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第18話 彼×彼女

 放課後の教室には、帰り支度を整える生徒たちの雑談や、椅子を引く音が重なり合っていた。窓から差し込む夕陽が、教室の床を橙色に染めている。カーテンがゆるく揺れて、風がふわりと入り込むたびに、何気ない日常の景色が淡く滲んだ。


 僕は自分の席で鞄に教科書を詰め込み、ふっと息をついた。前とは違って今は、帰りの支度をしているときも変に身構えなくなってきた。


 真珠が転校してきてから、といってもまだ一日しか経っていないけど、少なくとも僕にとってこの教室は少しだけ居心地が良くなっているような気がする。


 前みたいにコソコソと逃げ出すように教室を後にしなくてもいいんだ。そんなことを思いながら、鞄のチャックを閉めた時だった。


「あ、あの……」


 小さく震える声が背後から聞こえた。振り向くと、クラスメートの女子二人が、互いに顔を見合わせながら、恐る恐るこちらを見ている。


「な……何?」


 また何か嫌味を言われるんだろうか?そう思いながら身構えると、意外にも二人はぎこちなく笑みを浮かべてきた。


「お昼休みのピアノ……聞いてたんだけど」


「す、すっごく上手だったよ!天川君ってすごいんだね!」


 予想外の言葉に、僕は思わず目を瞬く。からかわれると思ったのに、褒められるなんて。


 どう反応していいか分からず、顔が熱くなるのが自分でも分かった。


「あ……ありがとう」


 消え入りそうな声でそう返すと、二人はどこかホッとしたように微笑み、ぎこちなく手を振って教室を後にした。なんだか夢みたいな出来事に、心がふわふわと宙に浮いたような気分になる。


 そんな僕の背後から、ニヤニヤした声が飛んできた。


「モテモテですなぁ~優Pさん?」


 振り返ると、真珠が両手を後ろに組みながら、悪戯っぽく笑っていた。


「からかうなよ……」


 恥ずかしさを誤魔化すように、僕は小さく睨んでみせる。けれど真珠は全く気にせず、顔をぐいっと近づけてきた。


「お!ため口?その調子、その調子!」


「そ、そんなこと……」


「いいのいいの!ついでに僕、じゃなくて、"俺、ね?」


 無邪気に笑う真珠の顔が近くて、胸の奥がくすぐったくなる。僕が思わず照れながら頷くと、真珠はますます楽しそうに笑った。


 その時だった。


 真珠のスマホが軽快な音を響かせる。


「うそっ!?」


 画面を覗き込んだ真珠の表情が一変し、突然大きな声を上げた。


「ど、どうしたの?」


 スマホを握りしめた真珠が、僕に画面を突きつける。そこには短いメッセージが表示されていた。


『今、学校の前にいる。早く来い。北斗』


「……北斗」


 名前を見た瞬間、胸の奥がチクリと疼いた。


 まただ……。昨日からずっと、このモヤモヤがしつこく居座ってる。


 関係ないって思ってるのに、なんでこんなに引っかかるんだろう。自分でもわからないくらい、気持ちが落ち着かない。


「そういえば昨日、優の新曲聴かせたら、北斗が"本人に会わせろ"って言ってたな~」


「ええ?なんで僕に……?」


「ん~何だろうね?あ、でも大丈夫!ちょっと喧嘩っ早いけど、根は良い奴だから!」


 喧嘩っ早い……。その一言に、僕はますます不安になる。けれど、真珠が誰よりも信頼している相手なら、会わないわけにはいかない気もしてくる。


 それに――


 真珠にふさわしい相手かどうか、見極めるチャンスかもしれない……。


 しかも相手は真珠の彼氏、ならどんな奴かは知っておきたい。


 自分でも驚くような謎の使命感と、胸の奥でざわつく落ち着かない感覚が駆け巡る。なんでそんな気持ちになるのか分からないけれど、気づけば僕は拳を握りしめていた。


「行こう!」


「え?あ、うん。優、何かやる気いっぱいだね……」


 真珠が少し気圧されるほどの勢いで、僕は廊下へと踏み出した。


 放課後の校舎は帰宅する生徒たちでそこそこ賑わっている。教室を出た瞬間、廊下に響く雑談や足音が耳に入ってくる中、僕は自然と真珠の横に並んだ。


 昇降口を抜けると、夕方の空気が肌に冷たく触れた。校庭に差し込む斜陽が、長く伸びる影を作り出している。


 校門までの道を並んで歩いていると、何やら人だかりができているのが見えてきた。ざわざわとした声が耳に入る。


 近づくにつれ、歓声やスマホのシャッター音まで混じり始める。帰宅途中の生徒たちが足を止めて、何かに夢中になっていた。


「生北斗様だー!」


「超かっこいい!」


「えっ、どうしてここに!?」


 黄色い声の中心に立っているのは、細身のシルエットに金髪ショート、切れ長の鋭い目が特徴的な美男子。耳と口元にはキラリと光るピアス。パンク系のジャケットに細身のブラックパンツという、尖ったファッションを難なく着こなしていた。


 圧倒的な存在感に、僕は足がすくむ。それでも、意を決して人混みをかき分け、前へと進んだ。


 ゆっくりと北斗の前に立つ。少し背が高い彼を見上げる形になり、思わず緊張が走る。


 突然現れた僕を見て、北斗は目を細めた。


「あん……?」


 北斗の目がわずかに細くなる。睨まれているというより、どこか警戒されているような気がした。


「なんだ、てめぇ……?」


 僕は一瞬、足がすくみそうになったけれど、ぐっと拳を握りしめ、声を張った。


「僕は……お、俺は、天川優斗だ……です!」


 締まらない……。


 自分の間抜けさが情けなるが、今はそれどころじゃない。


 風が吹き抜け、北斗の金髪がふわりと揺れる。


 鋭い眼光と目が合った。目を逸らさずにいたその瞬間、周りのざわめきが、まるで消えたように感じた。

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