深夜零時。肩まで布団をかけ、冴えた目が天井を覗かせる。SDカードに香奈の怨念を感じると言われて、途端に寝れなくなってしまった。
計画変更後の未来の映像が見たく何度も確認していたのだが、更新がないまま風呂を済ませ、空き時間を小説で潰す。
愛実に事実を伝えることも出来ずに時が過ぎ、もう寝る時間となってしまった。寝る前に一度見たかったが、肝心のカメラは香奈に取られてしまう。浅霧はソファーで寝ることになり、帆野は来客用の寝室を借りることになった。
気遣いで寝室は浅霧にと言ったものの、ソファーで寝るほうがいいと言った理由から、布団で温まっている。
一人になって電気を消した途端、天井が眼前いっぱい広がるも見えないところまで周囲の雰囲気がガラッと変わっていた。
想像ではむしろ気持ちよく寝れると思っていたのだが、思っていた自分自身との状況の違いに、舌打ちをしてしまった。
(しっかりしろ、俺。これじゃあ、香奈さんも安心できないじゃないか)
帆野自身は、殺される理由もない。当然、浅霧も予言を見ているわけでもない。怖がる理由などない。
夜でも冷え込まない季節なのに関わらず、妙な悪寒までがした。
物静かな空間が教えているのに、視覚や聴覚が鋭敏になって、事の次第の妄想を駆り立てる。霊能者の意見が否定された幽霊の存在を強調させていく。
左奥にある箪笥が開くのではないか、天井からなにかが顔を出すのではないか、扉の向こう側から足音がするのではないか、窓は開いていないのに風が吹き抜けるのではないか。
そんなことを一度考えると、止まることを知らない。やがては目を開けることも怖くなり、ぐっとつぶって頭まで布団をかぶり、幼児のように縮こまった。
当然、安心することさえもない。段々と背筋や左足と、先程までの悪寒は手足などの細かい部位に集まっていた。きっといる、そこにいる。
希望とは反対に頭が冴える中、恐怖に恐怖を重ねる。動きさえしなければ、霊的な存在を刺激しないで済むのではないか、大丈夫だと安心して攻撃しないのではないか、そんな根拠もない考えが頭を過った。
浅霧のことが気になり始める。
浅霧はもう、寝に入ったのだろうか。それとも、布団の中で震えているのだろうか。
帆野の印象では、こんなことで怖がるような人ではない肝の座った人だと思っている。もしかすると意外にも堪えられない物もあるのかもしれない。
愛実や香奈は大丈夫なのだろうか。人の心配をしている場合ではないのだが、明日のために羊でも数えて寝ることに専念しよう。
(っていうか、羊で寝れんのかよ)
次第に恐怖の一部は怒りへと変わっていく。なぜこんな理不尽を受けなければいけないのか、そもそも早海を襲う何者かがいなければ、今は安全に自宅で寝ていたというのに。
不意を突くように一階から物音が聞こえる。それは、床を貫くような重い物を落としたような、そんな音。
心臓が一瞬だけ止まったような気がした。目もぱっちり冴えてしまい、きめ細やかな布団の繊維がよくわかる。胸の鼓動が手に取るように、自分の体温が布団に影響を与えていることさえも伝わってくる。
研ぎ澄まされた五感に抗うことが出来ず、周りに意識を集中させてしまう。
(あれ……今)
途端、布団が空気を切って捲れる。いきなりのことに心臓が跳ね上がり、声を上げることすら驚きで叶わない。首に強い圧迫を感じる。苦しさのあまりに過呼吸になり、次第にせき込んでいく。
抵抗のために首元に両手を持っていくが、首を絞められているのに関わらず、手を掴むことさえ出来ない。圧迫の反動で勝手に目が開かれるが、そこには誰の姿も見えない。
(まさか、透明人間?)
今までとは一転して死の恐怖を味わう。
(嫌だ、死にたくない!)
意識が途絶えようとしている中、すっと理由もわからず苦しみから開放された。絶え絶えになった呼吸。
力も戻りつつある体を起こすと、いつの間にかに少しばかり扉が開いていた。誰かがこの部屋に入ったことは間違いない。さっきの苦しみも、恐怖のあまりという錯覚でもない。
(まさか……)
そう一度考え出したら、どうしようもすることが出来ない。
(香奈さん!)
思い至ったすぐに体が動き出していた。客室から飛び出して、気がつけば正面の部屋をノックしていた。しかし、返事がない。
「香菜さん! 大丈夫ですか!」
やむを得ない。飛び入ろうとドアノブに手をかけたとき、グラッと突然、激しい眩暈に襲われて建物自体が強く揺れているように感じた。浅霧が階段から姿を見せる。
「どうしました?」
「大丈夫です」
眩暈に必死で抵抗して中へ入ると、散乱した部屋が眼前に広がる。すぐさまベッドに向かおうとしたとき、既にうめき声が危機を知らせていた。布団の上で暴れている。浅霧が真っ先に向かった。
(俺はどうしよう……)
必死に頭を巡らせていると、この部屋から出さないよう鍵を閉めた方が良いと考えた。もし、これが透明人間だとしたら、幽霊などではないから通り抜けられないかもしれない。
「捕まえられません」
帆野を見遣って、浅霧が答える。
「ええ? そんな馬鹿な」
「無理なんです」
助っ人として向かおうと歩いた時、「なんだよ!」という声が聞こえた。
「出てって!」
香奈の声だ。
「助けようと思って」
と、浅霧が言った。
「余計なことしないで」
そう言われると、足が動かなくなってしまった。怖いわけでも、怒鳴られたからというわけでもない。何故か足が動かなかったのだ。
不本意ながらも遠くから二人のやり取りを見守ることになる。しかし、会話は続くことなく、沈黙が包み込む。香奈に背を向けた浅霧は、声をかけても立ち止まることなく、その足で部屋から出て行ってしまった。
本心とは逆のことを言っている。巻き込まないようにという訳ではないだろうが、意固地になって突き放しているのだろう。こういうときに言葉通りに受け取ってはいけないことを、よく知っている。
「寝れないって言ってましたよね」
「うるさい!」
「俺も、首を絞められたんです」
「しつこい! 帰って!」
「帆野さん」
声が後ろから聞こえたので振り返ると、そこには体を覗かせていた浅霧の姿があった。もう無理だというその瞳に反抗するべく、少しの間、牽制しあったような状態だった。
中に入り込んできた浅霧は、二の腕を掴んできた。ただ、強く引っ張るわけでもない。優しく掴むだけ。そんな拳にわざわざ跳ね除ける意志もなく、仕方ない思いでこの空間から絶った。浅霧は、香菜の部屋から遠くに離れていき、通路の突き当りまで進む。
「私も、絞められたんですよ」
「え?」
「首です」
「ってことは、ここにいる全員が?」
「そうですね」
「まさか」
嫌な予感が頭を過る。
「このまま寝かせないってことですか?」
「だと思いますね」
「透明人間の仕業?」
「さぁ、それはどうだかわかりませんね」
「なんでですか?」
「覚えてませんか? 香奈さんが”最近眠れてない”って言ってたの」
「あ、あぁ、言われてみれば。でもそれは……」
「前から眠れてないのは、このことがずっと起きてるから。そんなチャンスがずっとあったのであれば、もう殺してるんじゃありませんか?」
「確かに」
「よくはわかりませんけど、別だと思いますね。幽霊かもしれません。扉も開けて入ったわけでもないですし」
言われてみれば、確かにそうだ。
「なら、御札をつけましょう。そうすれば」
「試してみましょうか」
「お願いします」
一階にあるレジ袋から御札を取り出し、香奈の部屋の扉の内側に御札を張った。しっかりと二人でその様子を確認した後、それぞれが自分の寝床へと戻る。