リモート会議の画面の向こうで、北斗が思いっきり頭を下げた。
『すまん!!』
……いや、なんか土下座レベルの謝罪なんだけど。
「えっと、何が?」
『運営のミスで俺たちの出演時間、三十分前倒しになっちまった……! 交渉してみたけど、もう変更はできないらしい』
「……は?」
固まる俺。その横で、画面の隅に映る真珠が申し訳なさそうに小さく手を振っている。
『だから、俺たちの到着が間に合わない可能性が高いんだ! こっちのスケジュールもギリギリで、どう調整しても厳しい』
「ちょ、ちょっと待てよ……ってことは、俺たちだけで?」
『優と美弥で、最初の三十分をなんとかしてほしい。悪いけど頼む!』
俺はしばらく言葉を失った。突然すぎて、頭が追いつかない。これってつまり、最初の三十分、俺と美弥だけでライブを回せってことか? そんなこと、一度もやったことないのに……。真珠と北斗がいない状態で、美弥と二人でライブを繋ぐ?
『モデルの撮影が立て込んでて、俺たちは本番まで合同練習できないんだ。悪いけど頼む!』
「……え?」
一拍置いて、俺は思わず聞き返した。
「ちょっと待てよ。本番まで一回も四人で合わせないで、ぶっつけ本番ってこと?」
『そういうことになるな……』
「いや、それってヤバくない?」
心の準備もできてないうちに、とんでもないミッションを押し付けられた気分だ。
でも、今さら無理だと言える状況でもない。
「……わかったよ」
ため息混じりに、そう返すしかなかった。
そして今、俺はピアノの前に座っている。
ここは美弥の両親が経営しているライブハウス『VERSUS』。ライブスペースだけでなく、防音設備の整ったスタジオも併設されていて、バンドや個人練習にも使われている。美弥はここで音楽に触れて育ち、今もこの場所を練習の場として利用しているらしい。
美弥は幼い頃からここで音楽に触れ、自然と演奏を覚えていったそうだ。そんな彼女にとって、この場所は単なるライブハウスではなく、家そのもののようなものなんだろう。
そんなことを考えながら、俺はふと周囲に目を向けた。
歴代のライブポスターが並ぶ壁、程よく抑えられた照明、そして静かに響く機材のノイズ。このスタジオは、ただの練習場所というよりも、美弥にとっては長年慣れ親しんだ空間なのだろう。
ふと視線を前に戻すと、美弥がいつの間にかギターを抱えて椅子に座っていた。
俺の様子をじっと見つめながら、無表情のまま、いつもの静かな声で言う。
「じゃあ、やろっか」
「うん」
淡々としたやり取り。でも、今日はこれから二人だけでライブの前半を支えるための練習。そう考えると、気持ちがぐっと引き締まる。
鍵盤に指を置き、最初の音を鳴らす。美弥もそれに合わせてギターを弾く。
「……違う」
開口一番、美弥が静かに言った。
「どこが?」
「ここはギューンって流して、そのあとドドドッて感じ」
「……うん?」
俺は思わず手を止めた。
「美弥、ちょっと待て。ギューン? ドドドッ?」
「そう。ギューン、でドドドッ」
美弥は相変わらず無表情。まるで天気予報でも伝えているかのような淡々としたトーンで言う。
「……えっと、もう少し具体的に説明してくれないかな?」
「説明してる」
「いや、してるつもりかもしれないけど、俺には全然伝わら――」
「ギターなら伝わる」
そう言うと、美弥はギターの弦を軽く弾く。たしかに、音の流れはわかった。けど、理論的な説明は……。
「……待て待て待て。いや、美弥って、もっと理論派だと思ってたんだけど」
「そう?」
「いやいやいや、そうでしょ!? いつも冷静で無表情で、いかにも"数値で語るタイプ"って感じなのに、ここにきて"ギューン"は予想外すぎるよ!」
「音楽は感覚が大事」
あまりに当然のように言われて、俺は返す言葉が見つからない。
「……そうか。でも俺にはギューンの概念がないから、せめてBPMで言ってくれないかな」
「……優P面倒くさい」
「どっちがだよ!」
無表情のまま、バッサリ切られた。なんでこんなに会話がかみ合わないんだ!?
「じゃあ、もう一回」
そう言って、美弥はまたギターを弾く。俺もそれに合わせてピアノを弾くが、次の瞬間、美弥がまた止めた。
「……ノリが悪い」
「え?」
「優Pの音、ボカロみたい」
「ボカロみたい?」
「楽譜通りに弾いてるだけじゃ、ライブは盛り上がらない」
確かに、俺の音楽はボカロ向けに作ったものが多い。でも、それをライブでそのままやると、違和感があるのかもしれない。
「もっと"生"の音を出して」
「生の音……?」
「楽譜通りに弾くだけじゃなくて、音を感じて弾く」
淡々とした言葉。でも、美弥の指はギターの上で確かに感情を持って動いている。俺は鍵盤を見つめながら、ゆっくりと考えた。
「でも、感情を込めるって……どうやるんだ?」
「考えすぎ。優Pはもっと耳で音を感じて」
「耳で感じるって……それ、どういうこと?」
俺は眉をひそめ、美弥の表情をうかがった。だが、彼女は相変わらず淡々とした顔のまま、ギターの弦を指で軽くはじいている。その手元には迷いがない。まるで、頭で考えるよりも、体が音を知っているかのようだった。
「とりあえず合わせる」
「ちょっと待って!? 俺、今"感情を込める方法"を考えてるんだけど!?」
「合わせる」
美弥は俺の言葉なんて聞いていないかのように、ギターを構え直した。指が自然と弦の上を滑り、次のフレーズへと流れるように進んでいく。
「え、いやいやいや、そこ流していいとこじゃないよね!? 俺の悩むターン、飛ばされたんだけど!?」
「合わせる」
「……はい」
結局、美弥のペースに巻き込まれながらも、俺は鍵盤に指を置く。
この先、大丈夫なんだろうか……?
そう考えたのも束の間、美弥がギターを持ち上げ、すっと立ち上がった。
「ついて来て」
「え?どこに?」
俺が聞く間もなく、美弥はスタジオのドアを開け、迷いなく歩き出す。
「移動する」
「いや、だからどこに?」
状況が飲み込めないまま、俺は仕方なく後を追う。
スタジオを抜けて廊下を進み、別の扉を開けた先に広がっていたのは、まるでライブハウスのような空間だった。
「ここって……?」
「うちのステージハウス」
美弥がそう言いながら扉を開くと、目の前には小さなステージが広がっていた。その上には、先ほど挨拶を交わしたばかりの美弥の両親が、リラックスした様子で俺たちを待っていた。
「おーっ!!優!!また会ったな!!」
ギターを肩にかけた陽気な男性、美弥の父、
「未来の息子君、また会えて嬉しいわ」
色気たっぷりの美人な女性、美弥の母、
「え……未来の息子?ちょっと待って、それってどういう意味……?」
俺が混乱しているのをよそに、美弥は淡々とした口調で言う。
「……普通に紹介した」
「普通の基準おかしいよね!」
俺のツッコミもまるで聞いていないかのように、智樹さんと美菜さんは楽しげに俺の肩をポンポンと叩いてくる。
「いやぁ、美弥がね、『優Pは未来の旦那様』って紹介するもんだから、もうそういうことかと思ってさ!」
「いや、違いますから……!」
「そんな照れなくてもいいのよ? ねぇ、智樹」
「おぉ、もちろんさ、美菜」
突如始まる夫婦のラブラブモード。
いや、音楽の練習に来たはずなのに、なんで夫婦のラブラブショーを見せられてるんだろ……。
「優Pに見せたいから、ちょっと手伝って」
美弥が何事もなかったかのように、俺に視線を向ける。
「見せるって何を?」
「セッション」
「え?俺、まだ心の準備が……」
「おぉ、それならパパたちに任せなさい!!」
智樹さんは勢いよくギターを手に取ると、満面の笑みを浮かべた。
「さぁ、未来の息子、お前も来い!!」
「だから、その未来の息子ってなんなんですか……」
俺の抗議なんて聞こえないかのように、智樹さんはギターを掻き鳴らし、美菜さんはスティックを手に取った。
「じゃあ、美弥、行くぞ!」
「……うん」
そして、始まる即興セッション。
ギターが鳴らすエネルギッシュな音。
そして、美菜さんの力強いドラム。
美弥も、それにぴたりと寄り添うようにギターを奏でる。
一音ずつ、互いの音が交じり合い、まるで会話をしているようだった。
音の掛け合いが続く中で、誰も言葉を発さない。なのに、それぞれの演奏が自然と互いを引き寄せていく。
この空間には、言葉はいらなかった。
音楽が、すべてを語っていた。
圧倒されるように息を呑んだ。まるでステージの上に別の世界が広がっているような感覚。息遣いまで感じられるような生の音楽が、全身を包み込んでいく。
「すごい……」
思わず呟いた。
「優Pも、弾いて」
「いや、待って、俺、楽譜がないと……」
「優P、音楽に譜面は必要か?」
「いや、まぁ……普通は……」
「じゃあノリでやれ!」
「その理屈はおかしい!」
俺は鍵盤を見つめる。
でも、気づけば指先が少しずつ動き出していた。
「……やるしかないか」
静かに息を整え、俺は鍵盤に触れる。
音が重なり、響き合う。
俺は息を飲み、音に集中した。鍵盤から生まれた旋律が、美弥たちの演奏と絡み合い、一つの流れになっていく。即興なのに、まるで前から決まっていたような調和。
一瞬、鍵盤の上で指を止める。
美弥のギターが先へと進む。智樹さんのリズムがそれを支え、美菜さんのドラムが勢いをつける。
音が波のように押し寄せ、俺を包み込んでいく。リズムが、音が、呼吸するみたいに自然に絡み合っていく。
「……こういうことか」
気づけば、俺の口元に、微かな笑みが浮かんでいた。