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十一 緑の栞

 悲しそうに一瞬だけ、ボクの目はかげりました。

「夢だって何かになるよ、そう思わない?」ボクは優しく言いました。

「現実を見て感じたりする心も、夢を見て感じたりする心も、同じ一つの心なんだよ。ボクは思う。本当に現実の方が夢より大事なのかってね。目が覚めていると、探し求めなくても現実がある。眠っていると、考えなくても夢を見る。それにね、現実と夢のどっちでも忘れものがあるから、大事さに違いなんかないんだ。本当だよ」

 イエドは目をひらき、顔を上げると、ボクの瞳がさきに見えました。ボクはイエドが顔を上げたら目が合うように、待っていたのでした。

 どこにも翳りのない、光をどこからでも受けるように、大きくひらいた目。

 イエドは、その瞳にまれそうだ、と思いました。

「イエド。きみはこの夢の中で立った。きっと、本当に立つ。現実で立ちたいと願っていたから夢でそうなった、ていうきだけじゃない。現実でも立てるよ」ボクは優しげな声でした。

 二人は何か、同じような〝虚像きょぞう〟を知っているがしました。

 イエドはボクを見つめ続けながら、ボクの声による言葉を思い出していました。

 ボクはイエドを見つめ続けながら、イエドの心にうつる思い出を感じ取っていました。


 イエドは、初めて夢の中の〝時〟を感じました。その心地良ここちよさ、そしてなぜか、ボクの存在に安堵感あんどかんいだいていました。


 しばらくして、ボクはひざに乗っていた葉に視線を落としました。それを手に取り、手元てもとに浮かぶほんしおりにしました。本はみずかじ、ふわりとどこかへ消えました。

 本が消えた途端とたん、どこかでとびらひらく音がしました。

 二人の座席は客車のすみでした。壁をにするボクの横に扉がありますが、その扉の向こうの扉が開いた音でした。

 そこから人の気配けはいがして、こもった声で会話らしき言葉のり取りが続きました。

「何が起こったか気になるでな、ちょっくら見て来る」その声は篭っていませんが、強弱きょうじゃくらいで聞こえました。イエドの耳には、それはくせのある胴間声どうまごえにも、老人の声にも聞こえたのです。

 イエドは、ほかに人が居ると思っていませんでした。座席の通路側つうろがわに体を寄せて、扉がけられるのを待ちました。まだ足音は聞こえませんでした。

 足音が聞こえる間もなく、扉が引かれて開きました。

 暗い通路から、老人が歩き出てきました。とても高齢に見えますが、背は高く伸びていました。

 ボクは見上げて言いました。

「コドおじいさん。ほら、見て。めずらしい現象だよ。イエドの思い出が表現したんだ」

 コドは、近くがはっきり見えるまでようするらしく、二人に目を向けても眉間みけんをしかめました。

「ああん? どれ、どれ。……おお? こりゃあなんと!」

 コドは窓が枝と葉でふさがっているのを見て、太い声を段段だんだんほそめました。

「これが、イエドの思い出が表現したと言った現象かい? この枝、この葉。こりゃあめずらしい、イエドの枝に葉ぢゃないかい」

「おれはこのと同じ、イエドという名前なんだ」イエドは窓へ寄ってコドとのあいだを取り、言いました。

「ああん?」やっとコドの目に、はっきりと両方のイエドが見えました。


「コドおじいさん」ボクは席からりて言いました。

「イエドは、さっき来たばかりなの」

「ああ、そうなんかい」コドはボクを見て言いました。

まぎらわしいのが来寄きよった。なあ? ボクちゃん」

 そして、コドはボクの座っていた隣に腰を下ろしました。ボクはコドが座ってから、もとの所に上がって座りました。

「……ぢゃが、わしは図鑑の絵でしか、イエドを見たことがない」コドは枝と葉を見て言いました。

「さ、イエドっちゅう少年や。お?」

 コドは、繰り返して枝と葉、イエドに目を向けるのでした。

「うーむ……紛らわしいぞ。なんせ、ここにどこから来たか知れぬ、二人のイエドが居るでな」

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