【main view 夏川翠斗(半年前)】
「追放……ですか……」
小林ディレクターを殴ろうとした件は当然事務所にも知れ渡り、翌日俺は社長室へ呼び出されていた。
俺はあの日あったことを包み隠さず白状し、逆に社長からもとある事実を打ち明けられた。
それは秘密裏に俺の存続を掛けた企画が遂行されていたこと。
その結果、春夏秋冬メンバー全員が俺の追放を望んだこと。
はっきり言ってショックだった。
ずっと共に頑張ってきた仲間が俺を追い出したという事実は内心のダメージが大きすぎる。
でも仕方ないことでもあるのかなと納得もしていた。
俺が足を引っ張っていたのは事実だし、何より昨日の暴力未遂事件の責任はどこかで取らないといけないと思っていた。
その責任の所在がユニット追放であるのなら、俺は甘んじてそれを受け入れようと思う。
「わかりました……ユニットからの脱退処分を受け入れます。この度はご迷惑をお掛けして……申し訳ございませんでした」
大きく頭を下げ、素直に謝罪する。
もう春夏秋冬のメンバーではない。こんな事件を起こしてしまったのであれば仕事は激減してしまうだろう。
先行きの暗さに絶望する。
それでも、まずは自分のやったことを受け入れないといけない。
悪いことをしてしまったことを素直に反省し、許されるまで謝り続けなければいけない。
それが達成できないと俺は再スタートをすることすら許されないのだから。
「夏樹君。頭を上げてくれ。キミの話によれば小林ディレクターにも非があるように思える。まずは事実確認を急いで——」
「——だったら決めてくださいよ。この若造のホラ話を信じるか、私を信じるか。こっちとしてはこの若造を訴える準備は出来ているんですけどねぇ」
「……小林……ディレクター……」
ノックも無しに勝手に社長室に入ってくる
この男の声を聴くだけで嫌悪がする。静まりかけていた怒りが再び湧き出そうとしている。
いや、それこそがこの男の思惑なのかもしれない。
俺が再びこの場で癇癪を起せば、今度こそ声優夏樹翠は終わってしまう。
だから——
「小林ディレクター。この度は許されざる愚行を働いてしまい……大変申し訳ございませんでした」
だから——下げたくもない頭を下げた。
あの場で悪かったのはきっと俺の方だ。
あの程度でブチ切れて暴力行為に走ろうとした俺だけが悪い。
俺だけが……
「ああん? 許すわけねえだろカス。お前にはもっと重い責任を負ってもらう。知り合いの弁護士にはもう話を通してあるんだよ。お前は破滅だ。多額の慰謝料を支払ってもらうつもりだ。こっちにはカメラ映像っていう証拠もあるわけだしな」
「……くっ!」
そう簡単には許してもらえないとは思っていたが、訴えるつもりなのかこのオヤジは。
でもその権利は向こうにある。向こうは被害者、俺は加害者なのだから。
「こ、小林ディレクター! そ、それだけはどうか許してやってもらえないでしょうか! 夏樹もこのように反省していることですし……どうか……どうか……!」
社長が俺の隣で小林に土下座をしてくれている。
俺のことを思っての行為なのだろう。
社長という大きな立場の人間にここまでさせてしまったことの申し訳なさと後悔が俺を襲う。
「社長さんにそこまでやられちゃあこちらも無下にはできませんなぁ。まぁ、許してやらんこともないですよ」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます! 良かったな夏樹君」
「は、はい……」
慰謝料請求という最悪の事態は間逃れることが出来たのだが、小林の余裕溢れる態度に嫌な予感がぬぐい切れない。
悪夢は未だ終わっていない。そんな予感を漂わせる不敵な表情だった。
「その代わり、私の要求をいくつか飲んでくれたりはしませんかねぇ? 暴力未遂を許すんだ。そのくらいは当然っすよねぇ?」
やはり何かたくらみがあったようだ。
「ご要望は……なんでしょうか?」
「一つ。そこに居る夏樹翠をこの事務所からも追放すること」
「なっ!?」
「当然でしょう。俺はコイツに殴られそうになったんですよ。そんな不穏分子がいる会社とこれから共にビジネスを行っていけるわけないでしょう」
「し、しかし、夏樹君はちゃんと反省をして——」
「——知らねーよ。こっちは連帯責任としてアンタも一緒に訴えてやってもいいんだからな。もしかして社長さん。俺と同等の立場で話ができると思ってる? そっちが加害者である以上、主導権は全部俺にあるんだよ」
「くっ……!」
頭を下げ続けながら悔しそうに震えている社長。
今まで良くしてくれていた社長に地に手を付かせてしている事実が俺の心を抉ってくる。
「わかりました。俺は辞表を提出致します」
「夏樹君!?」
俺の不手際に社長を巻き込むわけにはいかない。
社長には恩がある。
今まで上手くいっていない俺をずっと事務所に置いてくれて、そしていつも励ましてくれていた。
その恩義に報いる為に、俺は自ら退こう。
「話がまとまったようだな。ていうか事件を起こしかけた人間が責任を取るのは当たり前だからな? 退職程度で済ませてやった俺に感謝するんだな」
「……ご温情……感謝致します……」
悔しかった。
1対1だったらまた殴りかかっていたかもしれない。
でも社長が居る手前、そんなことは出来ない。
もうこれ以上会社に迷惑もかけたくない。
「二つ、実は私の息子も声優をやっておりましてな。ユニット活動というものに興味を抱いているみたいなんですよ。
その言葉を聞いて俺は瞬時に理解した。
小林夏之。
このおっさんの息子で今勢いのある人気声優。
つまり今までのこと全部、自分の息子を春夏秋冬に入れる為の作戦だったのだ。
何がちょうど穴の開いたユニットだ。
全部自分が仕組んだことだったんじゃないか。
「そ、それは、すぐには決められることでは……それに他のメンバーがどう思うか……」
「ほぉ。つまり他のメンバーを納得させられれば愚息を春夏秋冬のメンバーに入れてもらえるということで?」
「…………」
「ならばその役目は俺に任せてくれ。こう見えても交渉事には自身があるのでね」
嬉々として目を輝かせる小林。
話術に自信を持っているようだが、あの春子達がそう簡単に納得するもんか。
俺は心の中で交渉が決裂することを強く願った。
「3つ目。これが最後の要望だ。実は新・春夏秋冬には一つ大きな仕事を任せようと思っているのですよ。今度映画化する『転生未遂から始まる恋色開花』というライトノベル作品を知っておりますかな? その作品のメイン声優に4人を抜擢してもらう計画が進んでいる」
「……はぁ」
そのライトノベル作品なら俺も知っている。一般層にも大きく知れ渡っているほどの人気作品だ。
そんな人気作に抜擢されるなんてすごく名誉なこと。
だけど社長の反応は薄い。
一度に色々なことが起きすぎて脳が追いついていないのか、それとも目の前の男に対しての嫌悪感が脳を支配して何も考えられずにいるのか。
その表情から社長が何を思っているのか全く読むことができない。
「ですが、タダで声優抜擢されるほどこの業界は甘くないことはご存じでしょう?」
「……まぁ」
「だから俺から映画ディレクターに話を付けますよ。ですが、そのディレクターは結構色好きでしてねぇ」
嫌な予感がする。
オーディションも無しに声優が抜擢されるなど普通ならば起こらない。
原作者から強い要望があったとか、そういう特別な事情がない限りは厳正な審査があるはずだ。
その審査を免除して声優に抜擢されるケース。
非現実感過ぎてそんなこと実際にあるはずがないと囁かれてケースでもあるが……
それは実際に目の前で起こり得ようとしていた。
「ディレクターは羽嶋春子の大ファンらしくてね。いやね、一晩だけ春子をお借りできればこの件を快く引き受けてくれそうなんですよね」
悪質な——裏接待による抜擢である。