放課後、校門を出たところで、僕は完全に固まっていた。
それもそのはず。目の前には金髪で長身、目を引くほど整った顔立ちの男子が立っている。周りを囲むように集まる女子生徒たちはみんな目を輝かせて、彼を眺めている。誰がどう見ても、少女漫画から抜け出してきたような存在――それが北斗。
「え?あの金髪の人誰?」
「もしかして北斗さんじゃない?」
「え?なんで天川と一緒にいるの?」
「天川って、真珠ちゃんと仲いいって話の……」
ざわざわとささやき声が広がる。
胃が、痛い。
それにしても……。
本当に顔が良い。間近で見ると、ますます完璧な美形だ。鼻筋の通った端正な顔立ちに、さらさらと風になびく金髪。睫毛なんて、もう少女漫画のヒーロー級だ。
王子様って、本当に存在するんだな……。
納得するしかない。だって、どこから見ても文句なしの王子様だ。僕なんか、横に並んでいるだけで公開処刑レベルなのに。
でも、感心している場合じゃなかった。
「何ガンつけてんだ……喧嘩売ってんのか、てめぇ……?」
「ひっ!?」
顔が良くても、めちゃくちゃ怖い。
いや、そもそも僕は見惚れてただけで、喧嘩なんて売るつもりないんですけど……。
思わず数歩下がりそうになる足を、何とか踏みとどまらせる。
いや、ここで引いたらダメだ……真珠にふさわしい男か、ちゃんと確かめるんだ
震える膝を必死にごまかしつつ、無理やり胸を張る。……実際震えてるけどここは我慢。
そこに、真珠の声が響いた。
「あ~!もう北斗ったら、そうやってすぐ喧嘩売らないの!」
少し怒ったように走ってくる真珠。その姿に、少しだけ緊張が和らぐ。北斗は「ちっ」と舌打ちして、顔を背けた。
それでも、その場の空気を変えてくれた真珠の存在がありがたかった。
「優斗もどうしたの?さっきから様子変だよ?」
「あ……ぼ、僕……俺はいつもと変わんないよ」
必死に男らしく取り繕おうとするけど、声は微妙に裏返りそうだった。
真珠が小さく首を傾げて、くすっと笑う。
「何それ、もう優斗ったら」
その笑顔に、心臓がドクンと高鳴る。
「真珠、お前の知り合いか?」
北斗が不機嫌そうに尋ねると、真珠はにやっとして、北斗の耳元に顔を寄せ、小さな声で囁いた。
「昨日言ったでしょ、優Pとクラスメートになったって」
周りに聞こえないように、声を抑えている。
「……お、お前が……!?優P!?」
次の瞬間、北斗が僕の肩をガシッと掴んだ。
「い、いたたたたた!」
強い。握力、ヤバい。肩、外れる。
「もう!北斗ったら!」
真珠が慌てて僕と北斗を引き離す。
「もう!北斗ったらくっつき過ぎ!」
真珠は少しムッとした声を上げながら、北斗の袖を軽く引っ張った。
「ここじゃ目立ちすぎるから、どこか喫茶店でも行かない?」
真珠の提案に、北斗は「ああ」と素直に頷く。真珠の袖を引く手は自然に北斗の腕へと移り、そのままぴったり並んで歩き始めた。
僕は肩をさすりながら、二人の後ろにぽつんとついていく。
すぐ目の前で、真珠が北斗の腕に自然に手を絡めるのが見えた。指と指が触れ合う距離感が、余計に僕の目を引く。北斗は何も気にする様子もなく、それを受け入れている。
「ねぇねぇ、あの時の写真、まだ持ってる?」
真珠の弾んだ声が、すぐ目の前から聞こえる。
「持ってるわけね~だろ、バカ。あんなもん速攻捨てたわ」
北斗は素っ気なく返しながらも、口元は少し緩んでいる。
「そうやってすぐ意地悪言うんだから」
真珠が北斗の肩を軽く押して、「嘘つき」と笑いかけると、北斗はちょっと面倒くさそうにしながらも、真珠の額をコツンと弾いた。
その何気ないやり取りが、どうしようもなく親密に見えて、僕は無意識に拳を握る。
僕の知らない時間が、二人には確かにある。
何なんだ、この二人だけの空気。
それでも何かを期待してしまっている自分が、ひどく情けなかった。
そう思いながら、歩き続ける足はいつの間にか喫茶店の前に辿り着いていた。
自動ドアが静かに開き、ほのかに漂うコーヒーの香りが鼻をくすぐる。店内は放課後らしく、制服姿の学生やノートを広げる大学生らしき人たちがあちこちに座っている。テーブルの上には飲みかけのドリンクや、スマホを操作する手が動いていた。
僕たち三人は、入り口近くで少し立ち止まり、店員に案内されるまま奥の窓際の席へ向かう。
真珠と北斗は、当然のように並んで座る。
僕は自然と、向かい側の一人席へ。
窓の外には夕方の街並みが広がっているはずなのに、視線はずっと目の前の二人に吸い寄せられていた。
ちらちらと感じる周囲の視線。耳に飛び込んでくる小さなささやき声。
「見て、あの二人……」
「美男美女カップルじゃん」
「似合い過ぎでしょ~」
わざと聞かせるつもりはないんだろうけど、その言葉は僕の胸に鋭く突き刺さった。
どうして、僕はここにいるんだろう……なんだか途端に虚しくなる。
目の前の二人の空気は、僕には一生手が届かない場所に思える。
そんな僕を他所に、北斗が無言で鞄を探り始めた。
不機嫌なままかと思ったら、なんだか妙に真剣な表情でゴソゴソしている。その仕草につられて僕も真珠も自然と目を向ける。
何を取り出すのかと思ったら、出てきたのは真っ白な無地の色紙。
「ん?これ……?」
何が起きているのかわからず、思わず首を傾げる僕の目の前に、北斗は勢いよく色紙を置いた。ドンッという音が、やけに大きく響く。
「北斗ずるい!抜け駆け!」
真珠が頬をぷくっと膨らませ、僕を見ずに北斗に抗議する。
「うるせぇ、こういうのは早いもん勝ちなんだよ」
北斗は、ふっと悪戯っぽい笑みを浮かべる。その笑顔が妙に楽しそうで、いつもの不機嫌顔とのギャップがすごい。さっきまでの威圧感はどこへ消えたんだ。
「ずるい~私も欲しい私も欲しいぃ~!」
僕はまだついていけず、キョロキョロと真珠と北斗を交互に見比べる。
そんな僕の戸惑いを無視するかのように、北斗は突然ペンを僕に向かって投げてきた。
そのまま少し息を吸い込んだものの、なんだか言いにくそうに口をもごもごさせている。
何か言おうとしてる?でも言葉が出てこない?そんな微妙な沈黙に耐えきれなくなったのは、僕の方だった。
「えと、何ですか……?」
恐る恐る声をかけると、北斗は目を逸らしたまま、ボソッと呟く。
「……サイン……してくれ」
「えっ……?」
思わず変な声が出た。いや、ちょっと待ってほしい。サインって……僕に!?
「え、え!?なんで僕なんかにサインなんですか!?いやいや、絶対おかしいですよ!僕……あ、いや俺、そんなのしたことないし!」
パニックでわたわたと両手を振るけど、北斗は目線を逸らしたまま、「いいから」とぶっきらぼうに言い放つ。
なんで!?っていう疑問と、訳のわからない状況に、頭が追いつかない。
「適当でいいから。気持ちがこもってれば、それでいいんだよ」
真珠がクスクス笑いながら、「北斗、意外とミーハーだね」と茶化す。
「うるせぇ!」
北斗が言い返すものの、その耳は真っ赤になっていた。耳まで染まった赤が、金髪の隙間からちらちら覗くたびに、思わず目が引き寄せられる。
ちょっと、いや、かなり可愛い。あれだけ王子様オーラ全開だったのに、こういう時は一気に年相応の男の子に見える。
北斗はそっぽを向いてるけど、耳の赤さは隠しきれていない。照れ隠しに態度を強くしてるのがバレバレだ。
こんなギャップ、ずるい。
僕は変にドキドキしながら、震える手で人生初のサインに挑戦する。
「名前、入れます?」
「俺の?……あ、うん」
「北斗さんへ、でいいですか?」
その言葉に、北斗が一瞬びくっと肩を揺らした。
「えと……も、桃子で……」
「え?」
「ほ、本名だよ……北斗は活動名だ。俺の本名は如月桃子だ!」
言いながら、北斗は目を伏せて、耳だけじゃなく顔まで真っ赤に染まっている。
あんなに堂々としてたのに、本名を言うのが恥ずかしいなんて、ギャップが大渋滞してる。
僕は思わずペンを止め、目を見開いた。
「えええええええ!?」
数秒遅れての僕の心の叫びが爆発した。
真珠はそれを見てストローをくわえたまま、プルプルと肩を震わせている。
ついに堪えきれなくなったのか、「ぷはっ」とストローから口を離し、大爆笑。
「桃子可愛よっ!」
真珠に言われ北斗は耳まで真っ赤にしながら、「うるせぇ!」と顔を背けるけど、その横顔も完全に照れ隠しでしかない。
北斗の照れっぷりと真珠の大爆笑が重なって、もう耐えきれなくなった僕の口から、
「桃子て!!」
突っ込まずにはいられない絶叫が、喫茶店中に響き渡った。
北斗は「言うなぁぁ!!」と机に突っ伏して顔を隠し、真珠は涙目になりながら椅子から転げ落ちそうになって笑っている。
僕の情けない叫びと、店中に響き渡る真珠の爆笑。
椅子の上で悶え転がる真珠、顔を真っ赤にして震える北斗、そしてそんな二人を前に、思考が完全に停止した僕。
桃子ショックに飲み込まれた喫茶店に、変な空気が充満していた。