凄惨な儀式のあとは誰も声を出さなかった。
その間にも血まみれの祭壇で祭文が焼かれていく。
そして濛々と立ち込める煙の色が黒から白に変わる頃、にわかに川の水が騒ぎ始めた。
「あっ!」
沈黙を破り、玉龍が声を上げた。
ザバアッと水柱が立ち、中からは武装したタツノオトシゴの姿をした武人が現れた。
背丈は陶海燕の二倍はある。
「海馬(ハイマ)!」
海馬は玉龍に小さく頷くと、陶海燕の前に進み出た。
「供物の見返りに、龍宮にて預かっていた陳萼殿をお返しいたそう」
玉龍が海馬と呼んだその武人がそういうと、桟橋の上に光の玉が現れ、唐の物とは違う、龍宮の官服に身を包んだ男性が現れた。
男性は戸惑ったように辺りを見回し、それから一人の女性を見つけると表情を輝かせた。
「温嬌!!」
「
十数年ぶりに待ち望んでいた愛しい人に名を呼ばれ、殷温嬌は涙を流した。
「ああ、よかった……ありがとうございます、ありがとうございます……!!」
張氏も息子の無事に手を合わせて喜び、拝んでいる。
海馬は陶海燕に向かって頭を下げた。
「彼は優秀なので、つい龍宮でもお仕事をお願いしていました」
そして祭壇の向こうに降り立った陳萼へ、包みを渡した。
「これまでのあなたの勤労に、感謝の報酬を」
「は、はい」
「それでは私はこれで」
「海馬……」
海馬はチラリと玉龍を見て、ちいさくあたまをさげてから水の中へと帰っていった。
「以上、滞りなく陳萼様お戻りにございます」
深く一礼をして、陶海燕が儀式の終わりを告げると、太鼓が打ち鳴らされた。
「
「温嬌!」
儀式が終わったとたん、待ちきれないとばかりに陳萼と殷温嬌は駆け寄り、抱き合った。
夫婦にとって、十九年ぶりの再会だ。
「よかったね、オシショーサマ」
「え、ええ……」
玄奘は初めて見る父の姿に言葉が出なかった。
少し歳をとった、文官然とした長身のその男は玄奘を見つけると優しく微笑んだ。
「江流、お前なのだな。大きくなったな。ずっとそばにいてやれず、すまなかった」
「いえ……いいえ……そんな」
戸惑う玄奘の背に張氏がふれた。
「お祖母様」
振り返ると張氏が頷く。
「さあ、お父上の元に行きなさい」
普段は厳しい顔をしている殷開山も、目を潤ませて玄奘にそう告げると、御林軍に指示を出して張氏と共に足早に去っていった。
「オジイちゃん、オバアちゃんたち行っちゃった……」
「一緒に再会を喜べばいいのにな」
玉龍と孫悟空が不思議そうにいうと、猪八戒が苦笑して二人の肩を軽く叩いた。
「人にはいろんな喜び方ってのがあるのよ。さ、オレたちも席を外そう。親子水入らずにしてあげようぜ」
「ふーん?ニンゲンってフシギだね」
「ま、八戒の言うことももっともだな。俺様たちは片付けでも手伝おうぜ」
礼部の役人と御林軍は儀式に使った祭壇の片付けを始めている。
ここが使えなければ人は川を渡って行き来できない。
儀式の贄となった劉洪の血がついた場所を清めなければ、瘴気を生みよくないものを呼び寄せるだろう。
大切な師匠の家族が暮らす地を危険に晒すわけにはいかない。
猪八戒たちは沙悟浄を残し陶海燕に手伝いを申し出て作業に加わった。
「お師匠さま」
ぼんやりと陳萼と殷温嬌を見ていた玄奘に沙悟浄が声をかける。
「沙和尚……」
「俺たちは片付けを手伝ってきます。ご両親と色々と話したいこともあるでしょう。何かあればすぐに行きますから、今は一人の子として、ご両親さんのところへ」
「で、でも……私、何を話したら……」
「大丈夫ですよ。親は子どものどんな話でも聞きたいものですから」
沙悟浄が懐かしさに顔を緩ませて思い出すのは、任務から帰った時、まだ幼い青鸞童子が毎日の出来事を話してくれたことだ。
「ましてやあなた方は長い間離れていたのです。ゆっくり時間をとるべきですよ」
ほら、と沙悟浄が示した先で、陳萼と殷温嬌が玄奘を見ている。
とん、と沙悟浄が背中を押すと、玄奘は弾かれたように両親の元への駆け出していった。