朝、教室の前に立った僕は、軽く息を吸い込んだ。
千秋との話を思い返して、ほんの少しだけ気まずい気持ちが胸に残っている。
それに、昨日から何となく気になっていることがもう一つ。
真珠が楽しそうに話していた"北斗"。
スマホの画面に映っていた、あのモデルみたいな男。
気にする必要なんてないはずなのに、なんだかモヤモヤする。
「……何なんだ」
小さく呟いて、誰もいない廊下に声を溶かした。無理矢理頭を切り替えて、思い切って教室のドアを開ける。
いつものざわついた教室。そして、その中心には――やっぱり真珠がいた。
「えー、スピカさんって動画とか自分で編集してるんですか?」
「モデルの撮影って、どんなとこでやるの?」
次から次へと飛んでくる質問にも、真珠は笑顔でテンポよく答えている。
いつものことだけど、真珠はどこにいてもすぐみんなの中心になる。
それが羨ましいとか、そういう感情は僕にはなかった。
ただ――あの輪の中に、僕が入れるはずもない。
「優!」
教室に入った僕に、真珠の声が飛んできた。僕は思わずビクッと体を震わせる。
すると真珠は、生徒たちの輪を抜けて一気に僕の元へ駆け寄ってきた。
「ちょ、ちょっと真珠……!?」
唖然とするクラスメイトたちをよそに、真珠は僕の腕をガシッと掴む。
「ちょっと来て!」
有無を言わせぬ勢いで、僕はそのまま引きずられるように教室を出た。
ざわつく教室を背にしながら、真珠は人気のない廊下まで僕を連れ出す。
「何?なんかあった?」
僕が不安そうに訊ねると、真珠は満面の笑みを浮かべながらスマホを取り出した。
「ほら、これ見て!」
画面には、見慣れた動画サイトのトップページ。
僕がいつも曲を投稿しているサイトだ。
「……え?」
真珠の指が示す先。そこには「急上昇ランキング」と表示され、その一位に――
『Smash Heart』
そして二位に――
『恋のボルテージ』
「え、何これ……」
聞き慣れないタイトル。けど、見覚えのあるアーティスト名――優P。
「えっ……これ僕の!?」
察しの悪い僕は思わず声を上げる。
すると真珠が頬を膨らませて僕を睨んだ。
「そうだよ!優の曲だよ!」
「えええっ!?」
思いがけない事態にパニックになる。でも、タイトルに全然見覚えがない。
「待って……僕、こんなタイトル付けた覚えないけど!?」
「そりゃそうだよ。だってタイトルなかったし!無題で投稿するわけにもいかないでしょ?」
全く悪びれる様子もなく、あっけらかんと答える。
「だから私がつけたんだ!」
真珠は胸を張って、得意げに言った。
「……っ!!」
頭が真っ白になる。
「『恋のボルテージ』って何だよぉぉぉぉ!!」
思わず叫んだ僕の声が、廊下に響き渡った。そんな僕を見て、真珠は一瞬キョトンとしたあと――
「……あははっ!! いや~、びびっときたんだよね~。可愛いタイトルじゃん!」
悪びれる様子もなく、どこまでも楽しそうに笑う真珠。
「全然可愛くない!ダサい!僕の曲がそんなタイトルで……!」
「いいじゃん、だって急上昇一位と二位、どっちも優の曲だよ?むしろ誇っていいって!」
まったく反省の色が見えない真珠。それどころか、自分のセンスを絶賛されたとでも思っているように、鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌だ。
一位と二位を取れたのは素直に嬉しい。だけど、なんだか釈然としない。
あのネーミングセンスだけは許しちゃいけない気がする……。
「はいはい、そんな顔しないの!」
真珠は僕の肩をポンポンと叩きながら笑う。
「ほら、教室戻るよ!」
「……うん」
納得できないまま、僕は真珠に引っ張られるように教室へ戻った。
教室の中に入ると、チラチラとこちらを見るクラスメイトたち。
「また一緒にいる……」
「あいつ、何なの……?」
そんな声が、ひそひそと耳に入る。
でも真珠は、そんな視線や噂なんて全く気にする様子もなく、いつもの明るさで自分の席へと戻っていく。
その背中を見ながら、僕は思わず小さく笑ってしまった。
――ああいうところ、かっこいいな。
なんだかんだ振り回されっぱなしだけど、不思議と嫌な気分にはならない。
そんなことを思いながら、僕も自分の席に腰を下ろした。