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第291話 唐の皇帝太宗の判断

 殷開山は言葉を続ける。


「船頭を束ねる者は、船頭が川に落ちることなど茶飯事ゆえ気にしなかったそうです」


 船頭にするための金に困ったごろつきはどこにでもいる。


 川の魚の餌になったと考え探す必要もないと判断したらしい。


「つきましては大罪人劉洪を捉えるために御林軍をお貸しいただきたくお願いにあがりました」


「御林軍を?!」


「まさか、たかだかごろつき二人を捕えるために近衛を出せと言うのか?!」


 殷開山の言葉に大臣たちのどよめきは大きくなる。


「これは!」


 殷開山が大きな声を出すと、謁見の間は水を打ったように静まり返った。


「これは科挙を行い、陳萼に長官職を任じた太宗皇帝陛下への侮辱にも値する行為です」


 しかも十数年間も中央を騙し続けたのだ。


 誰一人入れ替わりに気づかなかったのだから。


「また、軍を派遣することで見せしめにもなりましょう。二度とこのようなことが起こらないように、周りに知らしめる必要があると、私は考えます」


「うむ……」


 静かな謁見の間に太宗の唸り声が響いた。


 髭を撫でて眉間に皺を寄せている。


「恐れながら、御林軍が無理だと言うのなら、我が殷家の私兵を出しましょう。しかし、中央を欺いたごろつき二人に、国はこの程度の対処だと思われましょう。いずれ他の長官も同じようになりすましが起こらぬとも限りませぬ」


「ううむ……」


 畳み掛けるように言う殷開山に、太宗は腕組みをして考え込む。


「確かに……」


 三省六部のそれぞれを預かる大臣たちは顔を見合わせ、ざわめく。


「では、合議を」


 片手を上げ場を鎮めたのは門下省の長官だ。


「御林軍派遣に賛成の者」


 謁見の間で採決が始まった。


 結果は殷開山の想像を超え、満場一致であった。


「この報告書によると、礼部も共に行くといい。儀式が必要なようだからな」


「寛大なお計らい、感謝いたします」


 太宗の図らいに、殷開山は拱手し深く頭を下げた。




 数日後、江州はにわかに騒がしくなった。


 皇帝太宗が勅令を出し、宰相の殷開山が御林軍を率いて江州へ出立したとの噂が流れたのだ。


 軍勢は何とその数六万だというのだから、それは噂だろうと、冗談に受け取るものもいた。


 しかし当の本人には効いたようで。


「チクショウ、ここで捕まってたまるか!」


 劉洪は箪笥を開いてブツブツいいながらお金と金目のものを袋に詰め込んでいた。


 ここを出た後、換金して当面の生活費にするためだ。


「旦那様?なにをなさっているのですか?」


 そこへ殷温嬌がやってきた。


 劉洪が逃亡しようとする動きを察知し、殷開山率いる御林軍が到着するまでの時間を稼ごうとしたのだ。


「お前か!お前が!!」


 普段から関わらないようにしていた殷温嬌が自分のことを気にかけるわけがない。


 劉洪はそう考えて殷温嬌につかみかかった。


「父親にチクリやがったな!お前が!お前のせいで!」


「いったい何のことでしょう?」


 殷温嬌はとぼけて首を傾げる。


 偽の夫と暮らすために、これまでずっと心を、感情を封じてきたのだ。


「くそッ!」


 劉洪は乱暴に殷温嬌を突き飛ばすと外へと駆け出していった。


「逃げられるものなら逃げてみなさい……」


 殷温嬌は低く冷たい声でボソリと呟いた。


「絶対逃さない……!」


 その頃、金山寺も慌ただしくなっていた。


「お師匠様、劉洪が屋敷を抜け出したみたいだぜ」


 分身を小さな羽虫に変化させ、陳萼になりすました劉洪を見張らせていた孫悟空が分身から連絡をもらって言う。


「御林軍出兵に焦ったんだろうな。逃すわけにはいかん。俺たちも行こう」


 沙悟浄は降妖宝杖を持って立ち上がった。


「オシショーサマのお母さんのこともシンパイだよね。大丈夫かなあ」


 孫悟空の分身には劉洪に加害されないように守れと命じてあるから、そのことについては何も連絡がないのでおそらく大丈夫なのだろう。


「二手に分かれよう。お師匠さんと玉龍はお母上のところへ。オレと悟空と悟浄ちゃんは劉洪を捕らえに行こう。御林軍が来るまで逃すわけにはいかない」


 猪八戒の立てた作戦に一行は頷き、行動を開始した。


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