺たちと一緒に行くだけで、キミも今日からAランクパーティの一員だ。周りにも自慢できるぞ」


 男たちは口々に自己アピールをはじめるが、ファリンは相変わらず眉一つ動かさない。


「失せよ」


 もう一度だけ、短く告げた。


「……テメェ! 女だと思って下手に出れば!」


 男のうちの一人が激昂したように声を上げる。

 繰り返される冷淡な反応に、いよいよ面子を潰されたと感じたようだ。

 他の面々も似たような様子で、別の一人に至っては憤怒にその顔を染めながらファリンの肩に掴みかかろうと腕を伸ばしていた。


「……んなっ……!?」


 しかし、その刹那、男が弾かれるように後ずさる。

 いつの間にか、男の腕が指先から肘のあたりにかけて分厚い氷に覆われていた。

 他の男たちもギョッとしたように氷漬けになった男の腕を見つめ、恐怖にその顔を引き攣らせながら顔を見合わせる。

 そこでようやくファリンが目だけを動かし、男たちを一瞥して言った。


「失せよ。次はない」

「ひ、ひぃッ……!」


 男たちの反応は早かった。情けない悲鳴を上げながら、まるで蜘蛛の子を散らすかのように逃げ去っていく。

 ギルド内にいた他の冒険者たちも何事かとファリンに好奇の視線を注いでいるが、あまりにも一瞬の出来事だったせいか正確な状況を把握できている者はいないようだった。


「ぬ。エド、終わったのか?」


 ——と、ファリンが僕の視線に気づき、パッとその顔を輝かせながら駆け寄ってくる。

 あいにくと人化した彼女に尻尾はないが、あったとしたら確実にブンブンと振り回されていたことだろう。

 僕はひっそりと溜息を吐きながら、少なくとも表面上は心配そうな顔をして声をかける。


「変なのに絡まれてたけど、大丈夫だった?」

「心配には及ばぬ」


 そう応じるファリンの顔は、少し嬉しそうだった。

 実際のところは彼女の心配なんて微塵もしていなかったし、何だったら男たちの身のほうを案じていたくらいだが、いちおう上辺くらいは優しい言葉をかけるのが男としての最低限のマナーだろう。


「別にああいった手合いに遭遇するのは初めてのことではない」

「確かに、手慣れてる感じはしてたけど」

「うむ。最初のころはついやり過ぎて悪目立ちしてしまうことも多かったが、最近は手加減も随分と上手くなったものだ」


 ファリンはペタンと耳の先っぽを下向けながら自重気味にそう言うと、溜息を吐きながら僕の前まで歩み寄ってきた。

 そして、何を思ったのかそのまま僕の脇の下あたりに顔を押しつけてくると、スンスンと匂いを嗅ぎはじめる。


「な、何してんの?」

「人間の男は臭くてかなわぬ。こうして鼻を清めているのだ」

「僕だって、人間の男だけど」

「おまえは別だ。んんん……なんと甘美な香りか……」


 そのままファリンは僕の脇の下を嗅ぎ続け、今度は僕のほうがギルド内の好奇の視線に晒されることになってしまう。

 どうしたものかと慌てふためいていると、受付のほうからクスクスとお淑やかな笑い声が聞こえてきた。

 振り返ると、ネリアが遠巻きに僕たちの様子を眺めながら微笑んでいる。


「この件は、シェリーさんの耳には入らないように取り計らっておきますね」


 どうやら彼女なりに気を遣ってくれるらしい。優秀な受付嬢がたくさんいて、きっとメイガスの冒険者ギルドはこの先も安泰であることだろう。

 一方のファリンはもうしっかりと腕をまわして完全に僕の体を抱きすくめており、彼女が満足するまで僕の体が解放されることはなさそうだった。

 こんな姿を衆人環視の前に晒せば変な噂になるのは必定で、僕は当面の活動拠点を王都に移すことについて、半ば真剣に検討しはじめる。


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