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第62話 初詣

 年が明けた。


 元日、マイと明日斗と一緒に初詣に行こうと約束をしていた。この3人で集まるのは久しぶりだ。小学校、いや、幼稚園以来の幼馴染。高校の入学式の前に集まって以来になる。


 集合時間は昼食後だったので、朝からネバギバに練習に行った。驚くなかれ、ネバギバは大晦日も元旦も朝から営業していた。時間こそ短縮していたけど、こんなジム、他にないと思う。そして結構な人数が、朝から汗を流しにきていた。屋外はよく晴れていたものの、大阪にしては珍しく底冷えするような寒さだった。それでもジムの中は熱気でムシッとしていて、汗が止まらなかった。窓は盛大に結露している。


 「代表は家族と過ごさないで大丈夫なんですかね」


 素朴な疑問をぶつけると、岡山さんはいつものニコニコ顔で「代表は離婚して奥さんと子供さんとは別居しているから、いいんだよ。ここに住んでいるしね」と教えてくれた。なるほど。逆に営業していないと、暇で仕方がないらしい。


 12月の空手の試合が終わってから、僕は碧崎さんの猛特訓を受けていた。フルコンタクト空手から、キックボクシングのスタイルに変更するためだ。


 そんなに違うのかな?


 いつもキックボクシングとフルコンタクト空手を混ぜこぜにして練習しているので、僕にはあまりその差がわからない。だけど、碧崎さんは「全然違う」という。


 練習のたびにシャドーとミットを3分10セットやって、その後はスパーリングをした。碧崎さんはめちゃくちゃ強かった。攻めていくと、確実にカウンターをもらった。そして、パンチがものすごく痛い。マスでやっているはずなのに、ガツンと来るのだ。


 「痛いのは、雅史が勝手に俺の拳に突っ込んでくるからや。それがキックとフルコンの違いやねん」


 いわく、ある程度、フィジカルを生かして押し込まないといけないフルコンタクト空手に対して、キックはパンチが当たりさえすればいいので、押し込む必要がないという。


 僕はフルコンの癖が抜けておらず、押し込んでしまうので、カウンターをもらってしまうのだとか。


 「体の回転だけで、弾くように打つ。手が長いんやから、最大限に活かさへんと」


 碧崎さんは僕にお手本を見せてくれた。シュッシュと息を吐きながら、実に軽やかにパンチや蹴りを繰り出す。そんな感じでやっているつもりなんだけどなあ。そう反論すると「じゃあ、自分のシャドーをスマホで撮影してみろ」と言われた。全然違った。僕のシャドーは力みが強くて、何より遅い。


 スパーが終わった後は、スパーで出た課題を話し合って、復習でミットをやる。そしてまたシャドー。必殺技みたいなパンチを練習するわけではない。ただひたすらジャブ、ストレート、ワンツー。


 「フックは要らんから。ワンツーだけ」


 碧崎さんは、呪文のように何度も言った。立ち方、構え方、フットワーク、そしてシャドー。めちゃくちゃ地味で単調な練習を、大晦日も元日も繰り返した。


 こんなんで大丈夫なのか?


   ◇


 練習から帰ってきたら、玄関に見慣れない華やかな草履があった。黒地に可愛らしい赤い花柄の鼻緒がついている。リビングからマイの声がした。


 「ただいま」


 行ってみると、マイと母さんと竜二がテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。


 「あ、おかえり」

 「おかえり」

 「おかえり」


 なんでマイまで「おかえり」なんだ? 確かにマイにとって、城山家は第二の我が家みたいなものだけど。そんなことより、マイの振袖姿にドキッとした。


 「まあくん、どう? 見て、見て」


 立ち上がってくるりと回る。マイの見て見て攻撃だ。濃紺の地に牡丹の花を大胆にあしらった振袖は、とても似合っていた。同じく牡丹がモチーフであろう髪飾りが、かわいい。ニコッと笑って首を傾げると、髪飾りが揺れてキラキラと光った。くっ、相変わらずあざといッ!


 「え。めっちゃええ感じやん」


 飛びついて抱きしめたい衝動を必死に押し殺して、努めて冷静に返事をする。


 「めっちゃええ感じ? もっとほめてもええんやで」


 僕の反応がイマイチだったのか、唇を尖らせてちょっと不満そうだ。


 黒沢をはじめ学校の連中にはあまり会いたくなかったので、バスに乗って少し遠出をして大阪天満宮に行った。メジャーな初詣スポットでたくさん人が来る分、知り合いと会う確率も低いだろうという読みだった。


 鳥居の前で明日斗と落ち合う。


 「明日斗、どうしたん?!」


 「えっ、マイ?!」


 お互いを指差して、目を見開いて驚いている。


 そりゃそうだろう。2人とも、入学式前とはガラリと外見が変わっている。


 マイはショートカットにミニスカでギャル風だったけど、今は肩にかかるまで髪が伸び、コンタクトではなく眼鏡姿だ。一方、ジャージー姿の明日斗は体が大きくなり、パンパンでプロレスラーみたいになっている。


 行列に並んで、お参りした。


 その間、もっぱら明日斗とマイが話をしていた。2人は幼稚園の頃から運動大好きな少年&少女で、小学校に上がってからは明日斗は空手、マイは剣道に熱中した。ともに武道をやっていたという共通点があり、話が合った。どうして僕は、この2人と友達になれたのだろう。小学生、中学生と全く運動ができなかったのに。マイは家が隣という事情があったが、明日斗は別に近所ではない。


 「え! じゃあ、マイはもう剣道やってないの?」


 「うん。やろうかなと思っていたんやけど、高校デビューの方に気持ちが行っちゃって、剣道部入りそびれてしもて」


 2人でわちゃわちゃと近況を報告し合っている。その高校デビューがとんでもないことになったんだけどな。


 「明日斗はこんなにムキムキになって、何がしたいん? プロレスラーにでもなるつもりなん?」


 マイは眉根を寄せて、明日斗のぶっとい腕をツンツンとつついた。


 「ちゃうねん。プロの格闘家になるねん。そのためにバルクアップしている最中」


 「なんや、バルクアップって」


 「簡単に言うたら、筋肥大ってやつやな」


 僕は一応、明日斗にはマイの身に起きたことを全部、話した。マイ本人から聞いたわけではないので推測の部分も多々あったが、大筋では間違ってはいないと思う。今のところ、明日斗は事件のことには触れていなかった。いいぞ、明日斗。聞くなよ。


 「それより、もう体とか大丈夫なん?」


 「え?」


 聞くなよと思った途端、真顔でスルッと聞きやがった。


 「夏に入院してたって聞いたから」


 明日斗に悪気はないみたいだ。興味半分というわけでもなく、本当に心配そうな顔をしている。


 「あ…」


 マイが怖い顔で僕をにらんだ。


 「まあくん、どこまで話したん?」


 「え…」


 どうしよう。全部話しちゃったんだけど、正直に言うと傷つけてしまいそうだ。だって、しようがないじゃないか。あの時、全てを話せるのは、明日斗しかいなかったんだから。


 「マイ、俺は誰にも話してないから」


 困っていると、明日斗が助け舟を出してくれた。


 「それに雅史と一緒で、俺もどんなことがあってもマイの味方やから」


 そう言って、マイの肩に優しく手を置く。


 「ん…。ありがとう」


 マイはそう言いつつ、僕の方をにらむのをやめない。


 「いや、だって、明日斗以外に相談できる人がいなかったんだもの」


 僕はちょっとハラハラしながら、しどろもどろになって言い訳をした。


 「そうやねん。雅史もこう見えて、どうしたらいいか悩んでいたみたいやし」


 明日斗が助けてくれる。だが、みたいとはどういうことだ。真剣に悩んでたっつーの。


 マイは不意に着物の裾をつまんで、僕の足を蹴っ飛ばした。


 「あ痛!」


 「まあまあ」


 明日斗がマイをなだめる。


 「まあ、これで勘弁したるわ」


 マイはほっぺたを膨らませてプイとあっちを向くと、お参りを終えるまで、口をきいてくれなかった。


   ◇


 「姫がご機嫌斜めなので、ファミレスに行こう」と明日斗が言い出して、近くのロイヤリーホストへ行った。おなじみのサイゼリアに行こうとしたのだが、マイが「サイゼリアはお茶をするところじゃない」と強い調子で主張して、ロイホになった。明日斗とお茶するのは大概、サイゼリアなのだが…。やべーよ。ロイホって高いところじゃないのか。だが、マイが引き続きプリプリモードなので、口ごたえできない。


 マイは季節限定の紅玉りんごと塩キャラメルアイスのブリュレパフェ(税別1280円)なるものを注文して、これをおごってくれたら許してやると言った。


 なぜだ。何も悪いことはしていないのに。どうして許してもらわなければならないのか。納得いかなかったが、仕方ない。ドリンクバーまでつけやがった。明日斗はフィンガーチキンという、唐揚げのようなものを2皿注文した。それとドリンクバー。


 僕はホットコーヒーだけでいいです。


 「ん! 美味しい!」


 ものすごく背の高い、洒落たパフェがやってきた。きれいにカットされたりんごが飾り付けられていて、キラキラしている。マイはひと口でご機嫌になった。さっきまでの不機嫌はどこへやら、満面の笑みを浮かべている。なんというちょろい女…。いや、ごめん。すみません。もう二度と、そんなこと思わない。


 「ほら、まあくん。ひと口あげよう」


 アイスの部分をすくうと、僕の方にスプーンを差し出す。思い切り間接キスじゃん。一瞬、ちゅうちょした。だけど、小学校の時に半分かじったうまい棒をもらったりしたことがあるので、あまりドキドキしない。ありがたくいただく。うん。うまい。普通にアイスだ。


 「3学期から、クラスに復帰するわ」


 マイはパフェをパクパク口に運びながら、サラッと言った。


 「え、そうなん」


 今度はちょっとドキッとする。


 「もう大丈夫なん?」


 明日斗が皿から目を上げて聞いた。相変わらず食べるのが早い。もう2皿目が終わりそうだ。


 「大丈夫やと思う。最近は過呼吸も出てないし」


 「マイと雅史って同じクラスだったっけ?」


 「いや、違う。俺、1組。マイ、3組」


 「いざという時に雅史がそばにいなくて、大丈夫なんか?」


 マイも食べるのは早い。器をカチャカチャいわせながらさらうと、明日斗の質問には返事をせずに「ドリンクバー行ってくるわ」と言って、席を立った。


 「学校でもずっと一緒なんやろ?」


 スルーされた明日斗は、僕に聞いてきた。


 「うん。授業中以外は」


 マイはティーカップに何やらホットドリンクを入れて戻ってきた。香りからしてアールグレイだろう。たぶん。


 「なんか、まあくんしか友達がおらへんような言い方してるけど、ウチかて他にも友達おるねんで」


 席につくと、僕と明日斗をジロッとにらんで言った。え! そうなんだ。それは知らなかった。春先から夏にかけて黒沢グループに入っていたので、どんな交友関係があったのか全然、知らない。


 「鈴鹿咲希すずか・さき明科呼春あかしな・こはるって覚えてない?」


 「覚えてない」


 「知ってる」


 なんで明日斗が知ってるんだよ。


 「中学の時の友達やねん」


 僕は中学の時は不登校になっていたので、マイの交友関係なんて全然、知らなかった。


 「鈴鹿は同じ剣道部やろ? 明科はなんやったかな。文化部やったんちゃうか。あの、ちっちゃい子やろ?」


 明日斗は斜め上を見つめて、記憶をたどる。よく覚えているなあ。


 「そうそう。手芸部。呼春は小学校も一緒やった」


 マイはスマホを取り出すと、ちょっと操作してLINEの画面を僕らの方に向けた。スワイプしなくても収まる程度しか友だちが登録されていない。そのなかに「saki」と「Koharu」があるのが見てとれた。


 「その2人、いま、ウチが繋がっている、数少ない高校関係者なんよ」


 マイはあの事件以降、電話番号を変えていた。スマホ自体も機種変更している。黒沢たちと縁を切りたかったのだろう。


 「咲希も呼春も今、同じクラスやねん。はよ戻ってきてって言ってくれてる。だから、まあくんに24時間、面倒見てもらわなくても大丈夫」


 大丈夫と言った後に少し微笑んで「だと思う」と付け加えた。


 入院して以来、ずっとマイと2人だけの世界だと思っていた。時々、母さんやおばさんが登場するけど、基本的には2人だけの世界だった。なんだかそれが終わってしまうようで、寂しかった。


 「それはそうと、もうノックダウンには出てへんのやろな」


 マイがトイレに立ったのを見計らって、明日斗は身を乗り出すと、声をひそめて聞いてきた。


 「出てへんよ。あの一度だけやし。もう全然、関係ないわ」


 「そうか。それならええんやけど」


 そう言いながら、席に座り直す。思わせぶりだ。


 「なんやねん」


 明日斗はまた少し身を乗り出すと、もう一段階、声を低くした。


 「なんかな、試合の勝敗に金をかけてるらしくて、それでトラブルになって、ヤバいらしいねん。うちのジムでは、絶対に関わり合いになるなっておふれが出たわ。出るのはもちろん、見に行っても強制退会やって」


 なんか想像できるな。あれだけ悪そうなやつらが集まっていれば当然、試合結果に金をかけるやつが出てくるだろう。八百長とかやる出場者も出てくるに違いない。


 「雅史のジムでは話題になってへんの?」


 「いや、なってないな」


 僕と岡山さんの間で話したくらいだった。そんな大変なことになっているとは、全く知らなかった。黒沢や新田にも影響があったのではないだろうか?

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