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二五 本気の役者の即興台詞

 シノティラが居間に来ました。

「ええ、今朝早くに咲いたそうです」

 フィサに持ってきた茶を、卓に置きました。

「イエドはどうしてますか? 樹の下に居るでしょう?」

「おお、あそこに居たのか」フィサは手をかざして言いました。「何だ。あのフライメエスを演じた者とは、思えんな。まったく、ほど遠い! ユウエリマから聞いたほどでもない。抽象的場面ちゅうしょうてきばめんになるような……」

 フィサはぶつぶつと、評論をのたまいながらイエドの方へ歩み寄り、その顔は怒ったように強張こわばり始めました。

「ユウエリマに不安なぞ抱かせよって……。旅立つ者に送る激励くらいは、てまえお得意の芝居で言ってみたらどうだ!――おかげさんであの子に、自分のことにだけ気を入れろ、と叱らねばいかなかったぞ。おいっ、ねぼすけい!」

 横になったままのイエドは、それがフィサのいかりの芝居なのだと分かっていました。

「……今朝けさ早く一番で、おれがこの樹の花を見付けたんだ」イエドは言いました。

 その顔の前に立ったフィサの足元から、横目で睨みました。

「……はんっ。お決まりの態度だな、小僧。ねぼすけでないと言うのか」フィサは、次第に口調を静かにしました。「ユウエリマはわしに嘘なぞ言わんのだが、相変あいかわらず――ふうっ、いつもの生意気なまいき小僧こぞうじゃないか? かつを入れてやる必要もないな」


「……さあて、小僧。話がある。まずは、座らせねば」

 フィサは一声「ふんっ」と気合を入れ、イエドを慣れた様子でかかえ上げました。

「あ、わたしがしますから――」シノティラは、縁側から走り寄って来ました。

「いい、いい。わしの用だ。イエドにはきちっと、聞く態度というもんをとらせてやる。――ほれ、肘掛ひじかけをつかめ」

 フィサは、樹の下の車椅子まで運びました。

 イエドは車椅子に座りましたが、何となく、足元の物足りなさに少し気落ちするのでした。フィサはイエドの前で腕を組んで、話を続けます。

「さて、話と言ったのは、いつヤイチへ発つかについてのことだが――」

 一方のイエドは、夢のほうの地に足が着いた感覚を、懐かしく思いました。なぜ、懐かしいか。それを考える暇もなく――。

「出発は明後日みょうごにちにする」フィサはそのイエドの都合など知らず、言いました。

 イエドは、はたと顔を上げて、フィサを見ました。

「ようやく、本番の目つきになったか」フィサは腕を組んだまま、イエドを見下ろして言いました。「あのユウエリマが、この町ではおまえのことが気掛かりになってしょうもないようだからな、予定を早める。ユウエリマは、明日あすをおまえに会う――ひとまず最後の日にするから心配要らない、と言ったがだめだ。そんなりなぞして、余計に小僧を心に居座いすわらせるだけだろうが――」

 すると、フィサはシノティラに振り向き、「こりゃ、失礼した。人さまの子息に『小僧』ではいかんな、訂正するよ、シノさん」と言いました。再びイエドの方に振り返りました。

「イエド。それで、だ。明後日、おまえが港まで見送りに来るんならば、それが旅立つユウエリマにとって、おまえと顔を合わせるひとまず最後の機会だ。

 ……わしが一人して事の次第を進めていると思うなよ。おまえが自分で発心ほっしんをしてから来い! くっ、自分が情けないがな、ユウエリマが前に進んで行くためには、おまえの言葉も必要だ……」


「……あいつ、上手い芝居だった。おれはそのとき、あれが芝居と気付いてなかった。それで今朝、ユウエリマの決心していたことを聞いて、あせった。あいつは前進して行って、でも、おれは歩くこともできず――」

 イエドは樹を見ながら言いました。

「――それも違った。あいつは、行き先がしっかりあるのに、わざわざ、おれのほうを見て、後ろなんかを向いているのか?」

 フィサはイエドの様子を見て、いつもと違う印象を持つのでした。ユウエリマが言っていたイエドの「落ち込み様」は、フィサには「落ち着き様」に見えました。

「まあ、何だ――思い詰められて、そのような、わけの分からんこと言われても、こっちが困るぞ」フィサは空に目をやって言いました。

 するとそこへ、シノティラがフィサとイエドの間に入り、言いました。

「いいえ……イエドが思い詰めて、悩むくらいじゃないと、恩返しになりません」


 シノティラは、昨夕さくゆうのユウエリマの提案によって、イエドが前向きな考えを取り戻したことを話しました。


 フィサは、孫に半分は感心しながらも、もう半分は呆れていました。

「うーん……。もしや、と思っていた通りだったか」

 フィサはきびすを返し、縁側へゆっくりと歩きました。

 そして、居間に入り、そこの卓上の茶を手にし、おもむろに飲み干しました。

「ふうっ、うまかったよお!」

「そう、よかったです」シノティラは応えました。

 そしてフィサは、縁側から声を張って呼びかけました。

西六番にしろくばん埠頭ふとうにて、シェダフム五時発のヤイチ・ダウン行きの便びんだ」

 イエドはそれを見ていました。

「明後日の朝、また会おう!」フィサは家をあとにしました。

 少しがあって、イエドは言いました。

「…………必ず行く!」

 その声は屋根を越え、坂にし掛かっていたフィサにまで届くのでした。

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