バックヤードで三人。
私の腕がふたりを包み込む形で黙ったまま立ちすくんでいたら、カランコロンとドアベルが鳴った。
こんな時でも営業中、そりゃそうだ。
「いらっしゃいませ!」
最も早く立ち直ったのは
「わたしが出るから! ママはまだ休んでて!」
「あ――、ごめん野々……お願い」
「任せて!」
野々花さんは言うや否や急いでキャップを被って手を洗い、ぱたぱたと厨房を抜けて行った。
「店長、もう大丈夫ですから。パン焼いて下さい」
「いや、しかし……」
ストンと丸椅子に座ったカオルさんが私を制す様に続けた。
「ここでちょっとだけ休んでますから」
「……分かりました。無理しないで下さいね」
手に残るカオルさんを抱き締めた感触を握り潰すように握り締め、私は厨房に戻った。
野々花さんの接客の声を聞きながら、
べちゃこらべちゃこら音を立てるコロちゃんが出す騒音も加わり、一見するとロケットベーカリーにいつも通りの喧騒が帰ってきた。
しばらく手を動かしながらも、ちらりちらりとカオルさんの様子を窺うと、視線を彷徨わせるでもなくただじっと私や野々花さんを――ロケットベーカリーを見詰めていた。
気にはなる。
なるが、段々と、いつものカオルさんの、ふんわり微笑むいつものカオルさんの表情に近付いている気がした。
「ねぇ、店長」
「どうしました!? どこか痛みますか!?」
「平気ですよ、どこも痛くないです。そうじゃなくて、
予想外のその言葉に慌てて顔を上げると、いつもの『にへら』で微笑むカオルさんがそこにいた。心の底からホッとする。そんな『にへら』だ。
「あ、ああ、その、新作パンの材料なんですよ、鮭」
「新作パン――ですか?」
「と言ってもまだ試作品も出来上がってないんですけどね」
突然、ふんす! と丸椅子から立ち上がったカオルさんが言う。
「こんな事してる場合じゃない! 頑張って仕事しなきゃ!」
「カオルさん……?」
「店長の新作パン、あたしとっても楽しみです!」
「あ、あぁ、ありがとうございます」
「だから働きます! 新作パンの為にも、野々花の為にも!」
「いやしかし……そうは言ってもさっきの男……」
「あんな人のことなんて気にしません! あたしは野々花のママなんだから!」
ぱぁん! と両手で挟む様に自分の頬を叩いて喝を入れ、勇ましくキャップを被ったカオルさんが厨房に踏み込んだ。
「それに――」
「それに?」
「て、てん――ちょ――が、守ってくれるって、嬉し、かったし」
ぼふんっ、と火が出るほどに顔が熱い。
そんな事――そんな真っ赤な顔で言われちゃ私まで真っ赤になっちまうじゃないですか。
でも、うん、照れて赤くなったカオルさんも可愛い。好きだ。
何があっても絶対に守ると誓う。何があっても、だ。
「いらっしゃいませこんにちはー!」
新たに訪れたお客にカオルさんの声が響く。
「野々ありがと! カウンター代わるわ!」
「ママ大丈夫なの!?」
「うん、もう平気! ごめんね!」
「なら良いんだけど……無理しないでね?」
心配そうな視線をカウンターに放ちながら、野々花さんが厨房に戻ってきた。
そしてぺたこらぺたこらいう
「店長……あの……」
「なんです?」
「店長さんって――
またしても
でももう何を言われているのか分かる。これも凛子ちゃんのお陰だな。
「うん、実は……
不安げな野々花さんだったが、弾ける様なとびきりの笑顔で元気よく言ってくれた。
「はい! お願いします!」
そして続きは再び小さな声で、私だけに聞こえる様に。
「ママってほんと男運悪いんだけど――店長さんなら良いよ!」