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6.第二幕 - 2

 工房の外では、上層階層特有の清潔に整えられた街路が静かに広がっていた。

 ぼんやりと浮かぶ人工的な光が、整然とした街並みを照らし、夜にも関わらず影をほとんど作らない。

 その一方で、遠くに見えるエレベーターの基部から漂うかすかなスモッグが、下層階層が近いことを思い出させる。

 月や星を遮る全天候型の天井には、上層を象徴する仄かな青空が映し出されていたが、まがい物であることをハルトは知っていた。


 しかし、その夜はいつもと少し違っていた。工房のすぐ外で、低く唸る音が響いていた。

 それはハイペリオンの監視ドローン「キハール」のプロペラ音だ。

 セラフィナが外部カメラの映像をモニターで確認し、即座に状況把握をした。


「ハルト、外にキハールが数機。私たちの工房を探しているみたい」


 彼女の声は落ち着きとわずかながらの緊張感が入り混じっていた。

 セラフィナの報告にハルトは眉間にシワを寄せ、デスク上のものを乱雑に片付けた。


「クソッ。ここまで来たか。スリアラーの目をくらませているはずなのに」


 アリアも声に反応して立ち上がり、外のモニターに目を向けた。

 画面には暗闇に溶け込むようにして飛ぶドローンの姿が映っている。


「彼らは何を探しているの?」

「レジスタンスだろうな。……いや。それに関わる可能性を全て潰しに来たんだろう」


 ハルトは苦い表情を浮かべながら答えた。

 その時、工房のドアが3回素早くノックされ、しばらく間をおいてもう一度聞こえた。

 ハルトが警戒しながらモニター越しに確認すると、影の中にフードを目深に被った少年が立っている。


「レジスタンスか。素早く入ってきてくれ」


 ハルトはドアを開けた。その少年は彼の言葉に従い、素早く工房内に入り、ドアを締めた。

 少年――ノアが中に入ると、冷たい空気と共にかすかな焦燥感が漂いこんできた。

 彼の目は周囲を一度確認してから、ハルトとセラフィナに向けられた。


「知っているだろうけど、外にキハールがうようよしている。キハールは、おそらくアリアを探しているんだ」


 ノアの声には明確な危機感が宿っていた。


「……そうか。一向にアリアが帰ってこないから、工房に未だいるだろうと奴らは見ているのか」

「おそらくそうだろうね」

「私を……? なぜ……?」


 アリアは驚きに息を飲んだ。彼女自身が標的になる理由がまだ理解できていない。


「上層の連中は、君の力が彼らの支配に対する脅威になると考えている。自分たちが組み込んだプログラムを利用されるんじゃないかと」

「それでレジスタンスはどう動いている?」


 ハルトの問いかけにノアは頷き、懐から取り出したホログラフィックプロジェクターを起動させた。

 そこに映し出されたのは、地下通路を駆け抜けるレジスタンスのメンバーたちだった。

 彼らは武器を携え、顔には緊張と覚悟が刻まれていた。


「ハイペリオンの監視システム『ロゼット』に干渉して、奴らの動きを鈍らせる準備を進めている。

 でも、戦力も資源も不足している。ハルトさん、セラフィナさん、そしてアリア。あなたたちの力が必要なんだ」


 アリアはノアの言葉に動揺を隠せなかった。

 彼女の中に芽生えた小さな希望が、新たな恐怖に押し潰されるような感覚だった。


「……私なんかが、本当に力になれるの?」

「アリア。あなたにはその力がある。恐れずに自分を信じて」


 震える声で問いかけるアリアに、セラフィナがそっと歩み寄り、手を肩に置いた。

 セラフィナの言葉がアリアの心に深く刺さる。彼女の中で揺れる恐怖と覚悟が、初めて均衡を保ち始めた瞬間だった。


 □ ■ □ ■ □ ■


 ノアが差し出した地図を見ながら、ハルトたちはレジスタンスの主要拠点に向かっていた。


「ここがレジスタンスの主要な拠点か。地下区画にしてはずいぶん広いな……」

「見てくれだけさ。人員も物資も足りてない」


 彼はハルトの言葉に重い口調で応じた。


「ロゼットを撹乱するので精一杯さ。せめてトリスタンさんが粛清されなければまだなんとか……」

「トリスタン? 『トリスタンとイゾルデ』のトリスタンか?」

「名前はね。ハイペリオンに粛清されたトリスタンさんの意志を継いだのが、イゾルテさんさ」


 ノアが言う。


「その……トリスタンという人は、ハイペリオンの関係者だったの?」とアリア。

「僕はそう聞いている。イゾルテって名前も彼がつけたと」


 数時間後、ハルトたちはノアに導かれ、地下へと続く隠された通路を進んでいた。

 天井は低く、湿気と埃が肌にまとわりつく。

 レジスタンスの拠点に到着した時、アリアは目を見張った。

 そこは荒廃しているにもかかわらず、あちこちに配置された機器が緻密に連携し、明らかに高い技術力を感じさせたからだ。


「よく持ちこたえいるな」


 ハルトは周囲を見回しながら感心した様子を見せた。


「これが限界さ。でも、問題は装備じゃないんだ」


 ノアが指し示した先には、疲れ切ったレジスタンスメンバーたちが休む姿だった。

 彼らの目には希望の火がかすかに宿っているものの、その裏には深い不安が隠れていた。


「ノアか」

「エルスさん」


 エルスと呼ばれた青年がハルトたちを一見した。


「なるほど。二人は機械人形アンドロイドか?」

「わかるんですか?」

「雰囲気がそう見えた。……言い方も含めて失礼だったか?」

「いえ。お気遣いなく。……私はセラフィナ。こちらはアリア」


 セラフィナがエルスに自分とアリアの名前を告げた。


「そうか。……ついでだ。君たちに見てもらいたいものがある」


 エルスに案内された部屋の奥には、盗聴を恐れてか音の遮断装置が作動していた。

 中央のプロジェクターに映し出されたのは、ハイペリオンの会議の一部を盗撮した映像だった。

 映像の中、スーツをまとった役員たちが整然と座り、議論を交わしていた。その中で特に目を引くのは、低く響く冷徹な声だった。


「アリアを修復に出したはいいが、帰ってこないのであれば、プロジェクト・アリアは中止にすべきではないのか?」

「その意見にも一理あるが、すでに別の歌姫プロジェクトは進行している」

「それがお前の言うセイレーン・プロジェクトか」

「はい。ハイポタイズのテスト結果は良好でした。ですので、これを発展させた計画として立案しました」

「なるほど。ハイポタイズではなく、プログラム名をセイレーンに変えたという話はそこからか」


 会議は続いている。

 ハルトの拳が無意識に握りしめられた。


「セイレーン・プロジェクトだと……」

「アリアが狙われ続ける理由がこれだったのね。彼女の力を完全に制御し、兵器として利用しようとしている……と」


 セラフィナは映像を見つめながら言う。

 アリアは何も言わず、ただ映像を凝視していた。

 彼女の中に湧き上がる感情は、恐怖と怒り、そしてわずかな悲しみだった。

 彼女は自分の存在がどれほど多くの人を巻き込んでいるのかを、改めて実感していた。


「ハイペリオンを止めなければ、下層階層の人間は奴らの意のままに操られる」

「だから俺たちを連れてくるようにノアに言ったんだな、エルスとやら」


 ハルトがエルスに問う。


「その通りだ。見ての通り、俺たちアウローラ・エコーだけでは強く踏み込むことはできん。

 だから、二神ハルト。お前の力を借りたい」

「いいですよ。アリア、それでいいか?」


 アリアはハルトの言葉に強くうなづいた。

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