カオルさんが来ないからやや億劫ではあるが、日曜は日曜で楽しいんだよな。
なぜかって言うと、単に凛子ちゃんが面白いからなんだ。
からんころんとドアベルを鳴らし、やって来たのが
黒光りする長髪をふわりと靡かせる、おっとり美人のお嬢さまみたいな彼女は――
「おぃーっす! 店長、今日もよろしくーっす!」
「おはよう凛子ちゃん。今日もよろしくね」
――見た目に反して中身がちょっと変なんだ。
もともとカオルさんと同じ職場で働いてたんだが、同様に会社倒産でプーに。
しかしカオルさんと違って実家暮らし、さらにもともと労働意欲は皆無。けれど実家に幾らかのお金を入れねばならぬと、週イチだけここロケットベーカリーで働いている。
「コイツが従兄弟っす。おぅ、ちゃんと挨拶しろ」
続いて入ってきた彼を凛子ちゃんが小突く。
「おはようございます! 本日はよろしくお願いします!」
「こんなの初めてだから緊張するけど、こちらこそよろしく」
そう言ってきちんと頭を下げる。
そう、言っちゃ悪いが野々花さん受け入れの為の練習台になって貰うんだからな。私もきちんとしなきゃ失礼だ。
彼もぺこぺこと頭を下げる。良い子そうで良かった。
「じゃあ先ずは着替えたら手洗いから。パン屋に限らないけど、食べ物扱うとこはどこもそうだから」
高校二年生の彼、どうやら専門学校選びで悩んでいるらしい。高二の夏にもうきちんと考えてて偉い。
製パンか製菓、どちらにしようか悩んでいたら凛子ちゃんがパン屋でバイトしているのを思い出したんだと。
即座にアクションを起こすのも偉い。
もともと料理――特に粉を捏ねるのは好きなんだそう。分かる、私も粉を捏ねるのが面白そうで始めたんだもんな。
私は今の野々花さんより小さな頃から、少し特殊な環境で育った。
その頃すでに殺し屋になる事は決定していたが『副業を決めろ、何がしたい』と迫られ、ただなんとなく粉を捏ねるのが面白そうだとパン屋を選んだ。いま思うと本当にしょうもない理由で選んだもんだ。
入門書やレシピ本と共に、強力粉、準強力粉、ドライイースト、塩、砂糖、卵、さらには大きいものはオーブンレンジ、小さなものはスケッパーなんかまで、必要そうなものがまとめて与えられた。
戸惑ったものだが、これが大いにハマった。
朝から晩まで粉を捏ねてパンを焼きまくった。
そうは言っても二〇〇グラムの強力粉を捏ね、発酵させて成形し、さらに発酵させて焼く。これで大体三時間。
一日にせいぜい三度ほど焼くのが限界だ。それでも限界まで焼いた。
食えたもんじゃないパンだったのは幸い初日だけで、二日目以降は旨くはなくともギリ食えた。
その後も毎日粉を捏ね続け、で、まぁ無事にというか、独学でパン屋になった訳だ。
「パン屋の専門学校ってどんななんすか?」
「え……いや、私は行ってないから分からない」
「え! そうなんすか!?」
「あ――あぁ、別に出なくてもパン屋にはなれるからね」
――もちろん店をやるにあたって『食品衛生責任者』
――サンドイッチは置いてないがイートインがあるから『飲食店営業許可』
――パンは法律上は菓子にあたるから『菓子製造業許可』
――根本的に食料品販売だから『食料品等販売業許可』
パン屋に資格なんてのはないが、パン屋をやるならこんなのはいる。もちろんちゃんと取ってる。
手を動かしながら、そんな事から説明してあげる。普段思い出すこともあまりないから自分の勉強にもなってなかなか良い。
「いらっしゃいませぇ〜♪」
お、開店一番乗りのお客……は、まぁいつも通りに千地球のママ。
「おはよう凛子ちゃん」
「おはようございまぁす、千地球のママさん。お変わりありませんかぁ?」
言いながら優雅な手つきで千地球用のパンを袋詰めしていく凛子ちゃん。
甘ったるい口振りだけでなく所作までお淑やかになるお嬢さまバージョン。このギャップが面白いんだよな。
「え――凛子姉ちゃん……え?」
「知らなかった? 凛子ちゃんの外向きの顔、すんごい猫かぶってんだよ」
この美人でお嬢さまな、猫かぶり凛子ちゃん目当てのお客は結構多い。ロケットベーカリーの繁盛を支える、カオルさんと並ぶ重要なスタッフなんだ。