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第51話 女にうつつを抜かしていては

 次の日、お互いの親了承のもと学校を休んで、一緒に朝からネバギバに行った。一応、登校のための訓練ということなので、ともに制服だ。学校に行く時間に出て、到着が早すぎて、駅前のコーヒーショップで少し時間を潰した。


 「もし、嫌だったら、言ってね。すぐに切り上げて帰るから」


 マイはホットキャラメルラテを飲んでいた。カップを両手で包み込んで、ふうふうと吹いている。ひと口飲んで「うん」と声に出した。ジムに行くことは、前日にすでに説明してあった。


 12月に試合があるので、詰めて練習がしたかった。だけど、マイのことも放っておけない。ならば、一緒にジムへ行けばいい。


 ただ、不安もあった。マイは黒沢について道場に行ったことがあるかもしれない。道場とジムは同じ格闘技の施設だし、乾いた汗の匂いもするし、雰囲気は似ていなくもない。辛いことを思い出す可能性は十分ある。もしそうなれば、すぐに帰るつもりだった。


 「チワッス」


 「おはようございます」


 ドアを開ける。カウンターでノートパソコンを開いていた代表が顔を上げた。


 「あ、代表…」


 「見学?」


 説明しようとすると、先に立ち上がって、こちらに近寄ってきた。近寄りながら、マイをジロッと見る。


 「は、初めまして」


 格闘家にしては威圧感のある方でないと思うのだが、マイは緊張の面持ちだ。


 「雅史の友達?」


 代表は目だけ僕の方を向いて、聞いた。


 「はい、それで…」


 「それとも彼女?」


 真顔のまま、マイの方に視線を戻す。ちょっと、最後まで話を聞いてくださいよ。 


 「あ、ええっと…」


 マイを見る。マイもこっちを見ていた。ほおが赤い。


 「雅史も隅に置けないなあ。まあ、彼女さん、こちらにどうぞ。ごゆっくり」


 僕とマイが口籠もっていると、代表はニヤニヤしながら勝手に納得して、カウンターの座席を勧めた。マイは鞄を置いて、椅子に腰を下ろす。


 「大丈夫?」


 更衣室に行く前に声をかけた。


 「うん」


 まだ少し緊張しているようだけど、微笑む余裕があった。これなら大丈夫そうだ。僕が更衣室から出てきたのと入れ替わりに、ミユちゃんがやってきた。物珍しげにマイをじろじろ見ている。遠慮がない。


 「おはよう」


 「彼女?」


 マットに出ると、翔太が近寄ってきた。あっちから近寄ってくるのは珍しい。


 「彼女というか、なんというか…」


 「あの子が、例の幼馴染?」


 岡山さんが助け舟を出してくれた。


 「はい」


 「元気そうじゃない。よかったねって言っていいのかな?」


 全てを知っている岡山さんは、小さな目を細くして、ニコッと笑った。 


 代表のところに行って、マイは幼馴染で、現在僕と同じく不登校で、学校に行けないので連れてきたと説明した。きょう一日、ここにいさせていいですか?と聞くと、真顔で「ふーん。いいよ」と呆気なくOKしてくれた。


 練習が始まった。


 1コマ目はグラップリング。チラチラ見ていると最初こそマイはじっと見学していたが、そのうちカウンターでプリントを出して勉強を始めた。


 「大丈夫?」


 休憩時間に声をかけに行く。


 「うん」


 プリントから顔を上げてうなずくと、少し怒った顔をして続けた。


 「まあくん、自分が練習したいだけとちゃうの?」


 図星。


 「うん…でも、それだけじゃないから」


 嘘をついても仕方がない。


 2コマ目はキックボクシング。終わるとマイを連れて近くのコンビニに行き、軽めの昼食を買ってきてジムで食べた。


 「退屈じゃない?」


 「え。そうでもないよ。すごく勉強、はかどったし」


 機嫌が悪いわけではなさそうだ。


 「帰りたくなったら、いつでも言ってね」


 「わかった」


 2つ目のツナマヨおにぎりの包装を、くるくるときれいにむいていく。マイの好物の一つだ。コンビニで買うのはツナマヨ一択。これにゆで卵をつける。定番だった。


 こういうことは変えないんだな。


 見た目をガラリと変えたのは、以前の自分を忘れたいのか、捨て去りたいのか。それとも、そのどちらともなのか。いずれにせよ、入学当時からスタイルを一変させたことに関しては、少し痛ましいと感じていた。


 とはいえ、僕は今のマイも好きだ。


 「でも、まあくんがこんなに真剣にスポーツやってるなんて、意外やった」


 おにぎりを手に、ニッと笑う。そうだろうな。僕は中学校までひどい運動音痴だった。背が高いだけで走るのは遅いし、球技をやらせればボールはキャッチできないし、かといってパワーがあるわけでもなく、腕立て伏せも10回しかできなかった。それをよく知っているマイには、今の姿は意外としか言いようがないだろう。


 「僕もや」


 「なんでなん?」


 僕の顔を、興味津々でのぞき込む。


 「何が?」


 「続いている理由」


 マイのことを忘れるためだったなんて、とても言えない。最初はそうだったけど、今は違う。ネバギバに移って、僕のことを馬鹿にしない仲間に囲まれて、励まされて、できなかったことができるようになって。それが楽しくて、まだ続いている。


 「うーん」


 それをどう説明すればいいかな。


 「成長が? 実感? できるから?」


 「なんで疑問形なん?」


 フフッと笑った。


 「なんていうのかな。できなかったことができるようになるのが、面白いっていうか。毎週走っていたら、走るのも速くなったし」


 「わかる」


 午後からはミユちゃんと2人だけだったので、代表にミットを持ってもらって、その後はひたすらフルコンのスパーをした。


 今日のミユちゃんは気合が入っていた。ミユちゃんも12月の試合に出る。この辺りでは強豪選手として知られた存在だが、まだ全国タイトルを獲得したことがなかった。来年は最終学年。小学生の間に全国チャンピオンになりたいと話しているのを、聞いたことがあった。


 いつもより気合が……。


 それにしても、ちょっと入りすぎだ。


 最近、また背が伸びて、それに伴って力も強くなった。特に前蹴りが強烈だ。防御しきれないスピードとタイミングで飛んでくるし、一発一発がグサッと腹筋の隙間に食い込んでくるような威力がある。


 終わった頃にはヘトヘトだった。


 「代表! 城山は女にうつつを抜かして、腑抜けになっとるわ」


 ミユちゃんが例によって、ポーカーフェイスで代表に訴えている。うつつを抜かしてとか、腑抜けとか、どこでそんな難しい言葉を覚えてきたのか。というか直接、僕に言えよって。


 ミユちゃんは午後クラスが一段落すると帰っていく。いつも基本的に午後3時くらいに。小学校の下校時刻より少し早い時間帯だ。今日もフルコンのスパーが終わると着替えて、ランドセルを背負って更衣室から出たきた。


 スタスタとマイの方に近づいていく。腰に手を置いて胸を張ると、マイを見下ろした。


 「なあ、お姉ちゃん」


 プリントに向かっていたマイは、不意に声をかけられて驚いて顔を上げた。


 「なあに?」


 「城山はええ選手や。これからぐんぐん伸びていく選手やから、邪魔せんといて」


 どっちが年上かわからなかった。ミユちゃんははっきりと、語気鋭く言い放った。


 「え…」


 マイはびっくりして、口が半分開いたままだ。


 「わああああ」


 思わず声が出た。駆け寄って固まっているマイの肩に手を置く。


 「ミユちゃん! 僕なら大丈夫だから! 全然、邪魔なんかされてないから!」


 ミユちゃんはキッと鋭い目つきで僕を見た。この子と目が合ったのは、初めてかもしれない。


 「じゃあ、きょうの稽古はなんなん?」


 グッと僕の方に身を乗り出すと、突き刺すように責めてくる。


 「え」


 「あんな集中力なかったら絶対、試合、負けるわ」


 断言されて、言葉に詰まった。


 「試合、勝ちたいんやろ?」


 さらにグッと一歩、踏み出してきた。ランドセルを背負った小学生に気圧される。


 「う、うん」


 「じゃあ、もっと真剣に練習せえや。勝ちたいんやったら、勝つことだけ考えて練習せえよ。こんな女連れでジムに来て、真剣にやれるわけないやろ!」


 頭に血が上ったのか、だんだん声が大きくなってきた。うわあ、きつい。グサグサくる。


 「ウチは来年、絶対、チャンピオンになるねん。その練習相手が、この程度の集中力やったら困るねん。それに…」


 「ちょっと待って」


 マイが口を挟んだ。


 「ええっと、ミユちゃんだったかな?」


 立ち上がった。背筋を伸ばすと、見下ろす形になる。怒りに満ちた目で、ミユちゃんをにらみつけた。


 「私の知っているまあくんは、そんな中途半端なことをする人やないよ」


 声が少し震えている。相手が小学生だから、一生懸命抑えているのだろう。


 あわわ


 ミユちゃんにガンガン来られて、マイが過呼吸の発作を起こすのではないかと心配したが、取り越し苦労だった。マイは本来は勝ち気な性格だ。僕がけちょんけちょんに言われているのを我慢できずに、闘志に火がついてしまったようだった。


 「マイ、もういいから」


 2人の間に割って入った。


 ゴツン! 不意に太ももに骨を断ち切るような衝撃が走った。膝がカクッと折れる。


 「痛った!」


 ミユちゃんのローキックだった。レガースも何もつけてない生足で、構える間もなく蹴られたので、強烈に効いた。思わず涙がにじむ。


 「城山! 女に守ってもらっとったらあかんで!」


 捨て台詞を吐くと、くるりと背を向けて出て行ってしまった。まだ何か言い足りなくて、今にもミユちゃんを追いかけていきそうなマイを一生懸命、引き止める。


 「まあくん、ごめん。なんか私のせいで、あんなこと言われて」


 頭を下げているが、まだ怒りが収まらないようだ。


 「いや、ええねん。集中力が下がっていたのはホンマやし。マイのせいじゃない。気にせんといて」


 「でも、まあくんに真剣さが足りないって言うのは納得いかない。まあくんは、いつでも真剣やんか。そこはウチが言っとかへんと」


 だんだん声が大きくなる。


 「まあまあ、相手は小学生だから」


 僕は必死になって、マイをなだめた。


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