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八 ボクの本

 イエドは外を眺めながら考えました。

「ここは飛行船の中だ。世界の遠くにある、昔はいくつも存在したという宇宙船の……」

 真下ましたには緑色や茶色の陸地と、それに重なる真っ白な雲。雲は、毛筆もうひつあとのようにさらさらと伸び、どこかへ消え、どこかでつながっていました。


 前方ぜんぽうに視線を移すと、世界の地平線と水平線と大気が美しいえがいていました。その上は暗闇の中、無数の小さな星星が浮かんでいました。

 イエドはしばらく見とれていました。次第に、弧の中の大気がかげってきました。

「あ、久久ひさびさに別の時間帯じかんたいに向かって、船が動くよ。原動機げんどうきの音がする。教えてあげるね。この青葉号はね、いつもは同じ時間の中に浮いている。誰もさきを決めていなければね」

 その子はイエドをまっすぐ見ながら言いました。

「どうして今頃、動き出したのかな? もしかして、きみがどこか行き先を頼んだの?」

「行き先なんて決めてない」イエドは言いました。その瞳は弧の中の大気のように翳りました。

「ふうん……」その子はずっとイエドを見ています。「きみの名は、イエド?」

 唐突とうとつに自分の名前を聞いて、イエドはうつむいていた顔を起こしました。

「どうして? 何で分かるんだ?」イエドは思い出しました。「ああ。そうだった。おれはイエドだ。それで、きみは誰なんだ?」

「うん。ボクは、ボクだよ。名前はボク。自称もボク」

 イエドは、なぜかそれがおかしくて、少し笑いました。

まぎらわしいから、その名前で呼ぶ機会は少なそうだけど」イエドは言いました。

「うん」ボクはうなずきました。「いいよ、どう呼んでくれても。どうしたって、名前なんて全部紛らわしいもの。みんな同じはずなのに名前が違うことって、紛らわしいよ。人は特にね、種類で違う、国で違う、家で違う、個人で違う名前が付くなんて」


 イエドはそういうボクを不思議に思いました。「それならばなぜ、ボクはそんな名前なんだろうか」

 そう思ったと同時に、イエドは自身でも考えがまとまらないのに、話し始めていました。

「でも、ただの区別で名前を付ける、とも限らない。大事に思っているから、名前を付けることが、あるんだ」

 そう、イエドは思ったことを言いました。

 すると、かさずにボクは言いました。

「そうだとも。そうだけれど、大事にすることは、他の物事と名付けた物事を、これこそ区別するんだと思うよ」

 ボクは外に顔を向けました。

「ここから眺めると、区別は要らない。名前なんて要らないね。全て、世界の分身だなあ」

「世界の、分身?」イエドはボクに感心してしまいました。新しくて面白そうなことだと感じました。

 ボクはさっきの反論の態度から打って変わりました。

「そうよ」

 ボクはくるりとイエドに顔を向け、にこりと笑みました。

「世界の分身ね。ボクは読んだことがあるよ。みんなは世界の分身だって書いている本なんだよね」

「聞いたこともないな、それ。一体どんな本?」イエドにとって興味を持つ分野なのか、その本に関心が高まっていました。


 ボクはまた外に顔を向けました。

「……創作神話を知っているかな。これは創作なのに、世の中で一番古い神話だよ。でも、みんなが神さまを忘れかけていた頃に、誰かが一人でこれを書いたんだって」

 ボクがまた振り返りながら両腕を胸の前に構えると、透き通った大きな本が、どこからかそおっと現れました。

「その誰かは、あと書きにこう書いたよ」

 本はボクの開いた両手の上に浮き、みずから開き始めました。ぱらぱらと本の中ほどにめくれ終わると、ボクはそこに書かれた文章を読み始めました。

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