ビルのレッスンルームのフロアは冷たい青い光に満ちていた。
壁一面に並ぶ制御端末は、セイレーン・プロジェクトの進行を示す無数のグラフやデータで埋め尽くされている。
その中央に拘束されたヴァレリアの姿があった。
「ヴァレリア!」
「――!」
ヴァレリアが顔を上げる。しかし、彼女は声を上げることはできなかった。
コツコツ、という靴音を響かせながら、白衣の男が現れる。
その男は、エクリプス・サイバネティクスのチーフエンジニア、レオ・ステリオスだった。
細身の彼は冷たく微笑みながら、興味深げにアリアを見つめる。
「君がセイレーンを止めた『歌姫』か。まさか直接お目にかかれるとは……。セイレーン・プロジェクトを完成させるための素材として、君は特別だ」
ステリオスの声は皮肉と軽蔑に満ちていた。
アリアの目が鋭く光る。
「『素材』……? 私のことを『モノ扱い』するのね」
「もちろんだとも。君の能力、そしてその特異な精神パターン。我々が追求する理想のAIモデルには欠かせないものだ」
クックックッと笑いながら、ステリオスは言葉を紡ぐ。
アリアに近づき右腕を伸ばした瞬間、彼女の目の前でその腕は鈍い金属音を立てて、床に落ちた。
ノアが腕に仕込んだ高周波ブレードを振るったのだ。
「貴様らに『人間』を語る資格などない」
怒りが滲むノアの声。
動じることなく、ステリオスは床に転がった義肢を拾い上げ、何事もなかったかのように再接続を行った。
「フッ……。この程度、なんでもないさ」
再接続が終わった右腕を動かし、右手の挙動を確認する。
「この程度は朝飯前さ。我がエクリプスの技術は完璧なのだからな!」
「技術で人間性を捨てて、何が面白いの? 何が誇らしいの?」
アリアが怒りを滲ませながら言う。
「誇りだとも! 人間の限界を超え、神に近づくことこそが我々の使命なのだ!
……おおっと、そうだった。貴様らにひとつ教えておかねばならないことがあったなァ」
窓の外を見ろと言わんばかりの仕草をするステリオス。
ハルトたちが窓の外を見えると、戦闘用ドローン「キハール・ツヴァイ」が静かに編隊を組みながら浮遊していた。
赤い光がビル内部をスキャンしているのが見える。
「貴様らは包囲されている。ここでの戦闘は愚かだとわかるだろう?」
ステリオスが冷ややかに言い放つ。
「彼らを突破し、同志ヴァレリアを救う。できるな?」
ダリウスがハルトに言う。
「もちろん。でなければ、ここまで来ませんよ。だな、アリア」
「ええ。……アリア、行きます」
アリアは短く息を吸い、ステリオスを見据えた。
戦闘の緊張感が静かな冷気とともに部屋を支配した。全員が次の一手を待っていた――まるで静寂の中に隠された嵐のように。
そして、部屋の空気が一瞬、止まったように感じられた。
アリアが一歩前に進み、深い呼吸を整える。ステリオスが眉をひそめる。
「何をするつもりだ、歌姫?」
彼女の目には確固たる決意が宿っていた。
「――あなたたちの支配を、ここで終わらせる」
その瞬間、アリアの歌声が響き渡る。それはただの音楽ではなかった。
人間の魂に直接語りかけるような深い響きが空間を満たし、ドローンの赤いセンサーライトが次々と点滅を繰り返し始めた。
「……!! 大変です、ステリオスさん!」
「何事だ!」
「システムの制御が効きません! こちらの要求が弾かれています!」
「なんだと、バカな……! アストラ社のセキュリティシステムは完璧のはずだ!」
ステリオスが声を荒げる。
『ハルト、どうなっているんだ? キハール・ツヴァイが複数台こちらの味方をするような行動を取っている』
セラフィナが通信デバイス越しにハルトに問う。
「アリアが歌っているんだ」
『アリアが?』
「あぁ。彼女の声がドローンのAI制御を狂わせているようだ」
アリアの歌声は、ドローンの制御を狂わせ、フロアにいた兵士たちの戦意を喪失させていった。
混乱に乗じて、ノアが迅速に端末から主要データを回収し始めた。
ハルトがヴァレリアを解放しながら、アリアに言う。
「大丈夫か、アリア?」
『問題ないわ。これぐらいどうってことない!』
アリアの意志がハルトの耳元の通信デバイスに届く。
その声がもたらす波動は、ビル全体に広がっていくようだった。
「ダリウスさん。主要データの回収を完了しました。引き際かと存じます。いかがでしょうか?」
「そうだな、同志ノアよ。諸君、これより我々は撤退する。同志アリアが時間を稼いでいる間に、この場から離れるぞ!」
混乱の中、レジスタンスメンバーはビルから離れていく。
アリアの歌声が敵の意識を揺るがすたび、道が切り開かれていくようだった。
彼女が歌うのをやめると同時に、ダリウスたちレジスタンスメンバーは、ステリオスたちが追跡を諦めるであろう距離まで来ていた。
「やったな、アリア。君の声がこれほど力を持つとは思わなかった」
「そうね。でも、これはまだ始まりに過ぎないと思うの。ハイペリオンとの戦いはまだ終わっていないもの」
アリアの言葉に頷きで返すノア。
彼女の言葉が仲間たちの胸に新たな決意を芽生えさせる中、レジスタンスは夜の闇に消えていった。