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十六 青葉号の船長

 ボクは暗い通路を走り抜け、操舵室そうだしつの扉に突き当りました。

「船長! 空へ戻って下さい!」

 ボクはその勢いのまま扉を押し開き、言いました。

「どこへ向かっているの、船長?」

 この暗く窮屈な部屋は、木造りの床をのぞく全面が硝子ガラス張りでした。外側の骨組みに付けられた豆電灯や、操縦席周囲の機器が発する点滅光に囲まれていました。


 それら全ての明かりを受ける、操縦席の黒い影。それは船長でした。

 かれは上部に掛かる電波結像機を見ているようでした。


「どうして? まだ行き先は決まっていないのに」

 ボクは言いながら、船長が座る操縦席の裏側に付いて、覗き込みました。天象儀てんしょうぎのような機器には、一点の光が点滅していました。

「船長? そこへは、行けないはず――」

「行けることになった」船長は、低く通った声で言いました。「コドさんの行き先になったからには、どこへでも行けるのだ」

 ボクは船長の前に立ちました。

「いけない、いけないよ」ボクは顔をしかめて言いました。不機嫌な子の、泣き出しそうな声でした。

「勿論、きみは行けない。が、コドさんは行く。すでに、ご自分の一切を確認なさったのだ」船長は傍の切り替え器を操作して、操舵室全体を明るくしました。

 不明瞭だった船長の丸い頭が鮮明に見えました。


 一面茶色の毛、白目の少ない大きな目、豆形の湿った鼻。

 船長の顔は、獣のようなそれは、猫顔でした。

 その両襟りょうえりに口元からの長く硬い毛が掛かり、上へ立った耳と耳の間には、丸い帽子が乗っていました。


「向かうぞ」船長は、席の横の変速装置の梃子てこを引き戻しました。

 それを見て、ボクは声を上げました。

「船長! 待って下さい。ボクの頼みを優先する約束だったでしょ? その方向じゃなくて、朝陽の空に……いつも行っていたあの空、コドおじいさんだって、きっとまた行きたいはずだから――」

 すると、船が揺れました。

「向かう場所は、客車だ。コドさんの元だ」船長は大きな目を半分閉じて、前を見据えたまま言いました。

 そして、操縦桿そうじゅうかんを溝に沿って、前に傾けました。

「船長」ボクはにこりと笑みました。「おじいさんを説得してくれるんだね? さあ、早く!」

 船長は席を立って間もなく、ボクに腕を引かれてつまずきながら、大きな体を前屈みにして操舵室を出ました。


 開け放たれたままの操舵室からは、明かりが射していました。

 遠退とおのくその明かりを、船長は暗い通路から細い目でにらんでいました。

 ボクはただ一心に船長の腕を引っ張り、前進していました。


 船が激しく揺れました。短い間小刻みに、上下へ動きました。


 ボクは思わず立ち止まり、微動びどうだにしない船長の腕にしがみ付きました。

「……止まった?」ボクは言いました。

「止めたのだ」船長は言いました。「が、行き先は近い。ここで降りるのはコドさんの自由だ」

 ボクは握っていた船長の外套がいとうを乱暴に払い、走り出しました。

 暗闇の中、走り続けました。


 そのままたたずむ船長の目は、ゆっくりと見開きました。ぎらりと暗闇の中でまたたき、ボクを追って歩き出しました。


 ボクは走り続けても、扉が見えてきませんでした。


 何も見えませんでした。黒一色だけが広がっていました。

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