孫悟空たちの予想を超えて、劉洪は逃げ足の速い男だった。
「探せ!草の根分けてでもみつけるんだ!」
江州長官が偽物だということは瞬く間に広まり、劉洪を匿ったものは同罪として裁くとのお達しもあったことから、江州では民たちも混ざって大規模な劉洪捜索が始まった。
「おかしいな、何で見つからねえんだ?」
「お世辞にも良い人の人相とは言えないものだったからな。あんな特徴のある顔立ち、みつけられねえわけねえのに」
孫悟空と猪八戒が首を傾げる。
それもそのはず。
人々が探しているのは長官になりすました、貴族の姿をした劉洪。
だから悪知恵の回る劉洪は、昔着ていた船頭の服を引っ張り出して姿を変えていたのだ。
手拭いでほっかむりをして顔を隠せば気付かれることはないだろう、と。
「へへ、このまま川を下って逃げてやるぜ」
江州の外れまで逃げてきた劉洪は、川に係留してあった、粗末で小さな舟を川に流した。
川底を
十数年の時が空いているが、体に染み付いた船乗りの技術は衰えていなかった。
風は追い風、流れもちょうどよい。
劉洪は懐に詰めた金目のものをさすった。
「あばよ、江州」
そう捨て台詞を吐いた時だった。
何かが櫂(かい)に引っかかった気配がした。
「あ?なんだ?」
劉洪が楷に引っかかったものを外そうと屈み、引き上げた時だった。
「ヒッ!」
櫂に引っかかっていたのは、始末したはずの李彪の
水を吸って膨らんだブヨブヨのそれは、劉洪の舟の上に意図せず打ち上げられた。
重みを増したそれのせいで、オンボロ小舟の舟底に亀裂が走り、そこから川の水が染み込んでくる。
『アニキぃ……よくも……』
恨み言を吐きそうなその光を失った瞳が、劉洪を捕える。
「バカッテメ、こんな時まで足引っ張りやがって!」
劉洪は腹を立てて李彪の土左衛門を蹴り落とそうとする。
だが不思議なことに、李彪の腕が劉洪の足をがっしと掴み、劉洪が転んだ勢いでそのまま船ごと転覆した。
「あそこだ!あそこにいたぞ!」
思いもよらないほど大きな水音が立ち、街の人間たちが集まってきた。
そして劉洪は捕えられ、御林軍に引き渡されたのだった。
李彪の土左衛門はいつのまにか川の中に消えていたという。
縄をかけられ江州の役所へと連行された劉洪は、取り調べを行う部屋でむしろの上に座り、喚いている。
「どうせ俺は死刑だろ!殺せ!さっさと殺せよー!」
その姿を、玄奘は建物の中から見ていた。
(あの男が……)
玄奘は拳を握りしめた。
唾を飛ばしながら喚く劉洪から視線を離すことができない。
あの男がいなければ、玄奘は江州長官の家の子として家族と共に過ごせていただろう。
張氏は偽の息子のやらかしたことへの謝罪で財産を減らすこともなかっただろう。
(──悔しい)
言葉にならない言葉が、呼吸するたび口からすり抜けてくる。
(叫びたいのは、慟哭したいのはこっちだ)
自分のものだったはずの、家族で過ごしたはずの時間を返してほしい。
「はあっ、はぁっ……っ」
だが自分は僧侶だ。
怒りの感情も、憎しみの感情に振り回されてはならない。
けれど。
この内に渦巻く気持ちは抑えようとすればするほど、それに抵抗するかのように膨らんでいく。