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第九章 チョロ犬

 昼過ぎ、僕たちは再びメイガス西の森にあるダンジョンを訪れていた。

 あれからファリンが落ち着くまで僕が想定していたよりも遥かに長い時間を費やすことになってしまったが、まあ夕刻にならなかっただけでもマシだと思うことにしよう


「どうやら、このダンジョンの魔物はわたしの気配を察して近づくことすら厭うているようだな。知性を持たぬ魔物は本能に近いところで生きているゆえ、自然とそういった生存本能も働くのであろう」


 先を歩くファリンは得意げにそう語っている。相変わらずその体は人化したままだが、これには少し理由があった。

 何でも、元の姿に戻ることができなくなってしまったらしいのだ。十中八九、僕と肉体的な繋がりを得たせいだと思うのだが、意外にも本人はすでに気にしていないようだった。


「よいのだ。これを機に生まれ変わったと思うことにしよう。幸い、新たな『存在意義』も見出せたことだしな」


 ファリン曰く、そういうことらしい。前向きなヤツだ。

 とはいえ、そう言っているときの彼女の僕を見る目がやけに熱っぽいものであったことについては、ひとまず言及を避けておこうと思う。僕もまだ身を固める予定はないし。


「この先か……」


 ともあれ、そのまま魔物らしい魔物と遭遇することもなく、僕達は一気にダンジョンの最下層にして最奥、かつてファリンと初めて邂逅をはたした広間に到達した。

 そこで待っていたのは、このダンジョンに巣食う魔物を生み出した諸悪の元凶とも呼べるダンジョン・コア――そして、それを護る牛頭の魔物ミノタウロスである。


「ブモァァァッ!」


 さすがにミノタウロスはフェンリル相手でもビビったりはしないようで、僕たちを見るなり両手に携えた戦斧を振りかぶりながら勇猛果敢に突進してくる。

 ファリンはサッと飛び退いてその一撃を回避するが、どうやらこの牛頭の本命は僕だったようで、そのまま返す一太刀でさらなる一閃を放ってきた。

 僕は身を翻してその一撃を躱すと、買いなおしたばかりの新品の長剣でその脇腹を素早く薙ぐ。しかし、思った以上に分厚いその表皮は傷つけるどころかダメージすら与えられていないようで、ミノタウロスは気にした様子もなく反撃の一刀を振り下ろしてきた。

 僕は即座に上体を逸らしてこれも回避するが、油断して目測を誤ったのか戦斧の刃が鼻先を掠め、わずかばかりに出血してしまう。


「エド!? ……貴様ァ!」


 何故か僕よりも先にファリンが反応した。その顔を憤怒の色に染め上げると、抜き放った細剣の切先を天井に向かって掲げながら吼える。


「氷塊に潰えよ!」


 刹那、ミノタウロスの頭上に光で描かれた円陣のようなものが現れ、そこから次々に出現した氷雪の塊が瞬く間にミノタウロスの体を押し潰していった。

 まさに一瞬の出来事だ。どうせなら最初からやってくれればよかったのに。


「エド、大丈夫か!?」


 抜いた意味もよく分からない細剣を鞘に戻しながら、ファリンが焦燥感も露わに駆け寄ってきた。氷雪の塊に押しつぶされて動かなくなったミノタウロスの頭を通り抜けざまに蹴り飛ばしながら、何を思ってか僕の胸許に飛び込んでくる。


【レベルが10に上がりました】


(今のケリがとどめになったのか……?)


 どうでもいいことに気を取られる僕だが、顎の下からこちらを見上げてくるファリンの表情は真剣そのものだった。


「もっと自分の身を案ぜよ! こんな雑魚の一撃でも、今のおまえにとっては致命傷になりかねん! ほら、かがめ。傷口を見せてみろ……」


 いや、いや、どう考えてもかすり傷だから。

 確かにファリンの言うとおり、今の僕がミノタウロスの一撃をまともに受ければ無事では済まないだろう。ファリンは雑魚と一蹴したが、いちおうはAAランクの魔物である。推奨レベルで言えばソロなら40くらい、パーティでも平均30くらいの手合いだ。

 とはいえ、さすがにかすり傷で致命傷なんてことにはならないし、仮にそんなことになるのであれば、もうとっくに僕の鼻はなくなっている。


「いいから、かがめ!」


 しかし、ファリンはまったく取り合ってくれなかった。仕方なくその場で膝を曲げて中腰になると、まあ予想はしていたが、やはりファリンは僕の鼻先にキスをしてきた。


「んんん……エド、おまえは血の一滴に至るまで甘美だな……」

「お褒めに預かり光栄だけどね、そんなことをして雑菌でも入ったらどうするんだい」

「失礼な! わたしが舐めれば、かような傷ごとき一瞬で癒えよう!」

「致命傷がどうたらって聞こえた気もするけど」

「そんな話は知らぬ!」


 ファリンは両手を頭の上にのせてペタンと両耳を塞ぐ仕草をすると、そのままくるりと踵を返し、広間の奥にあるコアのほうへと進んでいった。コイツ、思っていたよりずっと自由なヤツだな。


「さて……」


 ファリンがコアの前で立ち止まる。台座に乗せられたコアは極彩色の輝きを放つ正十二面体の結晶で、見た目だけで言えば純粋に美しい。

 しかし、その美しさを鑑賞している間もなく、次の瞬間にはファリンが腰の入った正拳突きでコアを叩き割っていた。展開が早い。というか、こんなときくらい剣を使え、剣を。


「まさか神の僕たるわたしがコアを砕く日がこようとはな……」


 何故かしんみりとした口調で呟いている。しかし、本件に限って言えば彼女が自らの意思で勝手に破壊しただけで、少なくとも僕が頼んだわけではなかった。

 ともあれ、これで名実ともに依頼完了である。ミノタウロスも無事に討伐できたし、もうこのダンジョン内で魔物が増えることもないだろう。

 もちろん、すでに顕現した魔物が消えるわけではない。ただ、こういったダンジョンの残党を狩ることを生業にしている冒険者も多いし、いずれダンジョンの掃討を目的とした討伐依頼もギルドに張り出されるはずだった。

 ミノタウロスの亡骸もいつの間にか消滅していて、腰のランタンを確認すると内容量を示すメモリがそれなりに増えていた。蓄えがないわけではないが、これからはファリンの分の食費も稼がないとならないわけで、今までよりは金策についても考慮に入れておく必要があるかもしれない。


「よし、では戻るか。帰ってまた美味いものでも食すとしよう」


 ファリンがジュルリと涎を啜るような音を発しながら振り返る。コイツ、完全に『魔狼』から『駄犬』に成り下がってないか。

 僕はげんなりと脱力感に苛まれながらも、念のために釘を刺しておく。


「そうだね。それと、今度こそ今後のことについて話し合わないと」

「今後のこと?」

「呪いを解く方法を探さないとだろう? ひとまず術関係に詳しい知り合いがいる王都に行こうとは思ってるけど、その先のことも考えるなら宿を引き払うべきかもしれないし」

「呪い……?」


 コイツ、マジで飯のこと以外は頭の中から消え去ってしまったのではあるまいな。


「大丈夫? 僕の呪いを解いて決着をつけるんだろ?」

「た、戯けたことを言うな!」


 今度は怒られてしまった。これといっておかしなことを言った覚えはないのだが。


「今さら決着をつけたとて、何を得られると言うのだ!」

「いや、昨日までめっちゃこだわってたじゃん」

「昨日は昨日、今日は今日だ! そんなことをして、万が一にでもおまえかわたしのどちらかが大怪我をしてしまったらと思うと……!」


 どんな光景を思い描いているのかは知らないが、ファリンが青い顔をしながら自分の体を抱きすくめている。

 コイツ、マジで昨日までのフェンリルと同一人物なのか怪しくなってきたな。ある意味では正しく『昨日は昨日、今日は今日』なのかもしれないが。


「とりあえず、呪いをそのままにはできないよ。いくら勇者の《加護》があるからって、今さらコツコツとレベルを上げる気にはなれないしさ」

「案ずるな。わたしがおまえの剣となろう」


 ドンッと白銀の胸当てを叩きながら自信満々にファリンが告げる。


「もはや呪いのことなど気にする必要はない。これからはわたしが面倒をみてやる。共に美味いものでも食べながらのんびりと過ごそうではないか」


 ニカッと白い歯を見せて笑うその姿は実にいい女っぷりだが、これはマズい。宗旨替えをしてくれること自体は大歓迎だが、呪いを解くことについてまで興味をなくされてしまうのは考えものだ。

 この先もずっとファリンが『駄犬』のままでいてくれる保証はないし、いざというときに自分の身を守る力がないというのは非常に心許ない。


「ファリン、君の気持ちはありがたいけど、僕はやはり君と対等でありたいよ。仮にもう決着をつける必要がないのだとしても、何かあったときに君を守れる存在でありたいんだ」


 とりあえず、僕は適当なおためごかしでファリンの心を揺さぶってみることにした。


「なっ……エド、そんなふうに思ってくれているのか……」


 応じるファリンの頬は薄紅色に染まり、こちらを見つめるその瞳は感激に打ち震えるように潤んでいる。思った以上にあっさりと心を動かしてくれたようだ。ここまでチョロいと逆に心配になってくるな。


「分かった! そういうことであれば、わたしも改めて協力させてもらおう! そして、おまえが本来の力を取り戻した暁には、世界中の美味しいものをめぐって諸国漫遊の旅にでも赴こうではないか!」


 力強く頷きながら、ファリンが高らかとそう告げる。

 よかった、説得は成功だ。けっきょく、飯の話からは抜け出せないらしいが、まあ、これについてはもう好きにさせておくか……。


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