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第37話 閑話:亀裂


    【main view 夏川翠斗(2年前)】



 羽嶋春子はしまはるこ佐伯千秋さえきちあき如月冬康きさらぎふゆやす、そして夏樹翠なつきすい

 名前に季節の文字が入った俺達は『春夏秋冬』というアイドル声優ユニットを組んでいた。

 若手で年も近かった4人。

 声優としての人気も高く、最も勢いのあるメンバーで構成された。


 ——俺以外は。


 グループの皆がどんどん主役級のキャラを担当するようになっているのに、俺だけが役を貰えず伸び悩んでいた。


「だ、大丈夫よ! 翠くんは実力があるんだからきっとすぐに認めてもらえるって!」


 そう励ましてくれたのは春子。

 俺と同期であり、事務所で最も売り出されている声優だ。

 積極的に顔出しも行っており、この間春子が表紙になった雑誌も本屋で見かけた。


「ありがとう。春子にそう言ってもらえると勇気が出るよ。俺ももっともっと頑張らないとな」


 春子の励ましを素直に受け止め、礼を言う。

 春子は俺の肩をポンポンと叩き、ニコっと微笑んでくれた。

 自分だけ売れないことを嘆いていても何も始まらない。

 それが自分の実力だと受け止めなければいけない。

 そう自分に言い聞かせるように叱咤し、俺は顔を上げた。



 ——が、突如、視界がグラッと揺れ動いた。




 ——同時に悪魔のような声が脳裏に響いてくる。







【春子は顔が良いから売れたんだ】







「……!?」


「す、翠くん!? どうしたの!?」


「……えっ?」


「急に崩れ落ちるように膝を付くからビックリしたわ!? 気分でも悪いの?」


「い、いや、なんでもない。ありがとう」


 さっきのはなんだったんだ?

 俺は……今……何を……考えた?




【春子は顔が良いから売れたんだ】




 俺が……そんな酷いことを考えたのか?

 そんな馬鹿な。

 春子が売れたのは声の実力だ。

 清涼感あるボイスが認められて彼女は今の地位を手に入れたんだ。

 心の底からそう思っている。

 そう——思っている——はずなんだ。


    ピキリ


 俺の中で何かの亀裂が生じたような痛みが奔った。








 春夏秋冬のグッズ販売イベントが行われた。

 春子のグッズはすぐに売り切れたのだが、良い事ばかりではなかった。

 彼女のグッズを求めてきてくれた女の子がその場で泣き出してしまったのだ。


「泣き止んで。お嬢ちゃん」


「ぅ……ぐす……」


 俺が女の子の頭を撫でると、女の子の涙が止まる。

 でも悲しそうな表情であることには変わりはない。

 わざわざ来てくれたのに何も手に入れられずに帰ることになるなんて可哀想すぎる。


「そうだ。これを良かったらキミに——」


「うわああああああああん!!」


「…………」


 俺は自分のグッズを渡そうとするが、女の子は更に大泣きしてしまう。

 バカか俺は。

 この子は春子のグッズを目当てに来てくれたのだ。

 別の物を渡されても……気分が晴れるわけないよな。

 俺は自分の行いを後悔した。


 俺はスタッフさんに頭を下げて、展示用の見本を女の子に譲れないかお願いを申し出た。

 春子も一緒に頭を下げてくれて、無事女の子にもグッズが渡る。


「お嬢ちゃん、良かったね~。これからも私達を応援してね」


「うん! これからもずっと頑張ってください! 春子おねーちゃん!」


 展示用の見本を売るなんて本来はいけないこと。

 でもこの子の笑顔を見られたのであれば俺の行為は正解だったのかもなと思えてくる。


「さいん、もらませんか?」


 女の子がもらったばかりのグッズを広げて、ペンを春子に差し出した。


「こら! あまりわがまま言わないの!! すみません」


 保護者の方が女の子を叱咤する。

 春子は苦笑しながら女の子が差し出したペンを受け取った。


「これでいいのかな?」


「うわぁ。ありがとう春子ちゃん!」


 サインをもらった女の子は嬉しそうにグッズを抱きかかえている。

 そのまま帰るのかなと思いきや、今度はそのまま冬康の所に掛けていった。


「さいん、くれませんか?」


「おっ、僕も? いいよ。よろこんで」


 冬康も嬉しそうにペンを受け取り、春子のサインの隣に文字を書き記していた。


「さいん、くれませんか?」


 今度は千秋の元でも同じようなやり取りが行われていた。


「どうもすみません」


 女の子のお母さんが申し訳なさそうにメンバーに頭を下げている。

 メンバーの皆は全く迷惑なんて思ってないらしく、終始微笑ましそうに女の子の動きを見つめていた。

 そして——


「さいん、ありがとうございました」


 サインをもらった女の子はメンバーに深く頭を下げていた。

 その様子にメンバーと女の子のお母さんが『えっ?』という顔を少女に向けていた。

 彼女の胸には春子、冬康、千秋のサインが掛かれたグッズが大切そうに抱きかかえられている。

 その中に俺のサインは……なかった。


「みーちゃん? このお兄ちゃんのサインは?」


「いらない」


「で、でも」


「いらないの。かえろ~」


 笑顔で去っていく女の子。

 お母さんは申し訳なさそうに一礼し、女の子を追いかけていく。

 メンバー3人は視線を彷徨わせながら気まずそうに口を閉ざしてしまった。


「(これが……ユニットの現実か)」


 改めて自覚する。

 俺とメンバー間にはここまでの格差があるのだと。


    ピシリッ


 また一つ、脳に亀裂が増えたような痛みを感じた。


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