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二三 一人のものではない夢

 客車の乗客数が減ってきました。

 残っているのは、時間が経っても外を見続けている乗客二人ほどでした。その姿は薄くなりつつあります。


 イエドは、ボクと向き合って座りました。

「……みんなを見ていたら、おれにも帰る時が来る気がしてたけど、何か納得がいかない。ここでの出来事はつい最近なのに、まるで昔の思い出のように、途切れ、途切れ、浮かんでくる」

 イエドは、小さく溜め息を吐いてから言いました。

「また繰り返して、きみを『わあ』って驚かせたり、その名前に笑ってしまったり、立てたのがびっくりだったり、こんなことを繰り返すような気もするし……コドさんを自己紹介で困らせたりも――

 まっ、コドさんにおれが『恐れ入って』しまってさ。可笑おかしな仕返しみたいなこともされたっけ……いろいろあったなあ。多分、忘れたこともあるけれど、帰っても――目が覚めても、ここの思い出は意地でも覚えてやるよ」

 イエドは不思議な心持ちでした。この船がどこへ向かっているかなど、もはや考えませんでした。

 いずれ訪れるはずの、ボクとの別れの時。その間際まぎわに何ができるだろうか、と考えました。


 ボクはそれを感じ取り、居ても立ってもいられませんでした。

「イエド。〝あの星〟が、今どこかに見える? でも、やっぱり、まだボクとここで――イエド?」

 しかしイエドは、再び強い光を視界のはしに見ました。


 そこには、イエドが求めていた光があります。ところが、以前は瞼が遮ったそれは、今のイエドの心象に別の実像を映しました。それは、白い花でした。


 思いがけず、イエドはボクとの「無縁ではない因縁」を知りました。


「あれは……」

 イエドは窓の外に振り向きました。

「そうだ。分かった……」

 ボクは、イエドが何を思うのか、分かりませんでした。ただ、諦めに似た思いと、引き止めたい思いでした。


 イエドが、とうとう、イエドの光を本当に見た。それはボクは見られない。

 現実に引き戻す光は、誰であっても目が逸らせられなくなるんだよ。ボクにはどうしても、それが理解できない。

 帰ってしまう、もう再び会えない……

 せっかく、ボクでもはっきり姿が見える人が来てくれて、一度は帰りそうになっても留まってくれて――

 夢を、ボクの夢を一緒になって過ごしてくれる、こんなに確かな存在は、きっと他には誰も、もう、来ないの!


 ボクは口を結び、目線を下ろしました。もはや、目を閉じればイエドは帰り、目を開けたときには、誰も居なくなっていることを覚悟しました――。


 ボクは瞼を閉ざしました――そのとき、イエドは、ボクの手に触れました。

「白い花だ。あの光は、イエドの樹の花だった。きみがおれの名前を知っていたわけも分かった。きみとおれには、同じ星が見えているかもしれない」

 イエドは、ここを夢だと侮ることはしませんでした。その心象が、あの星を「自分だけの視点」ではなく、誰かの思いと合わせて見ることで、ボクと共有されたのでしょう。


 白い花びら、その先から散るようにボクには見え、イエドはそれを嗅いだり、触れたりしたことをボクに伝えたいと、強く思います。

 花の中心の輪、ひも状の渦巻きと浮き上がる〝だま〟が見えたボクに、イエドはそれに感動したことをボクに伝えようと思います。


 イエドは、自分の家の裏庭にいる大樹の話をしました。


 イエドは、ただこの席に引き寄せられたのでした。

 裏庭の大樹、それは、イエドがみずからの方に目を留めるようにするため、蕾を膨らませ、花を咲かせ、そしてかれを呼び寄せました。

 ボクの夢は、何らかの理由で無意識に残る〝イエド〟という名の樹に届き、その樹に思いを寄せる同士へ及んだのでしょう。イエドはそれによって、一人ではない夢へと引き寄せられたようでした。


 ボクは、思いもしなかった巡り合わせに、心がおどるようでた。

「信じられないようなことだ……。ああ、この思いはどう言えばいいんだろう。初めてだよ」

 ボクはイエドの手を握り返し、立ち上がって窓の外を見ました。

 二人は並んで一つの星を見ました。

 同じ一つの星が見えました。

 二人の新しい見方によって、星の周りにかさが見えてきました。

 それは、虹の輪でした。

 一つの星の光は、眩しさを増していきました。

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