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第5話 流沙河に堕ちた捲簾大将

 崑崙山から地上に堕とされた捲簾大将は、肌に触れる不揃いな石の感覚と、瞼を打った雫の冷たさに目を開いた。


 聞こえてきたのはサラサラと水が流れる音。


 それからヒヤリとした突き刺すような冷気。


 捲簾大将がうつ伏せに倒れていたそこは薄暗い場所だった。


 どこかの洞窟のようなところだろうかと捲簾大将が見上げると、穴が空いていてそこからは月がみえた。


「ここは……」


 辺りには枯れた葉や土、草の匂いがする。


 それと、自分の血の匂い。


 鞭で打たれた背中は痛いというか、もう感覚がなかった。


 ただただ、体のあちこちが燃えるように熱く、節々がだるい。


 八百回でこれなのだから、西王母の話の中に出てきた以前二千回打たれたという者の痛みは想像もつかない。


 天から落とされたとはいえ、人より丈夫な体なことが幸いしたようで、ざっと感知してみたところ、骨も折れている様子はない。


(青鸞童子は大丈夫だっただろうか)


 自分の不注意でかわいそうなことをした、と思いを巡らしたその時。


 かさり、と葉の擦れる音がした。


 西王母の追っ手か、それとも物盗りか。


 捲簾大将は軋む体を堪えて、なんとか体を起こした。


 武器はないけれど、動けないままなぶり殺しにされるなんて天界の将の沽券に関わる。


「捲簾大将、哪吒なたです」


 捲簾大将の殺気を感じたらしく、慌てて名乗ったのは哪吒太子だった。


「入りますね」


 哪吒太子は垂れ下がるつた暖簾のれんのようにめくって入ってくる。


 彼のその手には捲簾大将の武器、降妖こんよう宝杖ほうじょうと、大切な宝の九つの頭蓋を連ねた飾り。


「あのあと青鸞にきいて、勝手ながら館からあなたの大切にしているものを持ってきました。さ、その背中も手当てしましょう」


「哪吒太子……どうして、ここへ」


 哪吒太子は答えず、にっこりと笑って捲簾大将の背中の手当てを始めた。


「いけません、天を追われた私に関わったらあなたは……」


「大丈夫ですよ。あなたが心配することなど何もありませんから」


「しかし……ぐっ!」


 哪吒太子は問答無用とばかりにさっさと手当を始めた。


 捲簾大将が着ていたボロボロの囚人用の着物を脱がせ、その傷だらけの背中に膏薬こうやくを塗る。


「……うぅ……っ」


 薬を塗られた途端に、背を覆った燃えるような痛みに、思わず捲簾大将からうめき声が漏れる。


その声に驚いたのか、哪吒太子は手当の手を一瞬とめたが、すぐに手当を再開した。


「大丈夫……ではありませんよね。すみません、俺がもっと早く西王母様をお止めしていれば……」


「いや、私の不注意なのですから、むしろ命が助かったことに感謝しています」


「そうですか……」


 痛みに耐える捲簾大将の言葉に、哪吒太子は悲しそうに微笑んだ。


「ところでここはどこか、哪吒太子はご存知ですか?」


「はい。ここは流沙河りゅうさかと言うところです」


「流沙河……」


 川の近くならば水に困らず、魚を獲って食うこともできるだろう。


とりあえず生き延びることはできそうだと、捲簾大将はひとり頷いた。


「ここは冷えますね。すみません、防寒具など考えもつきませんでした」


「いえ、お気持ちだけで……川も近いですし、獣もいるでしょうから」


 魚をとりにくる熊でもいれば、その毛皮を狩って身にまとえばいいだろう。


 捲簾大将は天の近衛をまとめる大将だったのだ。サバイバルくらいできる。


「あ、そうだ、青鸞は俺の蓮花宮で預かります」


「哪吒太子の?ありがたいことですが、ご迷惑ではありませんか?罪人の養子など……托塔たくとう天王てんのう吉祥きっしょう仙女せんにょは……」


「父も母も、青鸞が来てくれて久しぶりに宮が華やいだと喜んでおります」


 薬を塗り終わった哪吒太子は手際良く包帯を巻いていく。


「兄二人はもう家を出てしまっていますし、父は私を……」


 寂しげな哪吒太子に、捲簾大将はかける言葉が見つからない。

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