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第14話 私だけが知ってる特別

 登校途中、いつもの場所で待ち伏せる。風にそよぐ髪を整えながら、ちらりと時計を確認した。


 予定通り。優斗は必ずここを通る。昔からそうだ。優斗は、私が見守っていなきゃ危なっかしくて仕方ないんだから。


 人波の向こう、少し猫背でうつむき加減の彼が見えた。目立たないのに、どうしてこうもすぐに見つけられるのだろう。でも多分それは、優斗が可哀そうな存在だからだ。私の目が、彼を見逃すわけがない。


 私にとって優斗君は、最初に好きになった人であり、初恋の相手。あの頃は、どこに出しても恥ずかしくない自慢の彼氏だった。天才ピアニストとして注目され、雑誌に取り上げられるような存在。そんな彼の隣にいることで、私も少しだけ特別な人になれたような気がした。


 だけど、そんな優斗君があまりに眩しすぎて、私はいつも不安だった。隣にいる私は、優斗君の輝きに見合う存在なのか。優斗君にふさわしい彼女なのか。周りからも、「千秋って普通だよね」「優斗君にはもっとふさわしい子がいるんじゃない?」って言われて、そのたびに胸がぎゅっと締めつけられた。


 でも、今の優斗君は違う。ピアニストとしての未来を失い、どこか自信をなくしてしまった。そんな優斗君が私を頼るようになった時、ほんの少しだけ、心が楽になった。優斗君が弱くなったことで、ようやく私は優斗君の隣にいてもいいんだって思えた。


 だから、可哀そうな優斗君は、私が見守っていなきゃダメなの。


「おはよう、優斗君」


 聞き慣れた声に、優斗が足を止める。顔を上げた彼は、少し驚いたような表情を浮かべていた。


「……千秋?」


「びっくりさせちゃったかな。久しぶりにちゃんと話したくて……」


 柔らかく微笑んでみせる。でも、その笑顔の裏では、いつものざわつきが胸を占めていた。


 ちゃんと話して、ちゃんと優斗君の気持ちを確かめて、ちゃんと私が一番だって思わせる。そうしないと、不安になる。最近、優斗君が少しずつ遠くに行きそうで、それが何より落ち着かない。


「今日はね、優斗君にちゃんと誤解を解きたくて」


 誤解を解く。そう言えば、私はちゃんと優斗君を大事にしてる彼女に見える。ちゃんと誤解を解いて、優斗君を安心させて、また私だけを見てもらうために。


「誤解……?」


「うん。優斗君、きっと私と浅間先輩のこと――」


 浅間先輩。その名前を出した途端に優斗君の顔が曇る。ちょっと胸が痛むけど、それ以上に、こうやって私を気にしてくれることが嬉しい。


 浅間先輩とのこと……。みんなに羨ましがられるのは悪い気がしない。浅間先輩が私を特別扱いしてくれるのも、女の子としては素直に嬉しい。だけど、それと優斗君は別。


「誤解も何も――」


「あれは――」


 少し震えた声を作る。優斗君を守りたいって気持ちは本当だし、ちゃんと伝えたい。でも、全部話したら優斗君はどう思うだろう。浅間先輩とのことも、正直気に入ってる部分だってある。カッコいいし、周りからも羨ましがられるし、浅間先輩の彼女って響きも悪くない。でも、それと優斗君への気持ちは違うの。


だから……どちらかなんて、今はまだ選ぶ必要ないよね。


「浅間先輩……私のこと、すごく気に入ってるみたいで。でも、私何度もお断りしたの――」


 浅間先輩に言い寄られ、周りから羨ましがられるのは悪くない気分。でも、優斗君への気持ちも本当なの。優斗君は、私がずっと支えてきたんだから。


「断るたびに、優斗君への態度がどんどん酷くなって……私が断ったせいで、優斗君が――」


 私が悪いわけじゃない。みんなだって、こういうことくらい普通にしてる。表向きの彼氏と、本命は別にいる子なんて、いくらでもいる。私だって特別なことはしてない。むしろ、私ほど優斗君のことを大事に思ってる子なんていないくらい。


「そんなの先生に――」


「無理だよ――」


 優斗君を守れるのは私だけ。そう思ってる。浅間先輩のことは、周りの子だって同じようなことしてる。それでも、私が優斗君を守ろうとしてるのは、誰が何と言おうと本当のこと。そこだけは自信がある。


「でもね……浅間先輩は今三年生だから。あと一年ちょっと、私が我慢すれば――」


 浅間先輩は、今の私にとって優斗君と同じくらい大事な存在になりつつある。優斗君は私にとって特別な人だけど、浅間先輩は私を特別にしてくれる人。どちらも、私が私でいるために今は必要なんだ。景子ちゃんだって分かってくれるって言っていた。


 梢だってそう。浅間先輩が私に言い寄って来だした時、真っ先に浅間先輩との仲を応援してくれたのは梢だった。今の優斗なんかより絶対に良いって……。皆も私のやり方に賛同してくれているんだ。だから何一つ悪い事なんてない。皆が当たり前に思う事を、私も当たり前のようにやってるだけ。


 優斗君に手を伸ばし、その手を握る。優斗君の手は、少しだけ冷たい。でも、この手を握っていると、安心できる。


 優斗君の手を握ったまま、ふと真珠さんの顔が頭をよぎる。昨日転校してきたばかりなのに、どうしてあの子は優斗君のことをあんなに知ってるんだろう。まるで前から優斗君のことを全部知ってるみたいだった。どこかで会ったことがあるの?それとも……何か私の知らない理由がある?


 私だけが優斗君のことを知ってるはずなのに、私だけが優斗君の特別でいるはずなのに。あの子は一体、何者なの?


 知りたい。知っておきたい。私だけが優斗君のことを分かってるはずなのに。


「ねぇ、優斗君……真珠さんって、どうしてあんなに優斗君のこと知ってるの?」


 自分でも驚くくらい自然に口をついた。昨日転校してきたばかりなのに、まるで昔から知ってるみたいなあの距離感。あれが何なのか、知りたい。私の知らない優斗君がいるなんて、耐えられない。


 でも、優斗君が口を開く前に、視界の端にクラスメイトの姿が映った。少し離れた場所に、知ってる子たちが集まっている。


 言葉の続きを飲み込んで、そっと手を離す。


 学校が近づき、生徒たちの姿が見え始める。誰かに見られるのは嫌だから、いつものようにさりげなく手を離す。でも、こうしてまた優斗君と手を繋げたことで、少しだけ安心できる。


 私だけが知っている、特別な関係。浅間先輩といる時には絶対に感じられない、優斗君の小さな温もり。どっちも大事で、どっちも私には必要なの。


 そう、この関係は誰にも壊させない。


 だから、今はまだ――


「じゃあ、またね」


 ――君を離してあげない……。



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