『おじさん』の言葉に固まったままの喜多を放置し、イートインへ野々花さんを
「でもそろそろ忙しい時間帯だし……」
「まだもうちょっとありますよ。少しでもお話してあげて下さい」
カオルさんが時計に目をやり、再び私へ向き直る。
「ごめんなさい。じゃあ五分だけ」
「慌てなくても平気ですからね」
向かい合って座る二人を尻目に、途中だった明日用のパン生地の下処理を進める。
来客までに速やかに済ませなければカオルさんに気を遣わせてしまうから大急ぎだ。
オーバーナイト法というやつだ。
とりあえずこれで今急ぎでしなきゃならん作業は落ち着いた。他の仕込みは閉店後にいくらでも
では来客に備えて手を洗いカウンターへ。
……入り口脇、おかしなポーズで固まったままの喜多が邪魔すぎるが大目に見よう。
ちらほら入ってくるお客が喜多を見てビクッとしてはいるが……
しかしそんな事よりどうしたって、意識しないよう努めてみても私の優秀な耳が拾ってしまう。
『学童はどうしたのよ
『……行ったんだよ。けどつまんないから帰ってきちゃった』
『つまんないってアンタ……もう、ママまだお仕事なんだから』
『ママには迷惑かけないよ! 先に帰ってるから!』
……うーむ。難しいところだな。
履歴書にあったカオルさんたちの住まいは駅とは反対方向。野々花さんは学校から遠回りしてここまで来ている。
もちろんまだ明るいこの時間だ、四年生ともなれば一人で帰る子供の方が多いだろう。
けれど、千地球のママの提案が発端とは言え、母娘の二人暮らし、物騒な世の中、その辺りを勘案した『出来るだけ早くカオルさんを帰らせる。※但し時給据え置き』のこの店のルールがある。
定時まで二時間ほどあるが、
しかしそれを、当のカオルさんが良しとするかどうかは――甚だ怪しい、と言わざるを得ない。
「……野々花。聞きなさい」
いたって真面目なカオルさんの声に、野々花さんがその背をびくりと跳ねさせ聞く姿勢を取る。
「あたしはいま早退を申し出ることも、あなたを一人で帰らせることもできない。それはあなたのせいでなくあたしの気持ちの問題。分かる?」
「ママの気持ち……うん、なんとなく分かる」
少し視線を彷徨わせた野々花さんがコクリと頷きそう答えた。
「分かってくれて嬉しいわ。じゃあさ、野々花はいまどうすべきか分かる?」
う……ん、とひとつ唸った野々花さんは、喜多を見、そして私を見、どうやら私を選んだ様子。立ち上がってカウンターに立つ私へ声を掛けた。
「店長さん」
「はい、なんですか?」
「母の仕事が終わるまで、ここで待たせて頂いても構いませんか?」
「ええ、もちろん構いませんよ」
私なりに努めて笑顔でそう言ったが、私を睨んでいた先ほどまでとは全然異なる笑顔を向けてくれた。
もちろんカオルさんの『にへら』とまではいかないが、野々花さんの笑顔もなかなか
正直ホッとした。
私の妄想とは言え、野々花さんとも良好な関係でいるのがベストに違いないからな。