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十 枝と葉

 ボクはイエドを気にする素振そぶりもせず、話を続けるのでした。

「みんなは星に住んでいる。星にいるもの全ては、何かについて同じだ。こういうことらしいよ」

「ここは夢の中だって?」イエドは言いました。

「うん。ここは夢だよ。大気の夢とイエドの夢、それにボクの夢とが一緒にあるんだ。きっとね」

 そう言ってすぐ、ボクは再び話を続けました。

「あのね、ボクは、神話を全部は読めないけど、しっかり読んだら覚えるの。命は生まれてくるときに何かを忘れるかそうでないかで、何に生まれるか左右されるって書いていたよ。それでね、生命は死ぬときに魂が星に行くんだ。魂は生命が成し遂げたこととかを表現して、星に言う。魂はどれもが生と死を成し遂げたから、『わたしは生誕せいたんしるべから死去しきょしるべまであゆえました』、てね」

 イエドはいつから夢を見たのかを、うつむいて考え込んでいました。それでもボクの声を聞き逃さずに居ることができましたが。

「うーん……」

「つまり、魂は思い出を言うんだよ。何も隠さないその姿で、心の中を放すんだってさ」

「思い出?」イエドは囁きました。しかし、シノティラの語ったことが思い出された様子ではありませんでした。以前のもっと、嫌な思い出なのでしょう。

「そうよ。思い出。大事な記憶は生きがいだっておじいさんが……」

 イエドは思いました。「ここは、夢なのか」

 するとイエドの感じるボクの声は、小さくなりました。イエドの後ろへ向いていた思いが、再び目前もくぜんせまったのでした。

「きみから神話や思い出のことを教えられたって、何にもならない。ここはただの夢なんだ」イエドは迫る思いを振り払えないかと、立ち上がって窓の外を見ようとしました。


 立ち上がったイエドは、あっと声を上げました。

 大声を出すと夢から覚めてしまう、と考える余裕はありませんでした。目線めせんの高さが天井に近付ちかづいたことに驚き、そして立っていられる、自分のあしを見ました。

 イエドは、ここが本当に夢だと知りました。何でもできると思いました。

「あ。イエド、見て!」ボクは窓の外を指差していました。

 イエドは脚を動かすことに夢中でしたが、顔を上げると、窓の硝子一面に葉脈のようなひびが走り出し、外へくだりました。外から水のような感触の風が流れ込んできました。

 その中に、葉がいくつもまぎれていました。

「こんな現象は、夢の中でもめずらしいよ」風を受けながらボクは笑いました。

 風は次第に弱まって引いていきました。すると、窓のふちからいくつも枝が伸び、一斉いっせいに葉を出しました。そして、窓はすっかりふさがりました。

 天井の照明は少しちらつきました。

「イエド? どんなことを思い出したの?」ボクは枝と葉を興味津津きょうみしんしんに見回しながらきました。

 イエドはあっけに取られて立ち尽くしていました。

「え? 思い出しただって? おれは、立てないはずの脚で立っているんだ。それが嬉しくて、たとえ夢の中でも……」

 イエドは少しあわてていましたが、はっと思い出しました。

「ずっと前に、こんな気持ちになったことが、あったような」イエドは脚の力が抜け、席に腰を下ろしました。

「もしかして、これはイエドが初めて立ち上がったときか、誰かに高く持ち上げられてもらったときの気持ちと景色が現れているのかもしれないよ。……でも、イエドは、現実では立てないの? どうしてそう……」ボクは枝と葉からイエドに振り返ると、声を抑えました。

「どうって……。自分でこうしてしまった」イエドは固く瞼を閉じ、小さい声で言いました。

 イエドの嬉しさは一瞬でなくなり、現実の苦しさがよみがえりました。


 そのときの記憶は眼にそそがれて瞼にうつり、それは涙によってぼかされました。

 そして、瞼の外へしたたり落ちて消えせました。

 今度こんどはイエドの心にも、その記憶が映りました。イエドが怪我けがを負ったときの状況でした。それは、わずかな一人だけの涙ではぼかされず、行き場のない怒りになって息を高めました。

「……そういうことがあったの。イエド」

 ボクはイエドの様子を見て、その心中の怒りを知ったように言いました。まるで、ボクにはイエドの心象しんしょうが見えているかのようです。

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