「コドおじいさん?〝イエド〟とだけ呼んでみて。今のところ、返事をするのはイエドの方だからね」ボクは言いました。
「おう、そういう運びぢゃったなあ」
コドとボクは、互いの顔を見て頷き合いました。
「うむ。イエドや」コドはイエドに向き直って言いました。
イエドはコドの真剣な顔が、どこか懐かしく思いました。
「うん」とりあえずイエドが短く、呼びかけに応じますと――。
「そうぢゃな……」コドは呟きました。
「おまえさんは何の経緯でここに居る?」
ボクとコドは、期待の面持ちでイエドを見ました。
「え?」イエドは答えが分かりません。
「そうかい……、分からぬかい」コドは背凭れに寄り掛かり、イエドをじいっと見ました。「うむ。イエドもちょいと元気なさそうぢゃが……、そりゃあ、しかっとあっちに繫がっとるでな、その証拠ぢゃ」
コドは深く息をしました。
「わしは絵で見た、しかも黒鉛筆で描かれたイエドの樹しか知らぬのに、こうして自然の色のイエドの樹の枝と葉を見とる。記憶だけが夢になるとも言えぬわけぢゃなあ」
コドは顎を上げて、天井の照明に目を向けました。
「イエドはここについて、ボクちゃんから聞いたかい?」
イエドはただ頷きました。コドもまた、ボクの引き込むような話し方に似ていました。あるいは、コドの話し方をボクが真似しているのでしょう。
更に向こうの照明へと目を移し、コドは膝に両腕を支えにして少し屈みました。その上目遣いの視線は、周りを遠く見渡していました。
「実は、わしは船に乗ったことがない。でも、今こうして乗っとるよなあ。して、わしは孤独ぢゃった。でも、今はやけに楽しんどるよ。ここでわしは、たくさん勉強した。日没と朝陽とを、何回も何回も、描いたもんぢゃ。ボクちゃんと知識の競い合いもした」
コドは懐かしみながら話しました。
「……でもなあ、こうして夢ん中に長居しとると、ここで生きとるようになる。わしは、もう起きとらぬと思うんぢゃ。一週間、二週間、あっちの現実っちゅう所でなあ」
コドはそう話し、左の窓に顔を向けました。
すると、コドが見つめる枝の葉が、かさかさと靡くように動き、落ちました。隙間ができ、外が見えてきました。
しかし、さっきのような眺めはなく、暗い雲の中でした。冷たい大粒の霧が中に入ってきました。コドは右へ振り向き、開いたままの扉の中に向けて声を張り上げました。
「おうい、船長さんや。雲ん中ぢゃぞ!」
外で風がぴゅうぴゅうと下へ向かって鳴りました。
飛行船はぐんぐん上昇し、雲の上に抜け出ました。
遥か遠くの星星が、船と同じ高さに浮いているようでした。それらの輝きは、一つ一つがちらちらと明滅していました。
イエドが外に身を乗り出そうとして、窓の縁に手を掛けますが――。
「あれ? 硝子が張ってある。枝が消えたし、葉もない……」
三人は揃って周りを見回しました。周りに落ちていた葉も、一つ残らず消えていました。
「良かったあ。あの本に挟んでおいて」ボクは胸を撫で下ろして言いました。
「ほう、ボクちゃんや。わしの二の舞は踏まなかったんかい」コドは笑って言いました。
以前に似たような〝運び〟で、取り損じた思い出があったのでしょう。