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三 重たい過去と気軽な提案

 イエドはしばらく黙って、溜め息をつきました。

「もう疲れた。何も言う気になれない……」

 イエドは平静をよそおって言いましたが、車椅子の肘掛ひじかけをぐっと押さえつけ、黙り込んでしまいました。


 そして、また溜め息をつきました。

「眠くて欠伸あくびが出る。おまえと話すと、つまらなくてしょうがない」とイエドはつぶやきました。

 ユウエリマはただ立っていましたが、イエドを見ていられず、庭を眺めるのでした。


 しかし、庭は暗闇に満ちていました。 そして、いつのにか部屋の小さな電灯が光っていました。

 部屋の掛け時計に気付いて見ると、もう帰らなければならない時間でした。ユウエリマの祖父のフィサに黙って来たので、らない心配をさせてしまった、とユウエリマは思いました。

「イエド。また来るから、元気になってよ。……もう帰らないといけないんだ。また会おう、イエド」

 ユウエリマは心残りがありましたが、部屋をあとにしました。


 ユウエリマは玄関を出ると、空に掛かっている一番星を目に留めました。立ち止まっていると、横から声が聞こえました。

「あんな落ち込みよう、初めてでしょう。せっかく来てくれたのに、ごめんね」

 シノティラが歩み寄って来ました。小さな提灯ちょうちんで足元を照らしました。

「さあ、市街まで送るよ。暗くなったから」


 二人は林の中、坂道を黙して歩きました。


 しばらく歩いていると、シノティラは独り言のような口調で言いました。

「イエドはあんなだけど、わたしは前向きに居ようと思う。イエドの性格をよく分かっているつもりでね」笑顔でしたが、短く息をつきました。

「あの、病院の先生に、まさか、治らないなんてことは……」ユウエリマは立ち止まり、少し寒気さむけがしました。


 シノティラは、ユウエリマの前で立ち止まりました。

「それがね、お医者さんは、『今の医術では何もできない。』――このたった一言よ? そのときイエドはあきらめられないって言ったのに、あきらめるしかないような返事だけ! 〝今の医術〟って、その昔よりおとってるものを向上させる仕事をしてない人に、そんなこと言われたくなかった!」シノティラは負けん気が高まっていました。


「そんな……。治せないということですか?」

 ユウエリマは、イエドのことを自分のことように思い悩むのでした。――なんて悔しさだろう。シノおばさんとキュンドおじさんに、これまでの成果を見せられない。


 シノティラは、ユウエリマに振り返りました。

「まあまあ、ユウちゃん。あまりお医者の一言は信用しなくていい。イエドにも言ったんだけど、聞かなくてね。イエド自身、元気が戻ればなんとかなるんだけどねえ」


 シノティラはあごを上げ、家の方をやりました。

「わたしなりに何とかしようと、たくさん調べたけど、専門外だからね。なかなか……難しい」

 そして、話しを変えるように言いました。

「ところで、フィサおじいさんはお元気で?」

「……あ、はい」

 ユウエリマは、心中ではまだ当惑していましたが、気を取り直して言いました。

「じいさんは一層いっそう元気になりました。『人生第二幕の開幕だ』なんて言い出して、張り切るんです」

「ああ、元は大役者だからねえ――あっ、一緒にヤイチへ行く気でいらっしゃるのかな?」

「ええ。そうです。もう頼もしくて」ユウエリマは満面の笑みでした。

「本当に元気で、じいさんが叱れば叱るほど、わたしには頼もしく見えます。今日も叱られるかもしれません。帰りが遅くなったので」

「そうだろうねえ。心配なのよ。あなたを一番に思っているから」

「はい。……じいさんは、わたしのことを一番わかってくれる人だと思います」

 この言葉を聞いたシノティラは、昔へ戻った気がしました。

 フィサの言ったあの言葉が急に思い出されたのでした。


 わしがあの子の両親にならんといかん。あの子のそばで、あの子の一番の理解者で居てやらねばいかん。なあ、カイド、ノシイヤ。


 しばらく歩きながら話すうちに、坂道をくだり切りました。静かな通りの街灯が、二人を舞台の照明のように照らしていました。

 先へ歩みだしたユウエリマは、シノティラに振り返りました。

「あの、シノおばさん」

 そして一歩、明かりの外へ出ました。

「わたしは励みになると思ったんですが、楽しかった思い出とかを話してみたらどうでしょうか。あと、元気をなくしても、何かのきっかけで――何かの一言で、元気になるかもしれませんから」

 ユウエリマの表情はかげで見えません。ただ、瞳はきらりとしていました。


「そう……。ありがとう、ユウエリマ」シノティラはしんみりと言いました。話題を変えていたものの、やはり昔を思い出していたのでした。


「……では、また来ます。さようなら」


 ユウエリマは帰って行きます。しかし、後ろ姿は全く寂しそうではありませんでした。

 空には、たくさんの星が輝いていました。

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