特にこの場に適した話題がある訳でもなく、黙って三人でジャスミンティーやホットミルクを飲み、人心地ついたらしいカオルさんへ言った。
「眠れそうなら少し寝て下さい。まだ少し顔色良くないですから」
力なく頷いて、カオルさんがころんと横になる。横になったそこには野々花さんの膝枕。
「あ、ママもう寝ちゃった……」
「疲れが溜まってたのかも知れませんね」
普段から頑張りすぎのきらいがある。喜多みたいに肩の力を抜いてるくらいがきっとちょうど良いのかもな。
「店長さん」
「なんです?」
「昼間、ありがとうございました。ママきっととっても嬉しかったと思います」
私が二人を守る、ってヤツのことか。
ほんと我ながら……小っ恥ずかしいこと言ったものだな。今更ながら赤面してしまう。
「さっき少し言ったんですけど、ママってほんとに男運が悪いらしくて……」
いつだったか喜多も言ってたな。野々花さんから聞いたとか。
「前の仕事場でも変な人に言い寄られたり上司にその、セクハラ、とかそんなのもあったらしくて……」
…………おっと、いかん。今度は湯呑みを握り潰してしまうとこだった。
カップが足りなくて私のホットミルクを入れたのが湯呑みで良かった。
野々花さんが初めてロケットベーカリーに来た時に、私のことをきつく睨んでいたのはそういうことか。
またカオルさんに意地悪するやつじゃないか、って。
「それに……お昼に来たお客さん。あれ、たぶん――わたしのお父さん、なんです。乱暴する、凄い酷い人」
正確には叔父だが、そうか、野々花さんも気が付いていたんだな。
「最後にあったのはずいぶん前だし、わたしまだ小さかったから最初は分からなかったんですけど、ママが……ママがあんな感じになるのっていつも
……いかん。見てられん。泣きそうだ。
喜多から聞いた限りじゃかなり辛いDVがあったらしい。野々花さんはともかく、カオルさんは相当やられたと。
もう忘れかけてた幼い頃の自分の記憶と、二人の過去と、綯い交ぜになって泣けてしまう。
「でも昔の事だから。わたしはママに守ってもらったし」
俯く私を気にして野々花さんが明るく言ってくれる。そうだ、私が泣いてる場合じゃない。
深く呼吸し涙を堪えて顔を上げると――
「ぷふーっ! 店長さん、それ可愛い!」
――何故だか野々花さんが笑い出しちまった。
「ぷふっ、膜、ホットミルクの膜――くっついてます、ぷふーっ!」
手の甲で口元拭ってみりゃ、真っ白いミルクの膜がべったりだ。いい歳してみっともないぞこれは。
「ははは、みっともないとこ見せちゃいましたね」
ぽりぽりと頬を掻く私を見て、野々花さんがにっこり笑ってくれた。湿った空気が明るくなってくれて良かったと考えるか。
「ママがよく言ってるんです」
「なんて言ってるんです?」
「ロケットベーカリーで働けて嬉しい、って」
とびきり良い顔で野々花さんが言ってくれた。私もウチでカオルさんが働いてくれて心から嬉しい。一緒だ。
「それでたまーにお酒飲んだ時にね、言うんです」
なんとなく少し甘い期待が沸き起こる。ドキドキする。
「な、なんてです?」
ふふ、と微笑んだ野々花さんがカオルさんの口調を真似して言った。
「前の旦那に会ったら思いっきりビンタして言ってやるんだ、『あたしはもうお前の嫁じゃない! ロケットベーカリーのカオルさんだ!』って」
…………また泣くぞ、私が。
嬉しすぎるだろそんなの。
カオルさんって呼ぶのは私だけだ、ってのもなんか嬉しいな。