上品な着物に、歳をとりながらも鋭い眼差し。
老翁は崩れた門の前に立ってじっと玄奘たちを見ていた。
張氏は玄奘をつかむ手を離し、その場に頭を下げた。
「殷開山様におかれましてはご機嫌麗しく……」
張氏の口から出た老翁の名前に、玄奘はハッとした。
目の前の老翁が母方の祖父で唐の宰相殷開山なのだと。
やはり唐の皇帝太宗の命で開いた法要の時に、城の中で見かけたことのある人物だった。
言葉を交わしこそはしなかったが、歳の割にはしゃっきりとしていて姿勢も良く、まだまだ国のために皇帝のために尽くすぞという気迫のある官僚だったと玄奘は記憶している。
まさかそんな彼が自分の祖父だとは、その時は夢にも思わなかった。
殷開山は慌てた様子で扇を振った。
「挨拶は不要。ところでその僧侶たちは何者ですか。見たところ、天竺に発った玄奘殿に瓜二つのようですが」
「この方は私の……私たちの孫です」
張氏の言葉に殷開山は困惑した表情を浮かべた。
玄奘は頭を下げ、名乗った。
「陳萼と殷温嬌の子、俗名を江流、僧侶としての名を玄奘と申します」
「は……?いや、名は知っておる。まさか、玄奘殿が孫とは……いやしかし玄奘殿は今天竺への旅路にいるはず。お前はまことに玄奘殿なのか?」
殷開山の疑いはもっともだ。
そこで玄奘は母親から預かった耳飾りを見せた。
殷の字が入った翡翠の耳飾りだ。
「それから、こちらも」
玄奘が懐から出したものは生まれた時から身につけていた金山寺のお守り袋だ。
実は母親の殷温嬌から、自分の出自を疑われたら中をひらけと言われていたのだ。
そのお守り袋の中には指輪が入っていた。
「これは我が陳家に嫁いだ女が代々継いでいく指輪……やはり……!」
張氏は揺るぎない孫の証に再び涙を流し始めてしまった。
張氏の言葉に殷開山もようやく玄奘を認めた。
「詳しく話を聞かせてもらえまいか」
「はい」
そうして唐にわざわざ足を運ぶことなく、玄奘は殷開山にことの次第を告げることができた。
この場にいるのは妙見菩薩から家族のことを知り、弟子の觔斗雲で戻ってきたのだと。
事実を知った殷開山は烈火の如く怒った。
「十数年もだまされるとは……!」
真っ赤な顔で絞り出すようにいうと、殷開山は身を翻した。
「お待ちください、どちらへ?」
そのただならぬ様子に殷開山の護衛たちもバタバタと慌ただしく動き始める。
きたばかりなのにすぐ戻ろうとする殷開山に、玄奘は驚いた。
「張氏と共に江州に乗り込もうかと思っていたが、変更する。ことの顛末を太宗皇帝陛下に直訴しに戻る。そして憎き劉洪めを討ち取るのだ!」
そう言って殷開山は張氏の家を後にした。
ガラガラとけたたましい馬車の車輪の音が遠ざかっていく。
残された張氏と玄奘たちは、殷開山のその行動の速さに驚き、しばらく突っ立っていた。
沙悟浄が沈黙を破った。
「科挙を通った優秀な陳萼……あなたの父上になりすまし、身勝手な振る舞いをしていた劉洪は大罪人です」
「ええ、ええ。ですからきっと、お師匠さんのいいようになりますよ」
猪八戒も頷く。
「それよりこれからどうします?唐に行く予定がなくなっちまいましたけど」
「一旦張氏と共に金山寺に帰るのはどうだろうか?」
「そんな、ここにいなければ償いの機会が……」
「なんのツグナイ?」
「え?」
「だって、チョウカンのチンガクは偽物なんでしょ?謝る必要ないと思うけど」
玉龍は首を傾げて言う。