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若き日のマリーゴールド
若き日のマリーゴールド
只野緋人/ウツユリン
現実世界現代ドラマ
2025年02月24日
公開日
1.3万字
完結済
少年・礎風は、先天性の病気から日光を浴びることができなかった。学校の授業はホログラフィ通信で受け、友だちとも通信越しでしか話せない。
ある日、礎風は部屋のガラス越しに庭にマリーゴールドの若葉を見つける。辞典で見たことはあっても、可愛らしい新芽に一目惚れしてしまう。

礎風は両親に頼んで部屋へマリーゴールドを植え替えてもらうが、日に日に弱っていく双葉に礎風の焦りが募っていく。
わがまま少年はそこで一つ、大きな決心をするーーー。

若き日のマリーゴールド

「青い空がいいな」って、〈エイジアクラス〉の理稔くんが、手をあわせて祈るように言っていた。

「ううん、キラキラの海はもっとキレいだよ」と、〈ポリネシアクラス〉のファロニちゃんは、おさげ髪を振っていたんだっけ。


 海のことは、よくしらない。

 でもたぶん、好きにはなれないとおもう。

 空もいいけれど、僕は…………


 †  †  †


 ドアの閉まる音につづいて、ほのかな、魚の焼けるにおいが漂ってくる。

 わが家の昼食にしてはめずらしくない、僕の好物だ。

 その焼き魚の香りをまとった母さんが、明るい声で僕を呼んだ。

「礎風(そふ)ぅ、おくすりよ」

 今朝あった〈アースネット・スクール〉でのことをぼんやり考えていた僕は、母さんの声で現実に戻る。

「ふぅ……」

 小さくため息をつくのは、現実に引き戻されたせいじゃない。

 母さんに、ため息を聞かれないためでもない。

 学校のことはもう、ほとんど考えていなかった。

 僕が考えるのは、いつだって土。大地のことだ。

「は~い」

 僕の声は、母さんと真反対で、暗いし、かすれている。変声期というけれど、低くもならなければ、図太くもならない。

 血の気がすくない、クチビルみたいな声だ。

「ちゃんと、水のんだ?」

 テーブルにトレイをおいて、母さんがジトッと見つめてくる視線を感じる。

 となりには、目減りしていないグラスが置いたまま。

「いまからのむよ」

「もぅ……水分補給はだいじなんだからね」

 カサカサの声でこたえる僕に、母さんが頬をふくらませている。

 続けて「カタッ」と鳴ったから、僕が手をつけなかったグラスを片づけているんだろう。

 こんなときでも、母さんの声はご機嫌だ。


 母さんはいつもそうだった。食事のときも寝るときも、乾いたプラスチックの味がする〈遺伝子更生薬(Genetic Altering Medicine、GAM)〉を手渡すときでも、母さんの声はほがらかだ。

 そして、僕の名前の最後を少しだけ、伸ばす呼び方は、いつだってくすぐったい。


「礎風~?いつまでみてるの?」

 母さんの間延びした声のトーンがさがる。

 腰に手をあてているんだろう。怒る、というよりあきれた感じに近い。

 僕がこたえないでいると、「スッ、スッ」とフローリングを上履きが近づいてきた。


 僕の目の前には、青と緑のサンドウィッチが広がっている。

 それは、空と芝生に、はさまれた大地で、窓から見える上半分は、白い雲がたゆたい、中ほどからは土にうもれている。

 紫外線を完全に遮るかわり、黄色がかったガラス越しに、土の中がよく見える。

 礫や泥がすくない分、栄養豊富な腐葉土が黒と茶色のマーブルをつくる。迷路のような蟻の巣は、昨日より、分岐を増やしていた。


 僕の部屋は、むかしでいえば、"半地下室"になる。地面に建物が半分ほど、沈んでいる造りだ。

 本当の地下室とちがうのは、建物が地面を"突き抜けて"いること。

 だから、一面が窓になった壁の、下のほうには、逆さに生えた芝生がツンツンと、空を刺している。

 空は、上にあるだけじゃない。足元にも、さらに下のほうにもつながっている。

 一歩、"ふみだし"さえすれば、飛んでいけそうなくらいに近い。


 重力を自由にあやつって作られた〈浮遊地盤〉には、人工的だけれど、植物を育てるための土壌が、ちゃんとある。

 グリーン一色にはさまれたクルミ色の地下世界。

 壁の端から端までしかない、僕の世界だ。


「礎風ぅ?」

 やわらかく、背中をおすような手が僕の肩にふれる。

 肩から背中をさする母さんの手は、服越しにも伝わるほど。つめたい。

 部屋の温度はいつも一定なのに、母さんの手があたたかくなることはなかった。

「ごめんごめん」

 逃げるようにふりかえる僕を、母さんは「仕方ないわね」とさがった目尻で見つめていた。

 化粧をほとんどしない、細面のこめかみにかけ、深いシワが入る。


 シワが刻まれるほど、母さんは歳をとっていない。とったとしても、くっきり浮かぶほどにはならないだろう。

「母さんは高嶺の花だった」と父はよく言う。そんな母さんを射止めたことが自慢でならない、といった顔でだ。

 けれど、現に母さんは、この数年で老けてしまった。僕や、父さんがみてわかるほどに。

 心臓がしぼられるように苦しかった。


「……"矯正剤"の時間だ」

 苦しまぎれに発した僕の言葉は、そんな皮肉だった。こんなことを言いたかったんじゃない。

 思わず、母さんから目をそらして歯ぎしりをする。

 自分のカサついた声が、土中の暴君、ムカデのようにきこえた。

「ちがうわ、礎風」

 強い声で否定した母さんは一瞬、息をとめ、黒い瞳に炎をたぎらせた。

 しかられる。

 そう思った僕にけれど、強い言葉でただ、しずしずと、背筋を母さんが伸ばした。

「自分をそんなふうにいわないで」

「ちがう? だって、僕のDNAはまちがっているから……」

「礎風っ!」

 投げやりに言った僕に、今度こそ母さんの火がつく。

 色白な手が、さらに色の薄い僕の二の腕をつかんで、力をこめた。冷たかった肌に、今は熱を感じる。

「先週、いっしょに聞いたでしょう? あなたの染色体は、ほぼ修復したのよ。あとすこしガマンしたら……」

「SI(エスアイ)は半々っていってたじゃないか!」

 手を振り払う僕に、母さんが目を見開く。

「……半々って、なんのこと?」

 固まった声がすがりつくように聞いてくる。

 僕の顔と同じくらい、血色の悪いクチビルがヒュウヒュウ、と荒く息を吸うのがわかった。

「完治だよ」

 母さんと目をあわせていた僕は、無意識に息をとめていた。

 そのせいか、言葉がひどく重く感じられる。僕の肺活量では耐えられないかとおもったほどだ。

「きいた、のね」

 つぶやく母さんに、聞いた、とは答えず、僕は部屋の反対側に目をやった。


 そこには、ベージュの壁紙をくり抜いたような、マホガニー柄のドアがある。

 縦に木目の入った材木は、空模様を映す天井から注ぐ、紫外線がまったくない人工の日光に、つやを出していた。

 ドアのむこうには、母さんたちの寝室のほか、いくつか部屋があるけれど、僕が食事とトイレ以外に自分の部屋を出る理由は限られている。

 医者の診察を受けるときか、医者が指示したSIの診察を受けるときだ。

 SIは、高度な支援知能のことだ。よくしゃべるAIとはちがう。妙に気づかいのできる球体の人工知性は、僕には合わなかった。

 そして僕の家まで、医者が来られないときは、透明な六角柱のかたちをしているSIの部屋まで、僕が行く。


「ウチの〈MEDIC〉は、オリジンのSIと直接つながってるんだよね? オリジンの〈MEDIC〉は世界最高なんでしょ?」

 僕は知っていることを、ここぞとばかりに一気に吐き出した。

 母さんたちは、僕がなにもしらないとおもっている。

 けれど、僕だって、いつまでも無関心じゃない。

 母さんの妙に落ち着いた顔をチラチラ見ながら、僕は続けた。

「GAMは遺伝子の複製のときに作用するから、常に不安定だよね。だから、ガン化の確率もあがる」

 あくまでドクターの補佐という立場だけれど、SIの客観的判断は、人間の医者をしのぐといわれている。

 そのSIに直接、聞いたことを僕はそのまま、母さんにぶつけた。

「SIが言ってた。『浸潤性の細胞分裂が進む可能性は五分五分』だって」

「……そう、ね」

 視線を落とした母さんが、ぐったりしたように息を吐く。

 きっと、僕よりずっと早く、きいていたんだろう。

 見つめ返してきた黒い瞳は、もうすっかり鎮火していた。

「まだ、これからだったね」

 無言の母さんは、脇をすり抜ける僕にそれ以上、なにもいわなかった。

「……手をあらってリビングにいくよ」

 膝丈のテーブルから、漆器の盆にのった、灰色の米粒を二粒、拾い上げる。

 水も使わずに飲みこんだ薬は、相変わらずアーカイブビデオで見た、海をただよう、色あせた石油製品の味がした。


「…………じゃあね、またあした」

 軽く手をあげて、クラスメイトを見送る。

 海をわたった向こうの教室で、わざわざ会いにきてくれた理稔くんが、家に帰る時間だ。


 現実世界を重視する〈アースネット・スクール〉は、夕暮れが近づけば、帰れる場所がある人はそっちに帰る。なければ、学校に残ってもいい。『規則正しい生活を』、というモットーからだ。

 僕の部屋の窓では、サンサンと陽が注いでいる。陽だまりから離れていても、いまが太陽の高い時間なのがわかる。

 ということは、理稔くんのところではもう、陽が傾く時間だ。彼のいる地域との時差は大きい。

「(ホームに帰らなきゃ)」と肩をすくめる理稔くんの口は、音がつながったような不思議な言葉を話す。

 けれど、僕には慣れた言葉に聞こえる。僕の声もそうなんだろう。

 バイバイ、と手をふるランドセルの理稔くんのホログラフィが、僕の部屋の窓に向かって跳ねていく。


 理稔くんの足は、靴を履いていない。

 代わりに、腿から下がスプーンのようにカーブしたブレードになっている。バネの力をつかって理稔くんはとても早く走れるし、ダンスも上手だ。

 僕の部屋の窓ガラスも、その向こうの大地も、理稔くんには見えていない。

 でも、僕の"部屋"を出る理稔くんは、いつもそれが見えているかのように、最後の一歩を飛ぶ。

「いつかいっしょに飛ぼう!」と言っているかのようだ。

「じゃぁ~んぷっ」

 理稔くんに聞こえない、僕のかけ声で、大きくジャンプした理稔くん。

 元気いっぱいの姿は、そのまま、ホログラフィの描く範囲の限界をこえて、ウチの庭の土に消えていった。


 そのとき、平べったいブレードの先端をぼんやり見ていた僕は、一瞬で消えたホログラフィ映像のあとに残った、あるものが目にとまった。

「ん?」

 急いで立ち上がり、窓辺まで駆け寄る。床に寝そべるように頭を低くした。

 フローリングの床は冷たくない。大地の温度と同じに保たれている。

 けれど、板張りのコルク色を地面だと、僕はおもったことはない。

「草……?」

 "逆さの大地"で、空へと伸びる草の群れから、一本だけ、芽が突き出ている。他の草よりも、倍くらい長い。

 自動芝刈り機が残したものだろうか。

「芝、じゃないか。葉の数が多いし」

 土から直接、葉がのびているようなシバとちがって、見知らない植物の芽は、クキが葉を支えている。

 細いクキだ。

 マホガニーに似た黒茶のクキは、まわりの芝生の葉よりも細い。

 それなのに、先のほうでは四枚もの葉が広がっている。

 葉はスプーンの形をして、先端が丸っこく、軸がピーンと葉を突っ切っている。

 短い葉と長い葉が交互に伸びていて、まるで星の形だ。

 24時間と少しでまわる浮遊地盤でたっぷり、陽をあびたその芽は、僕がはじめてみたシバ以外の植物だった。

「えっと……」

 血がのぼってぼんやりした頭で、この芽がなんという植物か、思い出そうとする。

 昆虫はわかるけれど、植物はよくわからない。

「よし」

 窓に手のひらをあてると、緑色の字とグラフが浮かび上がる。

 ガラスは、床よりもほんわか、あたたかかった。大地の熱が伝わっているんだろう。

 文字は、『紫外線量増加』とか『脈拍上昇』とかいっている。僕は、手を横に払って表示を消した。

 次は、左手の人差し指と親指を立てる。右手のも立てて直角にする。

 片手で、"銃を撃つ"ジェスチャーを二つ、つなげて、僕は"シャッター"の構えを取った。

 ふるえる指で囲ったフレームの中心は、あの芽。

「この植物の名前は?」

 僕の声は上ずっていた。緊張なんだろうか。初めて陽をあびたときより、落ち着かない。

 ガラス越しに植物の写真を撮ることが、とても恥ずかしいことのように感じる。

 そんな僕にはかまわず、ガラスには、四角のフレームがあらわれ、中央にズームしていく。

 すぐに、写真の横に青い文字が並んだ。

「……マリー、ゴールド」

 言葉に出したその名前は、とてもきれいだった。名前のとおり、かがやいている。

 それにあたたかくて、ワクワクもする。

 それだけで僕は、嬉しくなった。


 それからの僕は、マリーゴールドが"中心"になった。


 朝、陽がのぼるのが待ち遠しくて、早く目がさめる。

 ライトのつかない夜の庭で、マリーゴールドはひとりぼっちだとおもうと、落ち着いて眠れもしない。

 ひと目でも早くと、まだ薄暗い時間に起き出して窓辺にすわり、日の出を待つ。

 少しずつ差す朝光が、じれったかった。


 早く太陽がのぼればいいのに、とおもうのは、なんだかおかしかった。

 僕にとっての太陽は、「時間」を早くする呪いだった。

 僕の時間は、太陽がのぼるかぎり、人より早く進む。


 けれど、僕も太陽がなければ生きられない。


 そんなことを考えているうちに、黄色がかった光が、星形にひろがるマリーゴールドの葉を照らす。

 マリーゴールドの芽は一番、背が高い。だから真っ先に陽をあびる。

 そこは、マリーゴールドの一人舞台だった。

 すべすべした葉が、太陽の光を体中に受けてきらめき、葉脈にながれる水まで見えてくる。

 濃い色のクキは、鈍い光沢を出して、大木から切り出され、磨きあげられた木材のようにたたずんでいる。

 陽へとのびるマリーゴールドの落とす影が、まわりのシバを阻み、決して追いつくことはできないと誇っている。


 昼間は、窓辺に座りっぱなしだった。

 透けた"ホログラフィ先生"の、話をきいているつもりが、いつしか、窓の外を見ている。

 得意な生物学の仮想実習も、手につたわる触覚フィードバックがつまらなく感じた。

 以前は、手のひらでうごめく虫たちに、夢中だったのが信じられない。

 先生に名前を呼ばれて、ハッとする僕を、クラスメイトが笑うけれど、気にはしなかった。


 家族との夕食も、僕は上の空だった。

 暗くなって帰ってくる父の言葉に、僕はあいまいな相づちを打つだけ。

 両親は、顔を見合わせることはあっても、口出しはしなかった。

 けれどもある日、父が言った。

「あした、草刈りだったな」

 その瞬間、僕のなかで感じたことのない、パワーが頭にのぼった。

 テーブルを叩きつけ、立ち上がる。

「僕のマリーゴールドにさわるなッ!」

 ひび割れた声だった。

 遊んでいるうちに倒した、花瓶の割れる音に、雨のまえの雷を足したような声だった。

「……それで、どうするんだ、礎風?」

 ゼエゼエ息をつく僕に、銀フレームの奥の目が「そうじゃない」と首をふる。

 語尾を上げない父の問いかけは、とても穏やかだった。

「えっ」

 質問されるとおもっていなかった僕は、一気にパワーを失った。

 疲れがどっと出て、座り込む。母さんが心配そうに僕を見た。

「咆えるだけじゃ、草刈りは止められないし、そもそも父さんが刈るのでもないからな。あれは、ロムの仕事だ」

 淡々と言ってから、みそ汁をすする父。

 普段と、なにひとつ変わらない物言いは、事実を述べているだけあって、言い返せない。

「やっぱり母さんのみそ汁はうまいな〜。濃さがちょうどいい。あとこのワカメの歯ごたえ。母さん、おかわりよろしく」

 と、特大の椀を母さんに差し出す父。

 いつもの僕なら、ただ黙って"負け"を認めるだけだ。

 けれども、いまはマリーゴールドがかかっている。

 ロム、と名付けた自動芝刈り機から、マリーゴールドを救う方法を考えなければいけない。

「ロムのプログラムを変えて、延期してもらえば……」

「無意味だな」

 僕の提案はあっさり、切り捨てられた。

 ふつふつとパワーがわき上がる僕をよそ目に、父が続ける。

「あしたから、あさってにするのか? それでいつまで続く?」

「それはっ……」

 言葉につまる僕を、父はタクアンをほおぼりながら見つめる。母さんより薄い黒眼が、期待に光っていた。

 いつか、芝は刈らないといけない。

 手入れをしないと、マリーゴールドも草にうまってしまうだろう。

 根本的にはなにも変わらない。

「はい、礎羅(そら)」

 母さんが手渡した湯気の立つ椀を、「サンキュー」と言って、父が受け取る。

 箸を突き立てて、おいしそうにすする。

 父の動作を見た途端、僕はひらめいた。

「あっ!」

「ぐふっ……」

 突然、立ち上がった僕に、父が茶色の液体を吹き出す。

 クチビルには、位置を間違えたヒゲのような海藻がくっついている。

「それだっ!」

「か、母さん、それ雑巾じゃあ……」

 布巾で手早く、食卓と顔を拭く母さんに、されるがままの父。

 そんな二人へ、僕はアイディアを口早に打ち明けた。

「植木鉢だよっ! マリーゴールドを部屋に植え替えれば、いいんだっ!」

 上ずった僕の言葉に、両親が手をとめて僕を見る。二人とも、固まったように動かない。

「えっ……」

 みるみる、興奮した体が冷えていく。


 僕は忘れていた。

 植え替えをするには、外に出なければいけない。

 けれども、僕は、外には出られない。


「礎風」

 父が普段の口調で僕を呼んだ。

 僕が顔をあげると、となりで母さんがほほえんでいる。

「いまから植え替え、やろな」

 ニヤッとした父の頬には、ワカメの切れ端がついていた。


 木琴をたたくようなアラームが部屋にひびく。

 とうに準備していた僕は、さっと手を振って、タイマーの音を消した。

「きょう最後の水やりっと」

 エメラルドグリーンのジョウロを少しずつ、鉢へと傾けていく。

 細い幾筋ものシャワーが、小雨のようにマリーゴールドへ降り注いだ。

「よしっ!」

 足りない、とおもうくらいのところで、ジョウロを床におく。根腐れでもしたら大変だ。

 そうして、人工灯の下できらめく、僕の宝物をじっくり眺め回す。

「きれいだ……」

 10センチほどに伸びたマリーゴールドには、たくさんの葉がついていた。

 その葉から水滴がしたたり、下の葉が受け止める。

 水滴をまとうマリーゴールドが、室内の弱い光を反射して、シズクを小さい宝石に変えた。

 日光のもとのマリーゴールドは、本当に美しい。

 けれど、植木鉢のマリーゴールドは、さらにかわいかった。

「またあとで」

 いつまでも見ていたい心をおさえ、僕は植木鉢から離れた。


 マリーゴールドが部屋にうつっても、僕は相変わらず、開花を待ちわびるこの植物に夢中だった。

 けれど、少し変わったこともある。

 僕は、落ち着いてほかのことに集中できるようになった。


 〈アースネット・スクール〉の授業は、机について、聞くようになった。

 授業中、マリーゴールドが気になれば、目を動かすだけでいい。

 しゃんと、背筋ののびたマリーゴールドがすぐそこにある。


 食事もきちんと取った。

 ジョウロは意外と重たい。水やりをだれにも譲りたくなかった僕は、しっかり食べて力をつけた。


 夜は、よく眠れる。

 マリーゴールドがそばにいるからか、いつもぐっすりだ。

 日光があると外に出られない僕を、「散歩、いこう」と夜こっそり、のぞき込む父が口を尖らすくらい、僕は寝付きが早くなった。


 マリーゴールドが背丈を伸ばし、僕が体力につけるようにつれ、薬の量も減った。

 ウチのSIいわく、「免疫力の向上がDNAの修復に好影響を与えている可能性がある」らしい。

 一日一回になったGAMを、持ってきてくれる母さんにそのことを話すと、「恋って万能薬なのよ?」とウインクしていた。

 SIの言うことも母さんの言うことも、意味はよくわからなかった。

 例によって、プラスチックの味は変わらない。

 でも、前ほど、気にはならなかった。


「礎風くん、そろそろGAM、やめてみますか」

 久々に会う主治医がそう言ったのは、マリーゴールドの植え替えを10回くらい済ませた頃だった。

 季節は夏で、真夜中の"ガーデニング"は、恒例行事になり、その日だけは僕も、アクビをこらえて両親と夜を外ですごした。

 わが家のほかにも、あちこちの浮遊土地が明かりをともし、宙でふわふわと舞う。

 夜空のもとで見るマリーゴールドは、ほんのり、明かりを反射して、しおらしい。

 普段とちがう、可憐さだった。


 マリーゴールドをじっと見ていると、時々、太陽が思い浮かぶ。

 ふとした拍子に、家ではない場所が見えてくる。


 草原のような場所に僕はいて、腕にはマリーゴールドの植木鉢を抱えている。

 ギラギラした陽に照らされ、汗をかき、息があらい。

 体中が灼けるように熱い。

 遠くでは、地平線が橙色にゆれていた。

 蜃気楼のようで、なにかちがう。

 オレンジ色の群れが、風に吹かれているみたいだった。

「水……水をあげなきゃ……」

 血眼で水のある場所を探す僕は、マリーゴールドに語りかける。

「だいじょうぶ。キミは僕が守るから……」

 すると突然、強い風が吹いてくる。砂まじりの強風で、目も開けられない。

「なん……?!」

 僕はしゃがみ込んで、風からマリーゴールドを守ろうとする。

 けれど、マリーゴールドは、まるでいやがるように激しくゆれる。

「どうしたの、マリー……?」

 近づく僕の耳に、かすかな彼女の声がする。

「……わたしをお願い……はなして……」

 風が吹いているあいだ、彼女の悲痛な声は止まない。


 マリーゴールドの葉が黄ばんで、しおれてきたのはその頃だった。


「水のあげすぎ、じゃないとしたら病気、か?」

 植木鉢を持ち上げ、僕はつぶやく。

 わずかに水滴がパレットへ垂れてきたけれど、その量は少ない。パレットの水たまりも、毎日、換えている。

 目にささるくらい、葉を近付けて見ても、植物の病気をあらわす、斑点やシミは見当たらない。

「ちがうな……」

 少し前まで、青々としていた星形の葉は、黄色から焦げ茶色になり、一部はすでに枯れ落ちていた。

 上へ上へと伸びていたクキも、自分の重みにすら耐えられないというように曲がりはじめている。

「なんでだ……」

 焦りが、乾いた声ににじみ出た。近ごろ、聞かなかった声だ。

「礎風、ご飯できたわよ……」

「あとでッ!」

 今度はトゲの生えた声。

 部屋に入ってきた母さんの言葉すら、カサカサいう落葉の音に聞こえて、僕は振り返りもしなかった。

「礎風、いい加減にしなさい。あなた、ずっとご飯も食べないし、薬だって飲んでないじゃない」

「そんなのいらないっ! マリーが苦しそうだっていうのに……」

「どっちがだいじなの?! 礎風、たかだか花で、あなたは死ぬつもり?」

 僕の肩を母さんがつかむ。

 夏だというのにひどく冷たかった。

 そうでなくても、力をこめているせいで、きっと白んでいるにちがいない。

 手と同じくらい平坦なその言葉が、僕にわき上がるパワーをくれた。

「ただの花なんかじゃないッ!」

 勢いよく立ち上がるまで、パワーは続いた。

「僕には……僕には……」

 けれども、振り向いてすぐ、パワーは途切れた。

 僕には、言いたいことがたくさんあったはずなのに、何も出てこない。

 乾ききったクチビルだけがパクパクする。

「そふっ!」

 足に力が入らずによろけた僕へ、とっさに、母さんが腕をのばす。

「……いてて」

 おかげで倒れずに済んだけれど、体のあちこちが固まって痛い。

「礎風、あなたが元気じゃないと、どうやって花の世話をするの?」

 床に僕をすわらせ、母さんもとなりに腰を下ろした。

 母さんの声に、いつもの明るさはない。「もうだいじょうぶ」と言っても、僕の肩をささえる手は、痛いほどだった。

「こわいんだ……。マリーが、死んじゃいそうで」

 まっすぐな母さんの視線から逃げるように、うつむく。

 泣かないようにするのが精いっぱいだった。

「あなたはよくやったわ、礎風。こんなに大きくなったじゃない」

 やわらいだ声で母さんがなだめる。

 わずかなあいだ、鉢のほうを振り返るのが、衣ずれの音でわかった。

「……まだだ」

「え?」と首をかしげる母さんを残し、立ち上がってテーブルから鉢を抱えて戻る。

 危なっかしく見えたのか、母さんは手を伸ばしたけれど、僕は黄土色のポットを手放さなかった。

「これをみて」

 慎重にフローリングへ植木鉢を下ろしていく。

 ふらつく僕に、母さんはぐっと、拳を握りしめていた。

「この葉のうらだよ」

 鉢が安定したのをたしかめて、丈の低いところにまだ残る、緑の一枚の葉をそっと、指で押しのける。

「きのう、見つけたんだ。いちばん上にもついてたんだけど……」

 葉の傘に隠れ、しわくちゃな緑のかたまりがたわんでいた。

 ラグビーボールのかたちをした、その先端は、明るいオレンジに色づいている。

「……枯れたんだ」

 葉の裏のつぼみから、クキを上へ指でたどると、マリーゴールドの頂には、似たようなふくらみが残っていた。

 けれども、そのつぼみは、みるからにしおれ、色あせていた。

 花びらになるはずだった部分は、くすんだ土色をしている。

 このままでは、元気なつぼみも同じようになるかもしれない。

「母さん」

 顔を上げて母さんを見すえる。

 そして、僕は思っていることをそのまま、打ち明けた。

「僕は、マリーの花が見たい。ホログラフィじゃない本物の花が見たいんだ」

「礎風……」

 僕の名前をつぶやく母さんは、驚いたような、それでいて、うれしそうな表情だった。

 ツーン、となる視界をこらえ、僕は背筋をのばした。

「だから、ぜったいにマリーは、枯らせない。たとえ僕がたおれても、マリーだけは守る」

 植木鉢をはさんで、母さんはじっと、僕の話を聞いていた。

 一度、上をあおいだその表情は、ほとんど変わらないけれど、僕には、いろんなことに頭をめぐらせているのだとわかる。

「……ねえ、礎風」

 すっと、母さんも背をのばした。

「生物の先生にはきいてみた?」

「うん、きいたよ。『水やりのしすぎ』とか『病気』とか、教えてもらったんだけど、ちがうみたい。土は乾いているし、マダラもなかった……」

「ほかには?」

 すかさず、母さんが尋ねる。

「ほか……?」

 言い終わらないうちから、身を乗り出してきた母さんの言葉を、変に思いながらも、僕は記憶をたどった。


 生物の先生にした、マリーゴールドの説明。

 今の状態と、以前のようす。

 マリーゴールドをどうやって育ててきたのか。


「あっ!」

 無意識に僕も空をあおいでいた。部屋の天井に映る、リアルタイムの空模様が快晴を示している。

 その中央では、太陽が丸く黄色にかがやいていた。

 まぶしくも、熱くもない太陽。

 この太陽は、僕のために長い波長だけ、取り除いてある。

 そして、僕を生かすための工夫は、マリーゴールドにとっては、害に他ならない。

「……お昼、温めなおしてくるわね」

 声をかけようとした僕に、そそくさと母さんが立ち上がる。

 振り返らずにドアへ、早足で駆けていく。

「母さん……」

「ちゃんと帰ってくるのよ……礎風ぅ」

 ドアの前でそう言ったきり、返事も待たずにエプロンの後ろ姿は、廊下に消えていった。


 部屋が急に静かになり、僕はただ、ぼうっと、母さんが座っていた場所をながめた。

 そこから、部屋の奥に目を移す。

 一面ガラス張りの窓のむこうで、刈りたての芝が青々と、上を向いている。

 芝生の"上"からは、遮るもののない光が降りそそいでいた。


 季節が秋にうつろう今、夜露の芝生は、少し冷たい。

 裸足にとがった葉先がチクチクして、こそばゆかった。

「ザクッ、ザクッ……」

 暗闇と似た色の土は、湿気をふくんで簡単にすくうことができる。

 遠くの空で、紺藍の光が、地面の穴と、横の盛り土をあわく照らした。

「ごめんね」

 マリーゴールドを鉢からそうっと、持ち上げる。

 枯れた葉がそよそよと秋風に流されていく。

 にぎったクキや枝は、たわんで、ぐったりしていた。その原因が自分にあるとおもうと、胸の奥がチクリと痛む。

 でも、なんとか間に合った。

「キミは、太陽の子だった。お日さまがないと生きていけない」

 まだハリのある根から、土を払い落とし、新しい"住処"へ運んでいく。


 考えながら掘った穴は深くなってしまい、少し、盛り土を戻さないといけなかった。

 掘削と埋立を繰り返すうちに、夜もふけてきて、もうすぐ日の出がやってくる。

「僕もキミのようになりたかったよ……」

 地面にぽっかり空いた穴に、マリーゴールドは、ちょうどよく収まった。

 窮屈そうな下のほうの葉をたくり上げて、盛り土をパラパラかけていく。

「だからって、ひとり占めしちゃいけなかったね」

 反省の言葉を聞いてくれるひとは、いない。

 僕が、二人っきりで部屋を抜け出したからだ。

 その時間も、もう終わる。


 空の紺色が緋色にうつり変わり、明るさを増していく。

 わが家の庭がくっきり見えはじめ、向こうの空でただよう他の土地からは、小さなビークルがいくつも飛び立っていった。

 また一日がはじまる。


「さあ、これで自由だ。お日さまとずっと、いられるね」

 掘り返した土を、すべて、マリーゴールドの根元に戻して、僕はスコップを放り投げた。もう使うこともないだろう。

 マリーゴールドのそばであぐらをかき、光のほうに目を細める。

 オレンジ色の、マリーゴールド色の光が、庭の"地平線"からあふれてきた。

 光の強さに思わず、手をかざした。

「う〜ん、まぶしいなあ」

 皮膚が風呂あがりのようにヒリヒリしてきた。目の奥もチカチカする。

 けれど、気持ちがよかった。

 体のなかから熱くなって、力がわいてくる。ワクワクして、なんでもできそうだ。

 ジャンプするときの理稔くんは、きっとこんな気持ちなんだろう。

「やっぱりキレイだ……」

 そばのマリーゴールドに目をうつすと、ほっそりした影が、僕の脚でユラユラゆれていた。

 これから、どんどん大きくなっていくんだろう。

 そして、いつの日か…………


 †   †   †


 浮遊する地盤が立ち並ぶ住宅地〈フロート・レジデンス〉の一角で、地盤を貫通するように建つ一軒屋。

 その庭は、ほとんどを橙色で埋めつくされていた。


『礎風のマリーゴールド畑』と、名字のない表札がかかったその家は、丈がまちまちなキク科の植物が、ウッドアーチの門扉から、真四角な家屋までの地面を覆う。

 細長く、星形の葉のジャングルの下では、わずかな陽だまりを芝が競っている。


 初夏の『礎風のマリーゴールド畑』は、満開の時期を迎え、球や椀のかたちをしたオレンジ色の花が、日光をもとめて、太陽の方向に顔を向ける。

 吹きぬける風に、明るいオレンジの花たちは、楽しげにゆれた。


 無機質なグレーの家の一面には、ガラス張りの壁があり、日光を力強く反射させている。

 あわい黄色の光を発するようにもみえる窓からは、窓辺の勉強机や、床に置かれたエメラルドグリーンのジョウロが、ついさっきまで使われていたかのようにたたずむ。


 手入れがほぼされていない庭のなかで、一面窓の下の、ひらけた空間だけは、人がならんで立つこのできるスペースになっていた。

 背高なマリーゴールドは脇によけ、背の低いマリーゴールドが地面に花輪をつくる。ちょっとした円形の芝生広場だ。

 広場の、刈り揃えた芝生のうえに、凹みが二組ならぶ。

 それは、人が膝をつけたような痕にもみえた。


 広場の中央、部屋からもよくみえるところには、こじんまりした碑が建っている。

 ありきたりな花崗岩をドーム状に削った石碑には、一人の名前と年月が刻まれている。

 碑文には、『太陽の子、ここに眠る』と、豪快な筆跡であった。


「ムクッ……」

 石碑の下から、なにかが、茶色の地面を盛り上げた。

 体より先に出た二本の触角を、キョロキョロと動かし、様子をさぐっている。

「カサッ……」

 そのまま、土から這い出たのは、ダンゴムシだった。

 ダンゴムシは、触角を一度、石碑へと向ける。

 一瞥すると、土の分解者は、回れ右をして地面を進んだ。


 右往左往しながらも、ダンゴムシはまっすぐ、地表を行く。

 やがて、一本のマリーゴールドをみつけると、触角でクキをたたき、するすると枝を上っていった。

 石碑にいちばん近い、大輪の花を咲かすマリーゴールドの株だ。


 ひたすら登りつづけ、ようやく、一枚のマリーゴールドの葉のうらから、ダンゴムシが丸い頭を出した。休みもとらず、綱のような細い枝のうえを、ためらわずに進んでいく。

 その先には、マリーゴールドの花。

 しかし、花まではまだ遠い。

 ここからは、クキよりはるかに狭い道しかない。


 やっと、丸っこい花冠のそばまで着いた。ホッとしたようにダンゴムシが立ち止まる。

 まるで、息を整えているようだ。

 そして照れるように触角を、そろそろと動かす。

 それでも、花にはまだ、届かない。


 刹那、「サワーッ……」と、一陣の風が吹き抜けた。

 春の面影をのこす爽やかな風が、マリーゴールドをゆらす。


 強風に振り落とされないまいと、必死に、ダンゴムシは枝へ、しがみついた。

 オレンジ色の花にそっと、自分の触角がふれているとはまだ、気づかずに。


 (完)


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