最初の会話はそれだけ。
これだけで
忘れてはいけないのが、この日は入学式当日である。
周囲は知り合いや、新しいクラスメイトになった人達と早くも話題を見つけて話しが盛り上がりを見せている中、俺はというと何も言わずただ黙っているだけ。
まぁそれは俺だけじゃなくて、彼女も全く身じろぎもせず、先ほど下を向いた時からまったく顔を上げる事無く、時間だけが過ぎていた。
「お待たせ!! お待たせ!!」
黒板に書かれた『本日の予定』に入学式開始の時間が書かれていたのだが、ウチのクラスの担任の先生はというと、そんな言葉を大きな声で言いながら入り口のドアを勢いよく開け放ち、15分前になってようやく教室へと入って来た。
「はい!! 注目ぅ~!! まずは入学おめでとうございます!! 何かの縁が有って皆この学校へと入学してきた、同級生で同期です。これから3年間……。いや、まぁ何かあれば4年間になるかもしれないしそれ以上になるかもしれないが」
そこで息を入れる担任の先生。言い終わると微かにクスッと教室の中で笑いが漏れる。
「まずは簡単に挨拶すると、私がこのクラスの担当になった
がたた
がた
先生の指示に従がって、教室の皆が席を立ち、廊下へと移動を始める。
出席番号順というので、廊下側からの席のやつらからまずは廊下へとでていき、御影という『ま行』の俺はけっこう後になって出ていく事になる。
――ん? 何してんだコイツ……。
俺が席を立ち、移動しようとしたところで、蕎麦に座る一人の生徒に目が留まる。
「なぁ」
「…………」
「なぁってば!!」
「……え?」
「皆先に行っちまうぞ」
それまでずっと座ったままでいた真下に声を掛けたけど、あまりにも反応が薄い。
「行かないのか?」
「行くわよ」
「なら早くいこうぜ」
「……そうね」
ガタガタと音を立てながら立ち上がり、ふわりと髪をなびかせながら廊下へと歩いていく真下。
「……まぁいいけどな」
何かを期待したわけじゃないが、一言位あってもんじゃないか? と思わなくもないが、今は先を急いだほうがいいと思うので、俺も真下の後を追う。
少しだけ離れてしまったウチのクラスの列へと追いつくと、真下はまた下を向いたままで前の人の後を追っていた。
「…………」
「なに?」
「あ、いや、なんでも……」
「じゃぁあまり見ないで」
「す、すまん……」
――こわ!!
ちょっと、ほんとうにちょっと見ていただけなのだが、真下はソレをしっかりと確認できたようで怒られてしまった。
――おいおい……この先の高校生活大丈夫かぁ? 不安になって来たぜ……。
大きなため息をつきつつ、この先の1年間に想いを馳せ、どんよりとした重い気持ちになったまま静かに歩いていく。
入学式っていうのはどうしていつも似たり寄ったりの事をして、時間ばかりを使うのだろうか……。
確かにめでたい日ではあるが、何もわざわざ来賓のお言葉とかいらないと思わないか?
校長先生のありがたくもなが~いお言葉を聞きながら、あくびをかみ殺す。
体育館に入るなり、中央に出来た花道を通り、男女で左右に分かれて座るのだが、俺は御影という苗字でもわかる通り、最後尾に近い。
あまりにも暇になってしまっていても、周囲には知り合いなんて居るわけがないし、頼みの綱である幼馴染の柊斗とは距離的にも結構ズレている。
何度も襲い来るあくびをかみ殺していると、ようやくありがたぁ~いお話しが一段落ついて、入学式の締めの挨拶が行われ、クラス毎にまた退場する。
担任の先生がそれぞれの受け持ちクラスの前に立ち、立ち上がっている俺達に合図をして歩き出した。
――ふぅ~。ようやく暇な時間が終わったぜ……。
ちょっと気が緩んだのか、歩き出して体育館から出た瞬間に「ふぁ~」と大きなあくびが出てしまった。
その場面を、合流していた女子列の隣に居た真下に見られてしまった。
ニコ
――え? なに今の?
真下が俺を見て微笑んだような気がするのだが、気のせいか?
自分の目を疑って真下の方へとしっかりと目線を向けると、先ほどまでの俯いたままの真下ではなく、今度はしっかりと顔を上げ前を向いて歩いている。
――おお!! まつ毛なっが!!
横顔だけとはいえ、ようやくしっかりと真下という女子の顔を見ることができ、改めて思うのだが、確かに柊斗や陸上部のやつらがうわさにしていたのがよくわかる。
スッと通った鼻筋に大きな黒い瞳を持ち、肌は陸上部で野外を走っていたにしては驚くほどに綺麗な肌をしていた。たぶんモデルさんとかアイドルに居てもおかしくないくらい。それほどまでにこの真下瞳という女の子が魅力的な存在だという事が、いくら鈍い俺にだって理解できる。
理解はできるが、そこから何かが起きるなんて事を考えられるほど、俺の脳内はお花畑でハッピー野郎なわけじゃない。
そんな事を考えていたら、ふと目が合った真下に指で『前を向け』とゼスチャーされた。
それに俺は親指を少しだけ立てて応える。
にこり
――っ!?
先ほどとは違う、今度は未間違いじゃなく、俺に対して微笑んだ彼女の顔を見て、俺の心拍数が飛び跳ねた。
――っぶね!! 破壊力ありすぎるだろコイツ……。
自分に言い聞かせるようにして、ようやく鼓動を静まらせ、心の中を悟られない様に、俺も今度はしっかりと前を向いて前のクラスメイトの後を追った。
入学式というイベントが終わると、そのまままた教室へと戻り、今度は
俺達が先に体育館から出て教室の中へと入っていると、一旦先生は弾き戻っていき、今度は担任の先生と共に、保護者の方達も一緒に教室の方へとやって来て、教室の後ろ側の入り口から入り、そのまま俺達の後ろに立ち並ぶ。
その引率が終わった先生が、今度は前の入り口から入って来た。
「さて、入学式お疲れ様でした。保護者の皆様、そしてこのクラスになった皆、改めて入学おめでとうございます!!」
スッと頭を下げる先生。それにならって俺達も頭を下げた。
「本日はこれから少しの間ですがこれからの事と明日の事に関しての説明をしまして、その後はですね、先ほどの体育館ともう一つ第二体育館という場所、そして購買部にて、必要なモノなどの物販となりますので、皆様宜しくお願いします」
先生がそこから先ほどまで黒板に書かれていた日程や、席順などを消していき、これから学校で生活するにあたっての注意事項などを説明し、入って来る時に重そうにして持ってきていた段ボール箱を教壇の上へと上げ、中からごそごそと取り出す。
「これから、生徒手帳を渡します。この生徒手帳の中に書いてある校則をしっかりと呼んでください。そして失くしたりした時は速やかに報告して欲しい。今はこれ一つでもえらいことになる時代だからな。では名前を呼ばれた者から前に着て受け取ってください。阿部――」
名前を呼ばれるまではまだ少し時間がるので、俺達の後ろにいるはずの母さんへと視線を向けると、それに気が付いた母さんが小さく手を振ってくれた。
「お母さん?」
「え?」
小さな声だったけど、隣りからまさか声を掛けられるとは思わずにビックリして少しだけ大きな声が出てしまう。
ちょっとだけ周囲から視線を感じて気まずくなる。
「ごめん……」
「あ、いや、うん……」
居心地の悪さを感じ取ったのだろう、真下が小さな声で謝ってくれた。
――なんだ……いい子じゃん……。
たったそれだけの事だけど、先ほどまで俺の中で固まりかけていた『真下瞳』という女の子について、少しだけその塊が和らいだ。
「そっか……お母さんが来てくれたんだね……」
ポツリと呟かれた小さな、ほんとうに小さな声だけど、その声色と共に俺の耳にはしっかりと聞こえていた。