隣の席で顔を曇らせた真下。
母さんが来たという事を知ったのが何かまずかったのか? それとも両親が揃ってきていない事に呆れているとか? などと色々と考えが巡るけど、教壇に居る先生が生徒手帳を配るのは中盤を過ぎたくらい。
「なぁ……」
「え?」
周囲に聞こえないくらいのささやき声で話しかける。俺から声を掛けられるのに驚いた真下が今度はしっかりと俺の方へとその顔を向けた。
――やば!! コイツめっちゃかわ……。
話しに聞いていた通りに、『どこどこ坂』とかいうアイドルグループに居ても驚かない。その整った顔立ちで大きな黒い瞳に吸い込まれそうになるのをこらえ、俺もその顔面偏差値に負けない様にと真下の方を見る。
「何でそんな顔してるんだ?」
「え? そんな顔って……?」
「なんというかその……絶望してますみたいな、そんな顔だよ」
「してませんけど?」
「はぁ? その顔で? マジで言ってる?」
「どうして初めて顔を合わせるあなたに私の事が分るの?」
「え? いやまぁ……そう言われると……」
「放っておいて……」
「す、すまん……」
確かにコイツの言っている事は間違いじゃない。俺が勝手に『そう思っただけ』であって、実際のコイツがどう思っているのかなんて、その顔色を窺っただけじゃわからないのは確かだ。
――だけど……。
俺はもう一度真下の方へと視線を向けた。
――やっぱり、俺にはそう見えるんだよな……。
「はいそこ!!」
「え!?」
教壇から名前じゃなく、それまでのスムーズな流れを遮って先生から声が上がる。そして視線も先生の指も間違いなく俺の事を捕えていた。
「あのなぁ、初日から仲良くなったのはいい事だし、ましてそれが女子生徒だから浮かれるのは分かるけど、初日くらいは俺の話を真面目に聞いてくれよ? 先生泣いちゃうぞ?」
急に泣きまねを始める先生と、それにつられてクラス中から笑い声が上がる。
「ま、という事で泣くのは今度にして、続けるぞ~」
泣きまねを止めて顔を上げると、満面の笑顔を見せる先生。そしてまた生徒手帳を配り始める。
「怒られちゃったわね」
「まぁ、今のは俺が悪いし……」
「気を付けないとね」
「あぁ……」
今度は真下の方から声を掛けてきて、ちょっと注意された。でも声色には先ほどの様な静かな悲しみのような者は含まれておらず、逆にとても優しく穏やかなモノだった。
――何なんだよこの差は……。
戸惑いながらも、それからはしばらく大人しくすることにして、生徒手帳が渡される順番を待つ。
「次は御影」
「は、はい」
名前を呼ばれてガタガタと音を鳴らしながら席を立ち、教壇へ向けて歩いていく。
「はい。入学おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「どうだ? 成功したのか?」
「え?」
スッと俺の耳元で小さな声で話す先生。
「ナンパしたんじゃないのか?」
「ち、違いますよ!!」
両手をばたつかせ、大きな声で否定する。
「あははははは。そうか。まぁ仲良くなるのはいい事だけど、人の話はちゃんと聞けよ?」
「は、はい。すみません」
「ほい。それじゃおしまい。はいじゃぁ次はぁ、真下」
先生にまさかあの場でからかわれるとは思っておらず、かなり心臓がバクバクしたまま席へと戻る。
入れ替わりで真下が先生の元へと歩いていくが、すれ違いざまにふんわりと花のような香りが漂う。
しかしその香りを確かめている余裕なんて無くなってしまっていた。
「はい。では生徒手帳も渡し終わりましたので、今日はこれで入学式と注意事項の伝達を終わります。この後は各自保護者の方々と一緒に、必要な物販を購入する事になりますので、それぞれに必要なモノが買える場所へと移動してください。改めまして――」
それまで少しふざけた雰囲気を出していた先生が、スッと姿勢を直す。
「生徒の皆さん、そして保護者の皆様、高校入学おめでとうございます」
いい終わるとスッと静かに頭を下げた。
すると保護者の居る方から拍手が沸き起こる。
「以上です。本日はお疲れ様でした。これにて解散です。お気をつけておかえりになられてください」
手をドアの方へと示し、これで終わりだと宣言する先生。それからそれぞれが動き出した。
それを見届け、先生も笑顔を見せ教室を出ていった。
「ちょっと拓!!」
ごすっ
「ん? あ、いってぇ!!」
名前を呼ばれて振り向いた瞬間に頭に鈍い痛みが走る。ちょっとだけ目から火花が出たと思う。
「恥ずかしいでしょ!! 今日は初日なのよ? しっかりしてよもぉ~」
「いや、俺だって別に目立ちたくは無いんだよ……」
「何言ってんの!! あんなみんなの前で注意されてて目立たないはずないでしょ!!」
グッとまたこぶしを握る母さん。
「クスクス……」
「ん?」
隣から可愛らしい笑い声が聞こえて、その方向へと視線を向ける。
「あ、ご、ごめんなさい」
「ん? いやまぁ別にいいけどさ……」
「あ、改めまして私は真下瞳です」
「お? おぉ……」
「おぉ……じゃないでしょ!! あんたって子は全く!!」
再び母からありがたぁ~い痛みを頂く。
「いって!! あ、そっか。お、俺は御影!!
「うん。よろしく……」
頭をさすりながら改めて名乗ると、クラスのそこかしこで同じような光景が見られた。
「さて、これから体育館に行かないといけないのね」
「そうみたいだな」
「じゃぁ行きましょうか……って」
母さんが移動を始めようとすると、隣に居た真下に視線を移し何かを考え始める。
「あの……私はこの子の母親です。初めましてよろしくお願いしますね。それでちょっとお聞きしますけど……」
「はい?」
母さんは真下へと話しかけ始めた。
「真下さんでいいかしら?」
「えぇ。真下でも瞳でもどちらでも大丈夫です」
「その……親御様は?」
「…………」
真下は母さんの質問に対して返事をする事も無く俯いてしまう。その様子を見た母さんが俺を見てにこりと微笑んだ。
「じゃぁ瞳ちゃん」
「はい?」
「一緒に行かない?」
「え? で、でも……」
俺を見る真下。
「いいからいいから!! ね? いきましょうよ。せっかくだしお話ししてみたしね。ね? ダメかしら?」
「えっと……その……」
「いいんじゃね? 真下――さんさえよければ一緒に行こうぜ」
「……いいの?」
「もちろんいいって。母さんも言ってるしな。それにさぁ」
「それに?」
「荷物そんなに持てないじゃん?」
「……うん。ありがとう」
何とも泣きそうで笑いそうな、そんな不思議な表情をした真下が、地小さな声をこぼす。
「決定ね!! じゃぁ行きましょう!! ねぇ瞳ちゃんは何処の中学校から?」
「えっと私は――」
決定したとばかりに先に真下と共に歩き出した母さん。俺の事など既に興味の範疇には無いらしく、実の息子を置いてけぼりにしたまま二人で揃って歩いていく。そうして教室の出入り口のドア付近まで来た瞬間に、振り返る事も無く俺にだけ分かるように右手を上げ親指をグッと上げた。
――まったく……。さすが母さんだな……。
母さんの後ろ姿を見ながら、俺は大きなため息を一つつき、そうしてようやく俺も体育館へと向かい足を踏み出した。