翠斗が七色みどりとして配信活動を始めてから約一ヶ月。
一度手の空いたタイミングで会社に来て欲しいと責任者の朝霧絵里奈より頼まれ、翠斗は一人でVクリエイト事務所に足を運んでいた。
「スイスイ。久しぶりだな。面接の時以来か」
「お久しぶりです朝霧さん」
めちゃくちゃ散らかっている事務室に通され、翠斗は絵里奈と握手をする。
スーツ姿で佇む姿は相変わらず出来る女感はあるのだが、事務所がこうも汚いとその魅力は半減である。
「ごつごつして逞しい手じゃないか。思わず舐めたくなるな」
「うわぁ!? この人レインさんの系譜だ!?」
慌てて距離を取る翠斗。
ガンッと何かにぶつかりガタガタっとその辺の雑貨が床に散らばった。
「悪いな。我が事務所へ久しぶりに若い男が入社してくれたものだから、溜まりに溜まった性欲があふれ出してしまっただけだ。許せ」
「帰ろうかな!?」
「嘘だ嘘だ。まぁ、そう怯えるな。私は天の川レインのようなオープンスケベではない。どちらかというとムッツリタイプだ。ぺろりんちょ」
「お先に失礼しますっ!」
面接の時から思っていたが、この人の距離感はどこかおかしい。
本当にここに入社して大丈夫だったのかと早くも後悔が募る。
「まぁまぁ。緊張を解す為の小粋なジョークだ。そんな本気で拒否反応示さなくてもいいではないか。とにかくそこに掛けたまえ」
「ジョークで指を舐めようとしないでください!」
ハラスメントが厳格化されている昨今の世の中で、まさかこんな直接的なセクハラが待っているとは思わなかった。
翠斗は内心警戒を強めながら絵里奈の対面に腰を下ろす。
「配信活動も順調のようだね。スイスイの配信は見させてもらっているよ」
「あ、ありがとうございます」
七色みどりは約1ヶ月で約300名の登録者数を獲得していた。
その7割近くがささえとレインのリスナーでもあるのだが、初月でこの数字は立派なものである。
「順調に伸びてはいるが、そろそろ一度停滞する頃でもある」
「そう……ですね……」
みどりの放送は雑談、声真似、声リクエスト、音読などがメインだが、一ヶ月もそれが続くと飽きがきてしまう。
ここらで何か新境地の配信をやってみたいと思っていたのも事実だ。
「そこでだ! 私の方からキミに一つプレゼントをやろう!」
言いながら絵里奈はPC画面を操作し、画像集のようなものをモニタに表示した。
どうやら何かのキャラクター図鑑のようであるが……
「も、もしかして——」
「ああ。七色みどりのアバター候補だ」
翠斗はVTuberでありながら自分のキャラを持っていなかった。
でも企業に属せば会社からアバターが用意されると言われており、キャラクター持てる日をワクワクしていた。
こんな突然その日が来るとは思っていなかった故に翠斗の目が少年のようにキラキラと輝く。
「この中から気に入ったキャラがあれば言ってくれ。もし気に入らなければイラストレーター達にもう一度依頼する」
「気に入らないだなんてそんな! 全部素敵なキャラクターです! 本当、俺なんかにはもったいないくらいです!」
事務所所属のイラストレーターでもいるのだろうか、どのキャラクターもタッチが似ており全部同じ人が描いたのかなと思った。
そして『七色みどり』と名前を連想してか、髪の色がレインボーだったり緑色だったりと奇抜な着色が多かった。
「うぉ!? 女の子アバターもいる!?」
「お? それでいくか? 当社はバ美肉も歓迎するぞ」
「しませんよ!?」
バ美肉——バーチャル美少女受肉と呼ばれ、主に男が美少女アバターを用いてVTuber活動する人を刺す。
バ美肉を否定するつもりは一切ないのだが、VTuberビギナーの翠斗には少し荷が重い選択肢だった。
「あれ? このイラスト……」
数個のキャラクター群の中に一つだけ明らかにタッチが違うキャラクターが存在していた。
茶色で短髪の美青年のイラスト。
やや幼い顔立ちでありながら温和そうな優しい瞳に翠斗は思わず目を奪われた。
童顔気味ではあるが、黒いスーツに少し崩したネクタイ姿は大人のアダルトな魅力が滲み出ている。
このアンマッチな組み合わせが翠斗にはすごく魅力的に見えた。
ネクタイピンやラベルピンで身を飾り、清楚に纏まっている。
夏川翠斗は自身の平凡な容姿が嫌いで、髪を染めたり、アクセサリーで飾ったりしている。
でもどこかしっくりこず、中途半端な垢抜け方をしてしまっていた。
目の前のキャラクターは自分が成りたかった姿そのものだ。
だからこそこのキャラに親近感を憶え、目が離せなくなった。
「決まったようだな」
「は、はい。俺、このキャラクターが良いです。このキャラクターが……欲しい」
魅了されたように惚けている翠斗に絵里奈は満足そうに笑みを向ける。
「そのキャラクターを選んでくれて私も嬉しいよ。それを描いた絵師もきっと喜ぶ。絶対にな」
「素敵なキャラを……ありがとうございます! あ、あの、このイラストを描いてくださったイラストレーターさんはなんてお名前なのですか? 直接お礼を言えたりしませんか?」
「言えるさ。その機会はこれから何度でも訪れる。なぜなら、それを描いた男はキミと同期入社をした者だからさ」
「えっ!?」
「もしかしたら面接の時に会ったのではないか? キミの直前に面接をした童顔の男の子がいただろう? 彼だ。彼がそのイラストを描いてくれた」
「あ、あの人が!!」
居た。
面接の日、俺達よりも先に待合室で待っていた黒髪の男の子。
レインが自分の担当絵師だったと言っていた人である。
「(そうか。彼も受かったんだな。同期か。嬉しいな)」
彼も面接や能力オーディションに合格していた。
彼に対して翠斗は素直で礼儀正しい印象を持っていたので単純に嬉しかった。
「彼の著名は
「いえ。彼にピッタリな素敵な名前だと思います」
「ほぉ。随分と彼を買っているな」
「勿論ですよ。だってこんな素敵な絵を描ける人ですよ? 物凄いクリエイターなのは間違いないじゃないですか!」
「……ふっ。そうだな」
改めてスーツ姿のキャラクターを七色みどりのアバターとして受け取ることを書面で同意した。
早ければ来週にもこのキャラクターで配信が出来るらしい。
今からその日が楽しみで仕方がない翠斗であった。
「いい機会だ。今後VTuber活動を行っていく中で気になっていることやわからないことがあれば聞いてくれ」
ある。
翠斗は絵里奈に聞いておかなければいけないことがあった。
しかし、それを訪ねてしまうとたった今取り決めた契約すら破棄になりかねない。
だけど、このことは避けては通れない。
だから勇気を出し、思い切って聞いてみた。
「朝霧さん。当社のVTuberって恋愛OKなのでしょうか?」