妹が死んだ。
白血病だった。医者は骨髄移植のドナーを探していたが、適合者が見つかる前に逝ってしまった。まだ幼い彼女が、入院するまでは元気に笑って俺のことを見上げていた妹が。
それからの人生は取り立てて変わったこともなく、俺は学生生活を送り、恋をしたり勉強をしたりして、Fランというほどではないけど難関とも言えない大学を出て地元の中小企業に就職し――でも、ずっと心のどこかに幼くして死んでしまった妹のことがあった。
もし彼女が生きていたら、どんな人生を送っていたのだろう。
片思いの女の子に思い切って告白しあえなく撃沈した俺をからかっただろうか、慰めてくれただろうか。
現役で大学に合格した俺を讃えてくれただろうか、それとも有名大学じゃないと馬鹿にしただろうか。
中小企業に就職した俺に祝いの言葉でもくれただろうか、飯を奢れとタカってきただろうか。
彼氏を紹介してきた? ウザいとかキモいとか罵倒された? どんな関係になったとしても、何も経験できなくなってしまった現実よりもずっとマシだったに違いない。
そして俺は、記憶に残る妹と同じ年頃の女の子が歩いて渡る横断歩道にブレーキもかけず突っ込んでくるトラックを目撃し、反射的に駆け出していた。
――頭が痛い。
目を開けると、心配そうに私の顔を覗き込む父の顔が見えた。そうだ、私は妹テティスの葬儀中に突然気分が悪くなって倒れてしまったのだ。そして今見ていたのは、夢……ではないな。
あれは、前世の記憶。私……いや、俺はあの時女の子を助けて代わりにトラックにはねられたんだ。そして生まれ変わった。このヘルクロス王国で、国王パラス・ヘルクロスの長男、つまり第一王子のケレス・ヘルクロスとして。
異世界転生。荒唐無稽な夢物語だと思っていたファンタジーの世界に、まさか自分自身が入り込むことになるとは。普段の俺だったらワクワクしてるところだけど、今はさすがにそんな気分にはなれそうもない。
「ご心配をおかけし申し訳ございません、父上」
身を起こし、この世界の父親に挨拶をする。父は確かまだ三十代だったはずだが、立派な髭をたくわえた彼はもっと年上に見えた。グレーの体毛は緩くウェーブがかかり……あれだ、前世の記憶でいうところのキリストの肖像みたいな印象の顔立ちだ。
「ケレスよ、そなたもまだ十歳。幼い妹を亡くして辛いだろう。今は王子として振舞わなくてもよいのだぞ」
「お辛いのは父上や母上もでしょう」
「……うむ」
妹のテティスは六歳という若さで亡くなった。不治の病だという。身体の中から徐々に死んでいって、ある日突然命の灯が消えるのだ。原因は不明だが、身体を構成する元素のバランスが乱れるとかなんとか推測されているらしい。
病気の仕組みなんてどうでもいい。大事なことは、俺は前世でも現世でも妹を失ってしまったということだ。トラウマが魂レベルで刻まれていて、今回のことで前世の記憶が蘇ったのかもしれない。
周りを見渡すと、多くの貴族達が黒い服を着てテティスの入った白くて小さい棺に向かい、両手を組んで祈りを捧げている。異世界でも葬儀の雰囲気は同じようなものだ。俺も棺に向かい、少し教わっただけの祈りをたどたどしく行った。
記憶にあるテティスの笑顔を思い出す。悲しい。なんでどこの世界にも変わらずこんな理不尽があるのだろう。
「陛下、マケマケ公は少し遅れるとのことです」
「どうした、かの御仁が珍しい」
「それが、先日ケレス殿下との婚約が破談になったご令嬢が行方不明になったために捜索の手続きをしているとのことです」
俺から少し離れた父に、背筋を伸ばした黒髪の執事が何やら話しかけている。破談になったって、なんだ? いや、そもそも俺に婚約者がいたのか。まあ、王国の跡取りともなれば結婚相手も勝手に決まるものかもしれないけど。それにしても自分の知らないところで婚約して、いつの間にか破談になっていたというのは何だか奇妙な気分だ。
「そうか。若い娘を失うのは悲しいことだ。かのご令嬢も、破談のことを気に病んでおられたのかもしれぬ。王宮で暮らすのは苦痛であろうと親同士話し合って決めたことなのだが」
うーん、本人不在でそういうことを決められるのはあまり気持ちの良いものではないだろう。どんな娘さんか知らないけど、王宮が苦痛になるような何かがあるのかな。
「『ステラ』を探すと言い残していったそうですから、そう遠くないうちに見つかるかと」
「ステラ?」
その名が耳に入ると、突然目の前が明るくなったように感じた。そうだ、ステラがあるじゃないか! 前世と違って、この世界には魔法がある。そして世界の各地にある遺跡からはたまにステラと呼ばれる強大な力を持つ魔法の道具が発見されることがあるんだ。
古代の遺産であるステラは、通常の魔法とは比べ物にならないほどの奇跡を起こす力がある。このヘルクロス王国も保有するステラの力で大陸一の勢力を持つ国家となっているほどだ。
「父上、ステラの力でテティスを蘇らせることはできないでしょうか」
「それは無理だな。我が王家が保有するステラ『ポラリス』には死者を蘇らせるほどの力はない」
「では、より強力なステラを探すというのは?」
「それが許されるなら私もやりたいが……ケレスよ、世の中には幼い我が子を失った親など数え切れぬほどいる。誰だってステラの力で奇跡を起こせるならと思うだろう。そんな親の中で、国王だけがその権力を振るいステラを求めれば、民はどう思うか」
「むむむ」
父に諭され、理屈の上では納得する。権力者だからこそ、そんな特別扱いは大きな反発を生むのだという。わかるよ、わかる。でも、そんな理由で気持ちが収まるわけがないじゃないか!
「……幼い王子が感情に任せて暴走したとなれば、民も同情こそすれ怒りを向けることもないかと」
執事が控えめながら策を出してくれた、話が分かるじゃないか、じいや! いや、そこまでの歳じゃないけど。
「ううむ……『ポラリス』の力があれば、三年はテティスの身体を朽ちることがないように留めておけるであろう。それまでの間であれば」
父もなんだかんだ言って乗り気のようだ。当然だ、自分の娘なんだから。本当は恥も外聞も捨ててテティスを救う方法を探したいだろう。でも、それをしないからこそ王として人々から敬愛されているんだ。
「それでは、三年の間にステラを見つけてまいりましょう」
こうして俺はステラを探す旅に出ることになった。一応、王子であることは隠してトレジャーハンターを名乗ることにする。世の中には子供のトレジャーハンターも少なくない。魔法がある世界だから、才能ある人間は幼い頃から大人顔負けの強さを誇ることもあるのだ。
そして俺は転生者だ。きっと常人とは比べ物にならない魔法の才能があるはずだ……たぶん。