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第36話 三十分の埋め合わせ、ロックで決めろ!

 リモート会議の画面の向こうで、北斗が思いっきり頭を下げた。


『すまん!!』


 ……いや、なんか土下座レベルの謝罪なんだけど。


「えっと、何が?」


『運営のミスで俺たちの出演時間、三十分前倒しになっちまった……! 交渉してみたけど、もう変更はできないらしい』


「……は?」


 固まる俺。その横で、画面の隅に映る真珠が申し訳なさそうに小さく手を振っている。


『だから、俺たちの到着が間に合わない可能性が高いんだ! こっちのスケジュールもギリギリで、どう調整しても厳しい』


「ちょ、ちょっと待てよ……ってことは、俺たちだけで?」


『優と美弥で、最初の三十分をなんとかしてほしい。悪いけど頼む!』


 俺はしばらく言葉を失った。突然すぎて、頭が追いつかない。これってつまり、最初の三十分、俺と美弥だけでライブを回せってことか? そんなこと、一度もやったことないのに……。真珠と北斗がいない状態で、美弥と二人でライブを繋ぐ?


『モデルの撮影が立て込んでて、俺たちは本番まで合同練習できないんだ。悪いけど頼む!』


「……え?」


 一拍置いて、俺は思わず聞き返した。


「ちょっと待てよ。本番まで一回も四人で合わせないで、ぶっつけ本番ってこと?」


『そういうことになるな……』


「いや、それってヤバくない?」


 心の準備もできてないうちに、とんでもないミッションを押し付けられた気分だ。


 でも、今さら無理だと言える状況でもない。


「……わかったよ」


 ため息混じりに、そう返すしかなかった。





 そして今、俺はピアノの前に座っている。


 ここは美弥の両親が経営しているライブハウス『VERSUS』。ライブスペースだけでなく、防音設備の整ったスタジオも併設されていて、バンドや個人練習にも使われている。美弥はここで音楽に触れて育ち、今もこの場所を練習の場として利用しているらしい。


 美弥は幼い頃からここで音楽に触れ、自然と演奏を覚えていったそうだ。そんな彼女にとって、この場所は単なるライブハウスではなく、家そのもののようなものなんだろう。


 そんなことを考えながら、俺はふと周囲に目を向けた。


 歴代のライブポスターが並ぶ壁、程よく抑えられた照明、そして静かに響く機材のノイズ。このスタジオは、ただの練習場所というよりも、美弥にとっては長年慣れ親しんだ空間なのだろう。


 ふと視線を前に戻すと、美弥がいつの間にかギターを抱えて椅子に座っていた。


 俺の様子をじっと見つめながら、無表情のまま、いつもの静かな声で言う。


「じゃあ、やろっか」


「うん」


 淡々としたやり取り。でも、今日はこれから二人だけでライブの前半を支えるための練習。そう考えると、気持ちがぐっと引き締まる。


 鍵盤に指を置き、最初の音を鳴らす。美弥もそれに合わせてギターを弾く。


「……違う」


 開口一番、美弥が静かに言った。


「どこが?」


「ここはギューンって流して、そのあとドドドッて感じ」


「……うん?」


 俺は思わず手を止めた。


「美弥、ちょっと待て。ギューン? ドドドッ?」


「そう。ギューン、でドドドッ」


 美弥は相変わらず無表情。まるで天気予報でも伝えているかのような淡々としたトーンで言う。


「……えっと、もう少し具体的に説明してくれないかな?」


「説明してる」


「いや、してるつもりかもしれないけど、俺には全然伝わら――」


「ギターなら伝わる」


 そう言うと、美弥はギターの弦を軽く弾く。たしかに、音の流れはわかった。けど、理論的な説明は……。


「……待て待て待て。いや、美弥って、もっと理論派だと思ってたんだけど」


「そう?」


「いやいやいや、そうでしょ!? いつも冷静で無表情で、いかにも"数値で語るタイプ"って感じなのに、ここにきて"ギューン"は予想外すぎるよ!」


「音楽は感覚が大事」


 あまりに当然のように言われて、俺は返す言葉が見つからない。


「……そうか。でも俺にはギューンの概念がないから、せめてBPMで言ってくれないかな」


「……優P面倒くさい」


「どっちがだよ!」


 無表情のまま、バッサリ切られた。なんでこんなに会話がかみ合わないんだ!?


「じゃあ、もう一回」


 そう言って、美弥はまたギターを弾く。俺もそれに合わせてピアノを弾くが、次の瞬間、美弥がまた止めた。


「……ノリが悪い」


「え?」


「優Pの音、ボカロみたい」


「ボカロみたい?」


「楽譜通りに弾いてるだけじゃ、ライブは盛り上がらない」


 確かに、俺の音楽はボカロ向けに作ったものが多い。でも、それをライブでそのままやると、違和感があるのかもしれない。


「もっと"生"の音を出して」


「生の音……?」


「楽譜通りに弾くだけじゃなくて、音を感じて弾く」


 淡々とした言葉。でも、美弥の指はギターの上で確かに感情を持って動いている。俺は鍵盤を見つめながら、ゆっくりと考えた。


「でも、感情を込めるって……どうやるんだ?」


「考えすぎ。優Pはもっと耳で音を感じて」


「耳で感じるって……それ、どういうこと?」


 俺は眉をひそめ、美弥の表情をうかがった。だが、彼女は相変わらず淡々とした顔のまま、ギターの弦を指で軽くはじいている。その手元には迷いがない。まるで、頭で考えるよりも、体が音を知っているかのようだった。


「とりあえず合わせる」


「ちょっと待って!? 俺、今"感情を込める方法"を考えてるんだけど!?」


「合わせる」


 美弥は俺の言葉なんて聞いていないかのように、ギターを構え直した。指が自然と弦の上を滑り、次のフレーズへと流れるように進んでいく。


「え、いやいやいや、そこ流していいとこじゃないよね!? 俺の悩むターン、飛ばされたんだけど!?」


「合わせる」


「……はい」 


 結局、美弥のペースに巻き込まれながらも、俺は鍵盤に指を置く。


 この先、大丈夫なんだろうか……?


 そう考えたのも束の間、美弥がギターを持ち上げ、すっと立ち上がった。


「ついて来て」


「え?どこに?」


 俺が聞く間もなく、美弥はスタジオのドアを開け、迷いなく歩き出す。


「移動する」


「いや、だからどこに?」


 状況が飲み込めないまま、俺は仕方なく後を追う。


 スタジオを抜けて廊下を進み、別の扉を開けた先に広がっていたのは、まるでライブハウスのような空間だった。


「ここって……?」


「うちのステージハウス」


 美弥がそう言いながら扉を開くと、目の前には小さなステージが広がっていた。その上には、先ほど挨拶を交わしたばかりの美弥の両親が、リラックスした様子で俺たちを待っていた。


「おーっ!!優!!また会ったな!!」


 ギターを肩にかけた陽気な男性、美弥の父、綾瀬智樹あやせともきさんが俺に向かって手を広げる。


「未来の息子君、また会えて嬉しいわ」


 色気たっぷりの美人な女性、美弥の母、美菜みなさんが微笑みながら手を振る。


「え……未来の息子?ちょっと待って、それってどういう意味……?」 


俺が混乱しているのをよそに、美弥は淡々とした口調で言う。


「……普通に紹介した」


「普通の基準おかしいよね!」


 俺のツッコミもまるで聞いていないかのように、智樹さんと美菜さんは楽しげに俺の肩をポンポンと叩いてくる。


「いやぁ、美弥がね、『優Pは未来の旦那様』って紹介するもんだから、もうそういうことかと思ってさ!」


「いや、違いますから……!」


「そんな照れなくてもいいのよ? ねぇ、智樹」


「おぉ、もちろんさ、美菜」


 突如始まる夫婦のラブラブモード。


 いや、音楽の練習に来たはずなのに、なんで夫婦のラブラブショーを見せられてるんだろ……。


「優Pに見せたいから、ちょっと手伝って」


 美弥が何事もなかったかのように、俺に視線を向ける。


「見せるって何を?」


「セッション」


「え?俺、まだ心の準備が……」


「おぉ、それならパパたちに任せなさい!!」


 智樹さんは勢いよくギターを手に取ると、満面の笑みを浮かべた。


「さぁ、未来の息子、お前も来い!!」


「だから、その未来の息子ってなんなんですか……」


 俺の抗議なんて聞こえないかのように、智樹さんはギターを掻き鳴らし、美菜さんはスティックを手に取った。


「じゃあ、美弥、行くぞ!」


「……うん」


 そして、始まる即興セッション。


 ギターが鳴らすエネルギッシュな音。


 そして、美菜さんの力強いドラム。


 美弥も、それにぴたりと寄り添うようにギターを奏でる。


 一音ずつ、互いの音が交じり合い、まるで会話をしているようだった。


 音の掛け合いが続く中で、誰も言葉を発さない。なのに、それぞれの演奏が自然と互いを引き寄せていく。


 この空間には、言葉はいらなかった。


 音楽が、すべてを語っていた。


 圧倒されるように息を呑んだ。まるでステージの上に別の世界が広がっているような感覚。息遣いまで感じられるような生の音楽が、全身を包み込んでいく。


「すごい……」


 思わず呟いた。


「優Pも、弾いて」


「いや、待って、俺、楽譜がないと……」


「優P、音楽に譜面は必要か?」


「いや、まぁ……普通は……」


「じゃあノリでやれ!」


「その理屈はおかしい!」


 俺は鍵盤を見つめる。


 でも、気づけば指先が少しずつ動き出していた。


「……やるしかないか」


 静かに息を整え、俺は鍵盤に触れる。


 音が重なり、響き合う。


 俺は息を飲み、音に集中した。鍵盤から生まれた旋律が、美弥たちの演奏と絡み合い、一つの流れになっていく。即興なのに、まるで前から決まっていたような調和。


 一瞬、鍵盤の上で指を止める。


 美弥のギターが先へと進む。智樹さんのリズムがそれを支え、美菜さんのドラムが勢いをつける。


 音が波のように押し寄せ、俺を包み込んでいく。リズムが、音が、呼吸するみたいに自然に絡み合っていく。


「……こういうことか」


 気づけば、俺の口元に、微かな笑みが浮かんでいた。

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