「この度は自分なんかを企画に取り上げてくれて本当に感謝しております。本日はどうかよろしくお願い致します」
「ああ。よろしくさん。どうぞ座ってくれ」
春子達から企画了承を得られた当日。
その日の夕方に夏樹翠だけを小さな会議室に呼び出して、小林は早速インタビューに乗り出していた。
翠斗と小林ディレクターの他にはカメラマンしかいない。
そのカメラマンの顔には見覚えがあった。
「あ、あの、もしかして後ろにいらっしゃる方って、人気声優の小林夏之さんではありませんか?」
「ああ。そうだ。俺の息子だ」
「息子!?」
「あっ、僕のことは気にしないでください。父の手伝いに駆り出されただけなので。今日の僕はただのカメラマンです」
「そうそう。緊張しないでくれたまえ」
「は、はぁ。あの小林夏之さんに撮られているってだけで緊張フルMAXなのですが……ま、まぁ、なるべく気にしないよう頑張ります」
思えばこの辺からおかしかった。
ディレクターの息子とはいえ、自分よりも遥か格上の声優がカメラマンを担当することなどあり得るだろうか? なぜプロを使わないのか? あの夏之が言いなりになるくらい目の前の男はすごい男なのか? 様々な疑惑が浮かび上がるが、翠斗は一旦余計な考えは除去することにして、インタビューに集中した。
「さて、最初の質問だ。春夏秋冬のお荷物の夏樹君。自分だけ置いて行かれて今どんな気持ちかね?」
「———————は?」
「正直に答えてくれたまえ」
「ちょ、ちょっと、いくらなんでも、そんな質問——」
「早く答えろって言ってんだよ! 俺らに時間を取らせるつもりか?」
「……!?」
突然雰囲気が変わった。
にこやかだった表情が突然一転し、まるで極道のような睨みを翠斗に放ってくる。
その圧に驚きながら、翠斗は質問の答えを正直に返した。
「……今のユニットの現状は俺の実力不足が招いた結果だと思っています。春子も千秋も冬康も不甲斐ない自分に気を使ってくれているもわかる。だから俺は仲間の為にもっと努力し、いつか自信をもって彼らと肩を並べられる存在になっていきたいと思っています」
「そうか。ちなみに『いつか』っていつだ?」
「そ、それは……」
「5年後か? 10年後か? お前が飛躍するまで具体的にいつまでかかる? その間、仲間たちにずっと気を遣わせる気なのか?」
「くっ……! そ、そんなに待たせるつもりはありません! 1年後……っ! 1年後くらいには俺だって」
「1年? たった1年でゴミ声優が人気声優になれるわけねーだろ? キミは聡明な男だと思っていたが、思ったより現実が見えていない愚か者だったんだな」
「…………」
なんだこれは?
どうして自分は見ず知らずの中年にそこまで言われなければならないんだ?
このインタビューは企画の一環と言っていた。
この二人は、今のやり取りを動画化させるつもりなのか?
「次の質問だ。足手まといの夏樹君はいつグループを抜けるのでしょうか?」
「…………」
この時点でさすがの翠斗も察した。
目の前の男の目的は自分を春夏秋冬から離脱させること。
そんなことをしてこの男にどんな利があるのかは知らないが、彼は本気で追い出そうとしていることは場の空気でわかった。
だからこそこんな理不尽許さない。許したくない。
「自分はいつまでも春夏秋冬のメンバーです。これからも粉骨砕身の覚悟で活動を行って参ります! ずっと!」
「それが許されると思っているのかい?」
「はい!」
「…………」
「…………」
——場違いなんだよ。早くユニットから自主離脱しろ。
そう目で訴えかけられているが、翠斗は逃げず、真正面から対峙した。
こんな理不尽に追い出されてたまるか。お前の思い通りになってたまるか。
その反骨精神だけが今の翠斗を支えている。
「……
「……っ!?」
「そう思ったことはねぇか?」
「ど、どうして……」
どうしてそれを——と言いかけて翠斗は慌てて口を紡いだ。
それは心の奥底で生まれていた亀裂。
深層心理の底の底。
誰にも聞こえない所から鳴き叫ぶ心の声。
【春子は顔が良いから売れたんだ】
亀裂の隙間からそのような感情があふれ出そうになったことがあるのは事実。
だけどそれは外に漏らしたりしていない。
脳内にしまい込んだはずの感情をどうしてこの男が知っている?
「……『如月冬康はスタッフに取り入るのが上手いから役を貰えている』」
「……!!!」
小林という男は翠斗の脳内しまい込んだ声を拾い上げてくる。
それは酷い嫉妬の感情。
決して声に出すことの許されない悪魔の言葉。
「……『
「やめろ!!!」
ついに叫び出してしまう翠斗。
小林は口元でにやりと笑い、追撃を掛けてくる。
「俺はこの業界でお前みたいなやつを何人も見てきた。周りだけ売れて自分が売れない。そういう声優がたどり着く感情は決まって『嫉妬』なんだよ」
「ち、ちが——」
「違わねえだろ? お前だって嫉妬したはずだ。なぜ周りだけ売れた? なぜ自分だけ売れない? 『自分より実力が下の仲間だけなぜ売れる』と」
「……っ!!」
「お前はその中でも最も分かりやすかった。春子の容姿目当てのファンを見て嫌悪してただろう? 冬康がスタッフに取り入ろうとして飲みの機会を設けていたことをくだらないと思っていただろう? 歌はうまいけど棒演技の千秋に呆れていただろう?」
「違う! そんなのお前が勝手に言っているだけだ! 俺は……そんなこと思ったことなんて………………」
「言葉が詰まったな。ん~! 誠実だねぇ夏樹君。嘘を吐きたくないって感情は美学だよ。俺は初めてキミを見直したなぁ」
「…………」
言葉に詰まってしまったという事実が翠斗を俯かせる。
気づいていた。
心の奥底で囁き続ける悪魔の存在を。
【春子は顔が良いから売れたんだ】
【千秋は歌唱力は凄いが演技は素人レベル】
【冬康はスタッフに気に入られたから役を貰えているだけ】
悪魔は今もささやき続けている。
「正に図星を付かれたって感じだな。俺の読みも錆びついていないようだ。ちなみに、他の3人がお前のことをどう思っているか、俺の読みを伝えてやろうか?」
「……や、やめ……!」
「——まず冬康。アイツはお前のことを勘違い野郎って思っている。演技の実力があると思い込んでいるだけの雑魚。演技力に関しては実は自分とそうレベルは変わりない。だから冬康はその実力不足をコミュニケーションで補っているのに夏樹翠はそれをしないバカだ」
「なっ!?」
夏樹翠は声優としての実力はある。
——本当に?
【そう思い込んでいるのは夏樹翠自身のみではないか?】
悪魔の声が新たな言葉を唱える。
「——次に千秋。千秋は確かに演技が下手だ。夏樹翠がその点で上回っていることは素直に認めている。だけど、突出した強みもない夏樹翠は平々凡々。なんの強みのないのなら売れるはずがないだろうと内心で呆れている」
「ぐっ……!!」
千秋には『歌』という飛び抜けた才能がある。
歌番組にも出演したことがある彼女は歌唱力だけで十分食べていける。
——羨ましかった。
突出した才能に嫉妬したから翠斗は彼女の悪い部分だけを見て安心しようとしていた。
【では夏樹翠の強みはなんだ? 演技? 高低ボイス? そんなもの並の声優なら誰でも出来るのではないか?】
「最後に春子だが——いい加減自分に色目を使うのをやめて欲しいと願っている。自分を好きなのは光栄だが、見た目に気を使えない平凡男風情が自分と釣り合っているわけがない。同じユニットの仲間だから仕方なく一緒に居てやっているだけだ」
「……ぐっ!」
好き。
自分と同期で、仲が良くて、いつも励ましてくれて、そして容姿が優れていた春子のことを翠斗は好きだった。
翠斗は感情を隠すのが下手なので、もしかしたら自分の気持ちが春子に伝わってしまっているかもしれないと思っていた。
でもまさかこんな中年に見破られているとは思わなかった。
「俺の読みとしてはこんな感じだ。どうだ? 心当たり大ありといった表情をしているが?」
「…………」
心の奥底に眠らせていた感情を全て読み取った小林という男。
悔しいが、認めたくないが、この男は人の心情を読み取ることに長けているのだろう。
だからきっと……春子達が翠斗に抱いている感情も……この男の言った通りなのだと認めるしかなかった。
「もう一度、お前に同じ質問をしてやろう」
翠斗を絶望に叩き落した男は、淵へと誘おうとしていた。
「春夏秋冬の足手まといの夏樹君。キミはいつユニットから出て行ってくれるのかな?」
「うるさい!!!」
翠斗は小林の胸倉を引っ掴み、拳を大きく振り上げていた。
絶望で頭が真っ白になっており、これ以上この男の声を聞きたくなかった。
だから物理的に黙らせてやろうと、小林の顔面をへこませてやろうと殴りかかったのだが……
翠斗の拳は奴の顔に届くことはなく——
「ぐはっ!!」
逆に顔を殴られて尻もちをついたのは翠斗の方だった。
鼻血をボタボタ垂らし、涙を滲ませながら自分を殴った人物の顔を見る。
それはつい先ほどまでカメラマンをしていた息子——人気声優の小林夏之だった。
「すまない夏樹君! でもキミが僕の身内に暴力を奮う姿を静観することなんてできなかった! 自身の不甲斐なさで頭が真っ白になる気持ちはよくわかる。だから……キミの怒りは僕が引き受けよう!」
なんだこれ。
なんだよそのアニメみたいなセリフ。
まるで正義感溢れた主人公みたいな言葉じゃないか。
「さあ殴れ! キミの気が済むまで僕を殴れ!」
そうか……
彼は正義なんだ……
ディレクターに暴力を奮おうとした自分が悪……
悪は……断罪されなければいけない運命にある。
「う……うわあああああああああっ!!」
翠斗はそのまま泣き崩れる。
鼻血をボタボタ垂らしながら、涙で床を濡らし続ける。
非力で、みっともなくて、今まで溜め込んだ悔しさを爆発させるようにその場で泣き崩れた。
そして泣き続ける翠斗を尻目に——
小林親子がこっそり口角を上げていたことに気が付くことができなかった。