母は強い人。
私の中の母のイメージの最初に出てくるのはその言葉だ。
母は戦後間もなくの昭和に生まれた。
生まれた家は米屋を営んでいたらしい。
ただ、母の父親に商才がなく、
傾きかけていたらしい。
母は貧乏な幼少時代を過ごしていたらしい。
母には、姉が一人と弟が二人、
商才のない母の父と、母の母。
母の母は、リアカーを引いて行商に出ていたらしい。
身体が弱かったと聞いている。
48歳くらいで亡くなったと聞いた。
母が生まれた町は、海に近い港町。
昭和の頃だから、近所のみんな知り合いのようなものだったらしい。
母の実家の近くに、母の父の兄弟や、
母のいとこなどもいたらしい。
戦後まもなくなので、みんな貧乏で、
母は、私一人が貧乏でないことが助けになったと語った。
貧乏な家の子は私だけでなく、
姉も、弟たちも、また、小学校などの学校の子たちも、
みんな貧乏だった。
だから助け合えたと母は語った。
母の強さは、ここからすでに始まっていたのかもしれないと、
話を聞いていた私は思った。
さて、母の生い立ちの細かなことは別の回に回すとして、
ざっと母と夫と子どもたちのことも書いておこう。
母は夫と二度死別している。
一度目の夫は、自動車修理業をしていた。
一度目の夫との間に、私と、妹が生まれた。
一度目の夫は、若くして胃がんで亡くなった。
家族写真を撮る暇もないほど、あっけなく。
幼い私と妹を連れ子にして、
母は二度目の夫と結婚した。
二度目の夫もまた、自動車関連の仕事をしていた。
二度目の夫との間にも女の子が生まれ、
私たちは三姉妹として暮らした。
二度目の夫としばらく平穏な暮らしをして、
母が還暦を越えた頃だっただろうか。
二度目の夫もがんで亡くなった。
私たち三姉妹は、それぞれ配偶者を見つけ、
穏やかに暮らしている。
妹たちには、母から見て孫ができていて、
母は孫をとてもかわいがっている。
よきおばあちゃんだ。
よきおばあちゃんに至るまでに、
二度の夫との死別も経て、
また、戦後間もなくからの時代も越えて、
母は強く生きてきた。
一度目の夫が残した会社を守ろうともした。
二度目の夫が残した会社も守ろうとした。
私たち子どもたちの盾になろうとした。
すべてをかぶって生きようとした。
守れるものはすべて守ろうとした。
ひたすら走るような母だった。
立ち止まることなく、とにかく前へ前へと走るようだった。
私の中で母は、常に前を向いていた。
夫と二度の死別を経てなお、
涙に溺れることはなかった。
子どもたちに涙にくれる様子を見せなかっただけかもしれないけれど、
すぐさま次を考えていた。
会社には社員がいる。
家には私たち子どももいる。
母はすべてを守ろうとしてきたようだった。
がむしゃらであったように見えた。
おそらく母も必死だったのだ。
母は今、二度目の夫の残した会社の社長をしている。
私はその会社で事務員をしている。
最近母も認知症の気が出てきたので、
私の妹の、配偶者に社長を継いでもらって、
引退をすることになった。
このエッセイを書き始めたのが2025年だから、
今年の夏には引継ぎをして引退らしい。
最近会社が忙しく、引継ぎもいろいろあって大変だけど、
母は一息ついたときなど、
思い出話を聞かせてくれます。
それらの思い出話を私なりにまとめたエッセイを、
これから気が向いた時に書いていこうと思っています。
母を完全に客観視はできないように思います。
このエッセイの最初の方は、可能な限り客観しようとしましたが、
書いていくとどうにも私の主観が入ってしまってダメです。
母のこととしてのエッセイにするつもりでしたが、
どうしても私のフィルターを通してしまいます。
がんばったのですがダメでした。
文体が統一できていないのは、
私なりに試行錯誤したものと笑って見てください。
いろいろなことがありましたが、
やっぱり私の大事な母なのです。
どんなことでも母びいきに書いてしまいます。
娘のサガとして、呆れながら読んでいただけたらと思います。
母は思い出話を語ります。
それらの記憶は雨のように私に降り注ぎます。
母の記憶が雨と降ります。
その雨の中から、拾い集めた記憶を書ければと思います。
可能な限り母の出来事として書きたいのですが、
娘の私の主観もかなり混じると思いますので、
ひとつの思い出話の物語として読んでいただければと思います。
これは、昭和、平成、令和を生きている、
ある女性の物語です。
時代を走り抜けた、強い女性の物語です。
母という人は強い人です。
エピソードには事欠きませんので、
時間がありましたらまたエッセイを書きます。
母のことを、もっといろいろな方に覚えていてほしいと思っています。
では、次回のエッセイでお会いしましょう。