工房の外では、上層階層特有の清潔に整えられた街路が静かに広がっていた。
ぼんやりと浮かぶ人工的な光が、整然とした街並みを照らし、夜にも関わらず影をほとんど作らない。
その一方で、遠くに見えるエレベーターの基部から漂うかすかなスモッグが、下層階層が近いことを思い出させる。
月や星を遮る全天候型の天井には、上層を象徴する仄かな青空が映し出されていたが、まがい物であることをハルトは知っていた。
しかし、その夜はいつもと少し違っていた。工房のすぐ外で、低く唸る音が響いていた。
それはハイペリオンの監視ドローン「キハール」のプロペラ音だ。
セラフィナが外部カメラの映像をモニターで確認し、即座に状況把握をした。
「ハルト、外にキハールが数機。私たちの工房を探しているみたい」
彼女の声は落ち着きとわずかながらの緊張感が入り混じっていた。
セラフィナの報告にハルトは眉間にシワを寄せ、デスク上のものを乱雑に片付けた。
「クソッ。ここまで来たか。スリアラーの目をくらませているはずなのに」
アリアも声に反応して立ち上がり、外のモニターに目を向けた。
画面には暗闇に溶け込むようにして飛ぶドローンの姿が映っている。
「彼らは何を探しているの?」
「レジスタンスだろうな。……いや。それに関わる可能性を全て潰しに来たんだろう」
ハルトは苦い表情を浮かべながら答えた。
その時、工房のドアが3回素早くノックされ、しばらく間をおいてもう一度聞こえた。
ハルトが警戒しながらモニター越しに確認すると、影の中にフードを目深に被った少年が立っている。
「レジスタンスか。素早く入ってきてくれ」
ハルトはドアを開けた。その少年は彼の言葉に従い、素早く工房内に入り、ドアを締めた。
少年――ノアが中に入ると、冷たい空気と共にかすかな焦燥感が漂いこんできた。
彼の目は周囲を一度確認してから、ハルトとセラフィナに向けられた。
「知っているだろうけど、外にキハールがうようよしている。キハールは、おそらくアリアを探しているんだ」
ノアの声には明確な危機感が宿っていた。
「……そうか。一向にアリアが帰ってこないから、工房に未だいるだろうと奴らは見ているのか」
「おそらくそうだろうね」
「私を……? なぜ……?」
アリアは驚きに息を飲んだ。彼女自身が標的になる理由がまだ理解できていない。
「上層の連中は、君の力が彼らの支配に対する脅威になると考えている。自分たちが組み込んだプログラムを利用されるんじゃないかと」
「それでレジスタンスはどう動いている?」
ハルトの問いかけにノアは頷き、懐から取り出したホログラフィックプロジェクターを起動させた。
そこに映し出されたのは、地下通路を駆け抜けるレジスタンスのメンバーたちだった。
彼らは武器を携え、顔には緊張と覚悟が刻まれていた。
「ハイペリオンの監視システム『ロゼット』に干渉して、奴らの動きを鈍らせる準備を進めている。
でも、戦力も資源も不足している。ハルトさん、セラフィナさん、そしてアリア。あなたたちの力が必要なんだ」
アリアはノアの言葉に動揺を隠せなかった。
彼女の中に芽生えた小さな希望が、新たな恐怖に押し潰されるような感覚だった。
「……私なんかが、本当に力になれるの?」
「アリア。あなたにはその力がある。恐れずに自分を信じて」
震える声で問いかけるアリアに、セラフィナがそっと歩み寄り、手を肩に置いた。
セラフィナの言葉がアリアの心に深く刺さる。彼女の中で揺れる恐怖と覚悟が、初めて均衡を保ち始めた瞬間だった。
□ ■ □ ■ □ ■
ノアが差し出した地図を見ながら、ハルトたちはレジスタンスの主要拠点に向かっていた。
「ここがレジスタンスの主要な拠点か。地下区画にしてはずいぶん広いな……」
「見てくれだけさ。人員も物資も足りてない」
彼はハルトの言葉に重い口調で応じた。
「ロゼットを撹乱するので精一杯さ。せめてトリスタンさんが粛清されなければまだなんとか……」
「トリスタン? 『トリスタンとイゾルデ』のトリスタンか?」
「名前はね。ハイペリオンに粛清されたトリスタンさんの意志を継いだのが、イゾルテさんさ」
ノアが言う。
「その……トリスタンという人は、ハイペリオンの関係者だったの?」とアリア。
「僕はそう聞いている。イゾルテって名前も彼がつけたと」
数時間後、ハルトたちはノアに導かれ、地下へと続く隠された通路を進んでいた。
天井は低く、湿気と埃が肌にまとわりつく。
レジスタンスの拠点に到着した時、アリアは目を見張った。
そこは荒廃しているにもかかわらず、あちこちに配置された機器が緻密に連携し、明らかに高い技術力を感じさせたからだ。
「よく持ちこたえいるな」
ハルトは周囲を見回しながら感心した様子を見せた。
「これが限界さ。でも、問題は装備じゃないんだ」
ノアが指し示した先には、疲れ切ったレジスタンスメンバーたちが休む姿だった。
彼らの目には希望の火がかすかに宿っているものの、その裏には深い不安が隠れていた。
「ノアか」
「エルスさん」
エルスと呼ばれた青年がハルトたちを一見した。
「なるほど。二人は
「わかるんですか?」
「雰囲気がそう見えた。……言い方も含めて失礼だったか?」
「いえ。お気遣いなく。……私はセラフィナ。こちらはアリア」
セラフィナがエルスに自分とアリアの名前を告げた。
「そうか。……ついでだ。君たちに見てもらいたいものがある」
エルスに案内された部屋の奥には、盗聴を恐れてか音の遮断装置が作動していた。
中央のプロジェクターに映し出されたのは、ハイペリオンの会議の一部を盗撮した映像だった。
映像の中、スーツをまとった役員たちが整然と座り、議論を交わしていた。その中で特に目を引くのは、低く響く冷徹な声だった。
「アリアを修復に出したはいいが、帰ってこないのであれば、プロジェクト・アリアは中止にすべきではないのか?」
「その意見にも一理あるが、すでに別の歌姫プロジェクトは進行している」
「それがお前の言うセイレーン・プロジェクトか」
「はい。ハイポタイズのテスト結果は良好でした。ですので、これを発展させた計画として立案しました」
「なるほど。ハイポタイズではなく、プログラム名をセイレーンに変えたという話はそこからか」
会議は続いている。
ハルトの拳が無意識に握りしめられた。
「セイレーン・プロジェクトだと……」
「アリアが狙われ続ける理由がこれだったのね。彼女の力を完全に制御し、兵器として利用しようとしている……と」
セラフィナは映像を見つめながら言う。
アリアは何も言わず、ただ映像を凝視していた。
彼女の中に湧き上がる感情は、恐怖と怒り、そしてわずかな悲しみだった。
彼女は自分の存在がどれほど多くの人を巻き込んでいるのかを、改めて実感していた。
「ハイペリオンを止めなければ、下層階層の人間は奴らの意のままに操られる」
「だから俺たちを連れてくるようにノアに言ったんだな、エルスとやら」
ハルトがエルスに問う。
「その通りだ。見ての通り、俺たちアウローラ・エコーだけでは強く踏み込むことはできん。
だから、二神ハルト。お前の力を借りたい」
「いいですよ。アリア、それでいいか?」
アリアはハルトの言葉に強くうなづいた。