コラボ配信の数日前。
配信内容の打ち合わせをしているとレインは不意におかしなことを言い出してきた。
「ささメンの皆に謝りたい?」
「……はい」
対面でしおらしく俯いているレイン。
どうして急に謝罪とかいう話になったのか、全く心当たりのないささえは頭にクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げていた。
「翠様とささえちゃんの2回目のコラボってワタクシがしつこくコメントで『今日はみどり様はいらっしゃいませんの?』って聞きまくっていたことが発端ですわよね?」
「……あー」
それだけではないのだが、それも大きな理由の一つという事実がある故に何とも得ない表情で頬をポリポリ掻くささえだった。
「しかも聞くだけ聞いたら、さっさと放送から退出して……リスナーの皆様にもささえちゃんにも不快感を与えてしまったと思うのです」
「私は全く気にしてなかったよ」
「……ありがとうございます。ささえちゃんも、翠様も、ささメンの皆様も、きっとお優しいから許してくれるのでしょうね」
「そうだね。良いリスナーに恵まれたなっていつも思ってるよ」
「それでも一時期荒らしみたいなことをしていたことは謝りたいんですの。ですので今度のコラボの時、2~3分で良いので謝罪の時間を頂けませんか?」
「うーん……」
正直いってささえは謝罪など必要ないと思っている。
レインのやったことは別に荒らしでも何でもないからだ。
確かに少しだけモラルに欠けた行動だったかもしれないが、配信には自由がある。
配信に来る来ないは自由、最後まで見る見ないも自由、コメントするしないも自由。
あまりにも不快なコメントをする人は配信者側からブロックすることだってできる。
でもささえはそれをしていない。
つまり配信者自身が問題ないと判断したのだから、レインの行動はリスナーの『自由』の範疇であるのである。
「私的にはそんなことして欲しくないな」
「で……でも……」
「レインさんとのコラボはずーっと楽しい時間じゃないとヤダ!」
「ささえちゃん……」
謝りたいレインと謝ってほしくないささえ。
平行線で譲らない二人。
少し不穏な空気が流れ出したがそれを取っ払ったのは一つのささえの提案からだった。
「じゃあさ、こうしよ! 私に負い目があるのなら私のお願いを聞いてもらえる?」
「え、ええ! 何でもおっしゃってくださいませ!」
「コラボ配信で私が音読する予定のレインさんの小説だけどさ、私好みの内容のモノに変更させてもらってもいいかな?」
「え、ええ。それくらいでしたら勿論良いですわよ。どんなお話にしたいのですか?」
「それはね——」
こうして決まったのが『とあるアパートの隣人物語』。
ささえの決意が籠った純愛物語。
ささえがこの物語を利用して翠斗に想いを伝えるつもりだと理解したレインは——
「そのご依頼、喜んでお受け致しますわ」
意外にもあっさりと了承してくれたのだった。
放送終了後、レインは自室で多幸感に浸っていた。
短い時間ではあったけど、ささえとのコラボは楽しかった。
いや、それよりもまず『安堵』した。
ささえがレインのことを嫌っている可能性はあると思っていたからだ。
ささえからしてみれば天野麗という存在は、気になる人との間に入って来た邪魔者でしかない。
ささえが気にかけていた人を奪おうとする泥棒猫。
歓迎される立場にないことは最初から分かっていた。
嫌われるのが当然だと思っていた。
でもささえはレインの友達になってくれた。自分を姉のように慕ってくれた。
だからコラボを持ち掛けてくれた時、涙が出そうなくらい嬉しかった。
その日からレインの中で別の感情が生まれ始めていた。
この子にもっと敬られたい。
初めて出来た妹分の為に何かしてあげたい。
そんな想いがあったからこそ、レインはささえの提案を迷うことなくOKした。
恋のライバルであるささえを後押しすることになってしまう行為ではあるが、レインは後悔などしていない。
むしろささえの為になることが出来て大いに満足していた。
「でも、翠様のことを諦めたつもりではありませんわよ。ささえちゃん」
例え妹分でも好きな人を易々と渡すつもりはない。
ささえとは良い友人であり、良い姉妹であり、そして良いライバルでありたい。
そしてこの三角関係の行方がどうなろうと、揺らぐことのない友情は築いていきたい。
天の川レインは心からそう思ったのであった。
ささえとレインのコラボ配信を見終えた翠斗はPCの前で呆けていた。
正確には配信の途中でささえにキスされた瞬間から完全に思考停止状態に陥っていた。
だけど唇に触れた感触だけは生々しく鮮明に覚えている。
ささえには懐かれているとは思っていた。
だけどそこに桃色な感情があるのかはわからなかった。
だけど、先ほどの一件で確信してしまった。
さすがに分かってしまった。
ささやきささえは夏川翠斗を好きになってくれているのだと。
その好意を向けられて翠斗の胸中にある感情は——
「嬉しい……嬉しい……!」
歓喜である。
ささえが翠斗を好いてくれているように、翠斗もささえのことを気になっていた。
だから両思いが発覚して嬉しくないわけがない。
「キスされて……嬉しかったな」
ささえにキスされて嬉しかった。
気になっている女性から想いを寄せられて悶え死にそうになる。
「——じゃあもう一回お願いします」
「えっ——」
背後に立っていた人影に全く気が付かなかった翠斗。
不意に声を掛けられて目を見開きながら振り返った。
その瞬間、翠斗の唇に柔らかい感触が当たる。
それは数分前に味わったモノと同じ感触だった。
「~~~~っ!?!?」
ささえの顔が目の前にあった。
トロンと熱の籠った視線が突き刺さり、翠斗は魅了されたように動けなくなっていた。
唇同士が触れ合う感覚は先ほどよりもずっと長く、時が進むと共に心臓の音は大きな高鳴りを轟かせる。
不意に翠斗の上唇がささえの唇に挟まれる。
味わったことのない未知な感覚が翠斗に痺れを齎し、ただただその甘美な感触に浸るしかできなくなっていた。
しかし、ささえの猛攻はこれだけに留まらなかった。
「~~~~~~っ!?」
一瞬。
それはほんの一瞬だった。
翠斗の口内にヌルッとした感触が侵入し、それが翠斗の舌に触れた。
その瞬間、ささえの顔は翠斗から離れた。
「ぷはぁ~! この一瞬に生きているなぁ!」
「あ……あ……あ……」
「もぉ~、翠斗さんツッコミ忘れているよ? 『俺とのキスは晩酌と一緒なんかい!』って言いながらささえのおでこをビシッと突かなきゃ」
「あ……あ……」
「んふ。これは完全にささえにメロメロになってるな? うんうん。良い傾向だよ。これでこそ一歩踏み出した甲斐があったってもんだ」
「あ……」
「なんかダメージが大きそうだから今日はこれくらいで勘弁してあげる。んふふ。翠斗さん。ごちそうさまでしたっ。10秒チャージかんりょ~っと」
パチンっと可愛らしくウインクをしながらささえは手を振りながら大穴の奥へと潜っていく。
自室のシャワー室へささえが消えていく姿をぼーっと眺めていた翠斗はやがてゆっくりと現実を認識する。
「さらっととんでもないことして、何事も無かったように帰るなぁぁぁ!!」
その魂からの叫びはアパート中に響き渡る。
こうして波乱まみれの一日が騒がしく幕を閉じることとなるのであった。