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第一話 事の発端

 行きかう車。道路とタイヤが擦れる音。風を颯爽と切る様子を、煌々こうこうと照らされたファミレス内の照明を浴び、歩道のガードレールや木々を背景にして、帆野はなんとか気を紛らわそうと角の席から眺めていた。


 結局あれから、見たことを話せなかった。迷いに迷い、ゴールを目指しているはずの迷路に、望んで迷っているかのように、永遠とぐるぐるしていた。


 不安でご飯も喉が通らない。飲料ばかりを体の中に流していた。話せない自身に行動させたのは、とりあえず傍にいるという回答。話さずに早見を助ければ問題ない、とそんな甘い考えが受動的に受け入れた。


「ねぇ、なんで今日誘ったの?」

 久しぶりに食事に誘ったというのに、帆野が一言も口にしない様子を見てか、早海が不審に感じたらしい。


「え?」

 頭の中は、早海の安全に気を配ることで埋め尽くされており、聞かれた質問もホワイトノイズのようだった。

「飲み物ばっかだし」


 不満げに口にした早海は、頼んだナポリタンをスプーンとフォークを使って、上品に食べていた。上目遣いで見るその目に、真実を見通そうとしている意図が痛々しく、とてもではないが耐えられたものではない。


 凄惨な光景ではないにしろ、外傷もないあまりに綺麗な死にしろ、早海の死を見てしまったという事実に、今でも立ち直れないほどの衝撃を受けている。


 ざわつく心。話すかどうかという葛藤。

(いや……)


「てっきり私、話しすぎたのかと思って、切っちゃったけど。嫌ならいきなり誘うってことはしないだろうし、でも誘ったと思ったらずっとそんな感じだし。なにがあったの?」

「いや……」


 帆野をじっと見つめていた。思わず、その視線から逃げてしまった。頭の奥の方から、わかりやすいため息をついたのがわかる。申し訳ない気持ちに、心が苛まれる。


「こっちも、ずっと気にしながら食べるのもしんどいから、口で言ってくれると嬉しいな」

 スプーンとフォークを丁寧に操っている音が、耳に入る。他の客の声も聞こえるが、神経が研ぎ澄まされ、周りの音などをかき消していた。自然と拳や体が強張っている。


 話していいものか。こんなわけのわからない話をした時に、早海は「それは疲れちゃうね」と疑いもなく信じてくれた。


 だからこそ、きっと“琳に見えた”と話して、怖がらせてしまう。怖がって当然の内容だ。しかし、これ以上引っ張っても、どうにもならない。


 意を決して話そうと思い、早海に視線を向ける。

「いや……」

「うん」

 食べ進めていた手を止めて、話すをじっと待ってくれている。


「前に、話したと思うんだけど、見えちゃうっていう」

 ワンテンポもある沈黙が、変な緊張を誘った。

「うん」

「昨日、話したでしょ? その時に、見えたんだよ」

 明らかに動揺している様子が、見て取れる。

「なにが?」


 さすがにこれ以上、口にすることはできなかった。あまりにも話しづらく、事実から目を背けるかのように、その部分を避けて話してしまった。


「そっか。それは、のど通らないね」

 早海も、頼んでいた自分の烏龍茶を口もとに運び、ストローを咥える。震えているのが、見て取れた。

「ごめん」

「ん? なにが?」


 それ以降、淡々とナポリタンを食べる一方で、会話が続くこともない。最後かもしれないのに、という気持ちを持つこと自体、心をただ蝕む枷となる。


 迫りくる敵は退く、その意気込みはあっても、どこから来るかもわからない敵に、ただひたすら不安にならなければならない。出来ることなら“いつどこで”が知りたいものだが、宝くじで一億円が当たるよう願掛けするに等しい。今言えることは、この日を乗り切れば、もう心配はないということだけだった。


    ・ ・ ・


 とりあえず食べ終わったので、会計を済ませて外へ出る。出て左の歩道を歩けば、早海の自宅へ向かえる。


 人気の多い場所を選べば、多少はマシになるだろうか。しかし、多ければ多いで警戒する相手が増えるため、それはそれで大変なような気がしていた。


「手、握ってもいい?」

 当然、不安にもなるだろう。答えるまでもない。すぐさま手を強く握った。この手を離さない。離してやるものか、という強い意思を込め。


「なに話しても、最後っぽくなっちゃうから、なんか話しづらいね。言いたいことは山ほどあるんだけど」

「大丈夫。まだ決まったわけじゃない。大体、なんでほんとだって言いきれる?」

「じゃあ、なんでそんなに不安そうなの?」

 顔は嘘を付けなったらしい。


「本当かどうかどうであれ、俊は、何度も経験して、何度も当たってきたって気持ちがどこかにあるんでしょ? だから、不安なんでしょ?」


 理解してもらいたいがために早海に話した内容が、今更になって牙をむいている。加えて、信じてくれない予想をして詳細に伝えた、家族の焼け死ぬ映像を伝えたことも、枷になっているだろう。


「信じてるから。大丈夫だよ」

(そう、だよな。悲観してなんていられない)

 無理にでも、前に向こうと気持ちを奮いだたせた。


 この際だから、過敏でもいい。出来るだけ早海を建物側に近づけ、気を配れるよう横に並んで歩く。前から通り過ぎる人たちは、これと言って怪しいところはない。あるいは逆に、全員が怪しく見える。


 睨みつけてトラブルにでもなれば隙を作るし、かといって服装だけで判断しようものなら、大丈夫だと判断した、見ず知らずの他人が害を及ぼすかもしれない。


 外見からの判断など、役に立たないといってもいい。年齢や性別などもそうだ。女性だからと言って安全だとはいえないし、老人だからといって保証はない。確率などに頼って、もし失ってしまったとしたら。


 電車の踏切を超えるも、駅の近くということもあって、コンビニやスーパーが栄えるため、人は未だに消えることはない。


 心ばかりが擦り切れる。こうなると、人通りが少ないところを選びたい。そうすれば、対象が少なくなるのだから、警戒する相手も少なくなる。しかし、もしそうだとして、犯人が複数であると仮定すると、それはそれで人通りが少ない場所は仇となるかもしれない。


 そう思考を巡らせながら、住宅街を狙って、かつ明かりがある道を使い、家に向かって歩いていく。その辺はどうやら、早海も察してくれたのか、帆野がどこに行こうかと迷ってる中、率先して歩いてくれた。とりあえず商店街は抜け、住宅街へと入る。


 道路照明灯が、コンクリートを一定の間隔で足元を照らしていた。その道を真っすぐ行けば、徒歩数分といったところだろうか。横断歩道を二つ渡り、そのすぐ右側に公園がある。時間も時間で、子どもたちもいない。


(……ここまでくれば、あともう少し)

 公園の外側を沿うようにして、右に曲がった。中に長袖長ズボン、フードを被ってポケットに手を突っ込んだ何者かがいる。


 怪しい。見るからに怪しい。その人物の頭上からライトが照らされているため、顔が見えそうだ。あまりジロジロとは見れないため、視界の端で盗み見ようとするが、上手く確認できない。


 危機意識が悲鳴を上げていた。早海に耳打ちをする。

「遠回りしよう」


 早海がチラッとそちらに見遣るも、何故か公園を沿って帆野の手を引っ張った。片方の手は、ポケットに入れたまま、早歩きで通り過ぎようとする。

「おい!」

 語気が強くなってしまったが、声は潜めたまま発した。


 相手に意識を向けながら過ぎた辺りで、公園側から走る音が耳に入る。距離からしても、遠いと言えば遠いだろうか。ヒールというわかりやすい音ではない。


 公園側に体をひねるが、そこには誰もいない。先程何者かがいた近くのベンチに、脱ぎ捨てられていた。その奥に、走っている何者かの人。


 なにが起きているかわからないが、とにかく早海の手を握って走った。突き当りまでは行かず、途中左に折れた通路を曲がり、次の街灯を右。突き当りを左に曲がり、そのまま真っすぐ。二つ分かれ道を無視した先の、十字路の中央で足を止める。来た道の方角に体を向けていた。


「逃げられた?」

「わからない! 家、どこだっけ!」

「えぇっと……」

 辺りを見渡し、右側に手で示そうとした。帆野はそちら側に向かい、走りだそうとする刹那、引っ張っていた手が急に重くなる。気が付けば、早海を引きずっていた。予言通りの光景だった。


 目立ったきっかけもなく倒れ、必死に名前を叫ぶ抵抗くらいが精一杯。当然ながら、びくとも反応もしない。自分の願いなど、はかなく散っていく。


 頭の中は真っ白。霧にどんどん迷い込んでいき、同時に心臓が波打っていった。誰かが近づく足音が聞こえ、それが自身の背後で止まった気配を感じたため、視線を向ける。


 街灯が照らす明かりだけが頼りだが、清潔感のある黒髪に、胸の位置まであるストレートロング。茫然とした眼差しに、飾り気のない化粧。半袖の服に、ベルト付きの長ズボン。


 ようやく次の手順である、救急車を呼ぶことの判断が追いつき、電話を掛けた。

(琳……すまない。すまない)

「来てくれますか?」 


「……は?」

「早海さんとは、大学からの友達の浅霧あさぎり由惟ゆいです」

 名前を知っているということは、顔見知りではあるのだろう。


「どうしてここに……」

「後でちゃんと話します」

 話は病院で、ということだろうか。早海を抱いたまま、救急車を待つ。


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