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第八章 フェンリルを抱いた男

「エド……お願い、もっとわたしの真名を呼んで……」

「……『ファリン』……僕の可愛いファリン……」

「ああっ……エド、わたしだけのエド……わたし、もう……!」


     ※


 目が覚めた。どうやら『無事』に目覚めることができたようだ。

 カーテンの隙間からは淡く陽光が差し込んでいる。どうやらすでに朝であるらしい。

 傍らを見やると、人化したままのフェンリルが裸のまま寝息を立てていた。

 変に酔いがまわっていたせいか、昨夜のことはよく覚えていない。ただ、勢いでフェンリルを押し倒してしまったことだけは今でも鮮明に覚えているし、その最中でつい本気になって愛を囁いてしまったのも、まあ夢の中の情景ということはないのだろう。


(どうしよう。さすがに魔物とやるのは初めてだな……何か変な呪いとかかかってたりせんだろうか……)


 不安になりつつステータスボードを開くと、そこに表記されている内容に変化が起こっていることに気づく。


(レベルが上がってる……?)


 何故かレベルが一気に『7』まで上昇していたのだ。魔物との戦闘以外でもレベルが上がること自体はあるが、それにしたって少し上がりすぎである。

 たとえ昨夜の営みがレベル上昇に何らかの影響を与えたとしても、それでレベルが5も上がるなんてことは常識的に考えてあり得ない。

 それに、昨日の時点では気づかなかったが、《加護》の種類を示す刻印の形状が少し変わっている気がした。元の形を正確に覚えているわけでもないのだが、どうにも違和感がある。やはりフェンリルとの交わりが、僕の《加護》に何らかの影響を与えたのだろうか。


「ん……」


 ——と、フェンリルも目を覚ましたようで、もぞもぞと寝具の中で寝返りを打つようにこちらに体を向けてきた。


「エド……」


 そして、譫言のように僕の名を呼ぶと、そのままこちらの手を取ってきて、枕にでもするかのように無理やり自分の顔の下に滑り込ませてくる。しかも、それで満足してしまったらしく、再び寝息を立てはじめたではないか。

 一夜にして急変しすぎである。コイツ、どうやらマジで戦うこと以外は知らない脳筋魔物だったらしい。そんな彼女に俗物まみれの僕が人間の悦びというものを教示してしまったせいで、一気に腑抜けにでもなってしまったのだろうか。


「起きなよ」


 このまま眠り続けられても面倒なので、僕はペシペシとフェンリルの頬を軽く叩いた。

 フェンリルはしばらくイヤイヤをするようにその場で首を振っていたが、やがてハッとしたように目を見開いて飛び起きる。


「……ぬあっ!? こ、これなるはいったい……!?」


 そのままバッと僕の顔を見やり、次いで裸ん坊の自分の体を見下ろし、キョロキョロと周囲の状況を観察したあと、顔を真っ赤にして寝具の中に潜り込んでしまう。いちおう、恥ずかしいという感情はあるらしい。


「ば、馬鹿にするな! わ、わたしは神の代弁者たるフェンリルなるぞ! こ、こういった状況が恥ずべきことであるくらいの知識はある!」

「そのわりに、昨夜の君は随分とウブだったように見えたけど」

「ち、知識と経験は違う! ま、まさか、接吻にせよ生殖行為にせよ、あのように甘美なる行為とはついぞ思わなかったのだ! よもや、わたしがここまで俗人的な快楽に身も心も動かされようとは……」

「君が望むなら、もっと素敵なことを教えてあげてもいいけど」

「あ、あ、そ、それは、そんなの……」


 僕の挑発めいた言葉に何を想像しているのか、フェンリルは頭まで寝具の中に潜り込んでブルブルと震えはじめてしまった。

 どうやらよほど昨夜の営みがお気に召したらしい。僕も自分のテクニックには自信のあるほうだが、それにしたってここまで完璧に絆されてくれたのは予想外だった。それだけ相性がよかったのかもしれないが、相手が魔物であることを考えると、素直に喜んでいいものかどうかは少し疑問が残る。

 ともあれ、ここまでフェンリルがその気質に変調をきたしているのであれば、いっそ何処まで面白い反応が引き出せるか試してみるのも面白いかもしれない。どのみち僕にはまだまだ片づけなければならない問題がたくさんある。


「ねえ、『ファリン』、それよりこれからのことなんだけどさ」


 改めて僕がフェンリルの『名』を呼ぶと、寝具の中で彼女の体がビクンと大きく震えた。


「う……ぁ……や、やめよ」

「まずは昨日できなかったダンジョン攻略の続きをしたいんだ。僕とファリンが運命の出会いをはたした思い出の地を、ミノタウロスみたいな無粋な魔物の好きにさせておくわけにはいかないだろう?」

「ぁ……ぅ、ぁ……そ、それは……」

「今の僕ではミノタウロスを倒すことすら苦労しそうだけど、君の力を借りれるなら何の問題もないと思うんだ。ねえ、ファリン、僕の呪いを解くのも大事だけど、ダンジョン攻略のためにまずは君の力を貸してくれないかな?」


 そう言って僕が寝具の中を覗き込もうとした瞬間、逆に中から勢いよく『ファリン』が飛び出してきた。


「ぅ、ぅ……ううううっ!」


 真っ赤な顔をした彼女はそのまま僕をベッドの上に組み伏せると、何を思ったのかそのまま勢いよく口づけをしてくる。

 といっても、ただ押しつけるだけの不器用なキスだ。僕は甘美さを感じるよりもまず単純に驚いてしまったが、ファリン自体も自分で自分が何をしているのかあまり理解していないようだった。


「そ、それ以上、わたしの『真名』を口にするな!」

「だから、僕の口を塞いだの?」

「そ、そうだ。ほ、他に理由があるか?」

「他の理由しか思いつかないけどね、ファリン」

「ぁッ……や、やめよ!」

「やめてほしいなら、また口を塞げばいいじゃないか。僕は別に抵抗したりしない」

「ぅ、ぁ、ぁ……」


 ファリンの顔が昨夜の酒に酔っていたときよりもさらに赤く染まり、僕を見下ろす紅い瞳が戸惑うように激しく揺れる。それでもけっきょく彼女は自身の中からわき上がる衝動を抑えられないのか、少しずつその顔を近づけてきた。

 何だか可哀想になってきたので、最後は僕のほうから少し体を起こして迎え入れるようにキスを交わす。その瞬間、ファリンの中で何かが弾けたようで、そのまま両腕を僕の頭の後ろに回してギュッと抱きしめてくると、貪るように唇に吸いついてきた。


「エド……ああ、エド……」


 もう完全に身も心も『女の子』になってしまっているらしい。昨夜の僕はよほど上手くやったのか、あるいはやはり体の相性がよかったのか。


「とりあえず、名前を呼ばれたくらいでドキドキしない程度には慣れてもらわないとね、ファリン」

「エド……もっと……もっとわたしを呼んで……!」


 僕はファリンの体を下から優しく抱きすくめると、あとはもう彼女が満足するまでひたすらその心と体に愛を囁き続けることにした。


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