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第45話 土手で話そう

 秋は運動会、文化祭という、高校生にとって2大イベントが行われる。とはいえ、僕はどちらも上の空で過ごした。


 運動会は三人四脚と400メートルリレーに出たが、前者はチームの中で僕だけ背が高すぎてうまく走れなかった。後者は僕がスタートした時には1年1組は少し離された最下位で、少し差を詰めたものの着順を変えるほどの走りはできなかった。


 ただ、終わった後に梅野をはじめ複数のクラスメイトから「城山、あんなに足が速かったなんて知らなかったぞ」と声をかけられたのは、うれしかった。バスケ部の連中からは「今からでも遅くない。入部しろ」と誘われるし、宮崎先生にも「今からバレー部に入らないか?」と肩を叩かれて、思わず顔がにやけた。まあ、確かにこの身長で運動ができるなら、バスケかバレーがベターな選択肢だろう。


 翔太と毎週、走っている成果だろうか。


 中学時代までは足が遅くて、駆けっこはいつもビリだった。ずっと走るのは苦手だった。今でも好きじゃない。だけど、嫌なりに練習を続けていれば、速くなるんだな。その成果が出て、みんなに認められて、誇らしい気分だった。


 文化祭には美術部の展示に鉛筆画を一枚、出した。


 本当は女性を描く方が好きなのだけど、中学時代の反省というか経験に基づき、男性にしておいた。僕がめちゃくちゃ好きなブラット・ピットという米国の映画俳優を描いた。よく似ているとまずまず好評だった。


 そんなことより、美術部の展示に黒沢たちが来ないかと、ヒヤヒヤした。美術部員は僕を入れて4人しかいないので、誰かが店番をしないといけない。自分が担当の時に黒沢たちがやってきて、何か冷やかされたりするのではないかと、不安でたまらなかった。


 中学1年の時の文化祭が、そうだったのだ。


 僕が描いた半裸の女性の鉛筆画を、岩出らが「エッロ!」「超勃起する〜!」と冷やかした上、剥がして持っていってしまい、トイレの大便器に流されたのだ。すでに女の裸を描いて、自分の絵でオナニーしているという噂を広められていたが、これでまたしばらく学校に行けなくなった。


 男の裸より、女の裸を描いた方が楽しいに決まっている。描いたことがないやつにはわからないんだ。


 ゴツゴツとした男性の体より、柔らかな曲線で構成された女性の体の方が、僕は美しいと思う。性的な気持ちが全くないわけではない。描いていてムラッとすることがあるのも否定しない。だけど、抜くために描いているのではない。単純に、うまく描けた時の充実感が、女性の方が僕にとっては上なのだ。


 そんな経験をしているから、2日間の文化祭が終わるまで、店番の時には神経を張り詰めていた。絶えずチラチラと入口をうかがい、訪問者が来るたびに心臓が跳ね上がるほどびっくりしていた。


 こんなの、体がもたない。


 店番が終わるとすぐに美術室を抜け出して、北校舎の裏にある淀川の土手に避難した。ここは基本的に誰もいないのだ。仮に誰かいたとしても、僕と同じように一人になりたい生徒が来る場所なのだ。


 北校舎の廊下は新田にバレたので、使えない。新田はたびたび、そこで待ち伏せていた。


 だが、ここもバレたようだ。


 購買部で買ったホットドッグと紙パックのミルクコーヒーを持って土手に行ったところで、はたと足が止まった。新田が座っていた。川から吹き上げてくる風が、前髪をサラサラとなびかせている。足音で気がついたのか、振り返るとニタッといたずらっ子のような笑みを浮かべた。「よう」と言って、ポケットに突っ込んでいた右手を軽く挙げた。


 何が「よう」だ。隠れ家にずかずか入って来られて、ムッとする。


 少し離れたところに行って、腰を下ろした。


 北校舎から川の方に出ると、河川敷がある。サッカー部とラグビー部が共用で使っているグラウンドがあって、土手は清栄学院生たちの憩いの場になっていた。


 新田が立ち上がってこちらに来ようとする。


 「ストップ!」


 僕は左手を突き出して制すると、大声を上げた。


 「それ以上、近寄らないでくれ」


 しばらく新田に追いかけられる日々を送って、キッパリはっきり態度を表明すれば、意外なことに無理強いしてこないことがわかった。新田は立ち止まると大人しく、だが、しっかりと僕の方に体を向けて、座り直した。


 どこへ逃げてもついてきて話しかけてくるので、最近は逃げ回るのを諦めていた。ただ、やつはガチのホモ…いや、ゲイなので、あまり接近されたくない。殴られたり蹴られたりするのも嫌なので、こんな感じで距離を保った状態ならば、一緒にいることをしぶしぶ許していた。


 僕は新田のお気に入りになってしまったようで、いろいろと話しかけてきた。そう、好きな女の子とは、まず話がしたいとなるように。


 「きょうはここに来ると思ってた」


 妙に優しい声で話しかけてくる。普段はドスが利いた怒声ばかりなので、落差の激しさに驚く。でも、それももう慣れた。


 ああ、そうかい。こっちは待ち伏せされて、とても迷惑だけど。


 「美術室からなら、ここに出てくるのがスムーズだからな」


 校舎の方をチラッと見て、僕に視線を戻す。勘がいい。動物みたいなやつだ。


 「俺、またボクシング始めたわ」


 聞いてもいないのに、次々に話しかけてくる。


 新田は小学校時代からバスケ一筋だが、中学時代にバスケ部と並行して、ボクシングジムに通っていた。


 父親の暴力に対抗するためだった。


 新田の父親は些細なことで暴力を振るう人で、新田の母親はもちろん、新田自身や姉も小さい頃からよく殴られていたらしい。母親は父親の味方で「パパに殴られたくなかったら、ちゃんとしなさい」と言って、守ってくれなかった。姉は高校進学と同時にそんな家を出て行ってしまい、残された新田は2人分の暴力を引き受けることになった。


 どうにしかしないと、このままでは父親に殺されるか、自分が父親を殺してしまいかねない。


 そう思って新田が選んだのが、ボクシングだった。母親の財布から勝手に金を抜き取り、保護者の承諾書も自分で書いて、入会したのだそうだ。当初は父親の暴力から逃げるための技術を習うつもりだったが、背が高くて力も強い新田は、防御ではなく、自ら攻撃することに目覚めてしまう。


 初めて父親の暴力に反抗した日、眼窩底と鼻と前歯をへし折った。


 そこから、新田の暴力人生が始まる。


 男が好きだとはっきり気がついたのも、同じ時期だった。聞いてもいないのに、そんな身の上をつらつらと語ってくれた。内容は凄惨なのに、半笑いで淀みなくペラペラしゃべる。不気味で、ゾッとした。


 「なあ、城山は何でKOされたい? フックか? それとも右ストレート?」


 ニコッと笑うと、立ち上がってシャドーを始める。


 美しいフォームだ。


 背が高くて手足も長くて見栄えがすると言うのを差し引いても、新田のシャドーは軸がブレず、肩に力みもなく、実に美しかった。そのままどさくさに紛れてこっちに来ようとするので「近寄んなって」とまた手を前に突き出して静止する。


 「どっちも嫌だ。フックも、ストレートも」


 僕は新田から目を離さない。パンを食べている暇がない。


 「俺、パン食うから、そこでじっとしててよ」


 僕が不満の色をはっきりにじませてそう言うと、新田は感情がよく読み取れないぼんやりとした表情をして、素直にまた土手に座り直した。


 袋を開ける。ホットドッグという名前がついていて、パッケージにもそう書いてあるけど、実際にはコッペパンにハムとキャベツの千切りを挟んで、マヨネーズソースをかけたものだ。全然、ホットではない。ただ、購買部のパンの中では最も食べ応えがあるので、生徒の間での人気はナンバーワンだった。


 一口目を頬張ったところで、唐突な質問が飛んできた。


 「城山は、黒沢のことが憎くないのか?」


 真意を図りかねて、新田の顔を見る。薄く笑っている。優しい声のトーンも変わらない。相変わらず、何を考えているのかよくわからない。


 「もし俺が城山なら、黒沢を殺しに行く」


 表情も口調もそのままで、サラッと物騒なことを言い出した。


 「黒沢が城山をもてあそんだり、自分の舎弟にレイプさせたりしたら、俺は迷うことなく黒沢を殺す」


 そこまで言って、やっとニヤッと口角を上げた、狂気を含んだ笑みを浮かべた。


 「な、何言うてんねん」


 ゾッとして、かじりかけていたホットドッグを口から離す。冷や汗がジワッと背中を伝うのを感じた。新田は立ち上がって、川の方を向く。


 今度は近寄ってこない。


 「なあ、なんで黒沢が、高校で最初の彼女に黄崎を選んだか、知ってる?」


 あっちを向いたまま、静かに聞いてきた。


 知らない。知りたくもない。


 「すぐヤれそうだったから。ウブな感じで、押しに弱そうだったから」


 僕の返事を待たずに、サラッと続けた。


 「すぐにヤれる女をキープしたかっただけ。黒沢の本当の好みは、郡司みたいなギャルなんだ。誤算は、黄崎が想像を絶するマジメちゃんだったことだな。押し切ってヤったけど、本当に面倒臭い女だったよ」


 どうしてそんな話を僕にするのだろう。黒沢に対する憎悪をかき立てたいのか? だけど、その手には乗らないぞ。腹の底からチラッと出かけていた怒りの炎を、僕は一生懸命、押し込めた。


 「ことあるごとに殴ったり蹴ったりしてな。黄崎はよく我慢したと思うよ。何であんな扱いされても、黒沢と一緒にいたんだろうな」


 岩出だったら、ここで「黒沢のチ◯ポがよほど気に入ったんだろうな」とか言って、下品に笑うのだろう。だけど、新田は違った。


 「怖かったんだろうな」


 ため息だろうか。ふうと息をつく。表情は見えないが、声が少し震えているような気がした。


 え…。


 泣いているのか?


 「別れるって言ったら、何をされるかわからない雰囲気があったからな。それこそ輪姦されるとか。黒沢はそういう残酷なやつなんだよ。まあ、俺は黒沢のそんなところに惚れたんだけどな」


 ハッと笑うと、こっちを向いた。口元は笑っているけど、目はそうではなかった。悲しい目だった。今にも涙がこぼれ落ちそうだ。


 「だから、3Pごっことか言い出して、岩出にマイをヤらせた時には、俺はもう我慢できないくらい、黒沢の残酷さに興奮した。あいつらがヤっている間に、抜いたわ」


 こいつら、本当に16歳なのか。自分と同じ年齢の人間がやっていることとは思えない。それ以前に、こんな話をしつつ、笑いながら泣いている新田の異常さが、僕は怖かった。背中に冷や汗が浮いてくるのを感じた。


 「黒沢がお前と岩出を戦わせることにした時も、同じくらい興奮した。なんて残酷なヤツなんだ、たまんねえってな。今でも思い出したら、おっ勃つわ」


 ハハ…と新田は、力なく笑った。


 「ところが、だ」


 新田の声のトーンが変わった。低くなって、邪悪な響きがこもる。僕は思わず、ごくりと口の中のパンを飲み込んだ。


 「絶対に逃げ出すと思っていたお前は本当に来ちゃうし、しかも勝っちゃうし。それもぶっ飛んだ決め技でさぁ。空手家って聞いていたから、血みどろの殴り合いを期待していたのに、絞め技で瞬殺って!」


 こっちを向いて、声のトーンを上げる。目がイっていた。どんどん早口になる。


 「たまんねえ!」


 両腕を広げて高く上げて天を仰ぐと、一転して甲高い声で叫んだ。叫び声が河川敷に響き渡る。風が吹き抜けて、新田の前髪を揺らした。なんなんだ、これ。なんかのライブ会場?


 目がらんらんと光っていた。やはり、こいつは気が狂っている。


 新田はゆっくりと腕を下ろした。ボンタンのポケットに両手を突っ込む。下を向いて、くっくっと含み笑いを漏らした。


 「あの後、岩出をヤったのは俺だ」


 息を飲んだ。


 「お前が逃げ出した後、朦朧としていたから舞台の裏に連れて行って、みんなが見ている前で脱がしてねじ込んでやった。いやあ、最高だったな。みんな写真撮ってな。動画撮ってるやつもいたな。めちゃくちゃ興奮したわ。AV男優って、あんな感じなのかな」


 狂気だ。狂気が今、目の前に立っている。背中をゾゾッと寒気が走って、僕は少し腰を浮かせた。 


 逃げ出してよかった。あの後、そんな修羅場になっていたとは。


 「岩出、ちゃんと勃起して、フィニッシュしてくれたわ。うれしかったなぁー」


 また両手を広げて、天を仰ぐ。声が優しいトーンに戻った。


 「だからさぁ、次はお前が、お前をめちゃくちゃにした黒沢とガチでやりあうところが見たいんだよ」


 新田は僕を見ると、アイドルのような笑顔であはっと笑った。キランという効果音が聞こえてきそうなスマイルだ。


 そんな顔で言う内容じゃない。


 「結局、黒沢は俺のこと、好きになってくれなかったからなあ。お前が、そんな黒沢をめちゃくちゃにしてほしいんだよ」


 手を下ろすと、寂しげに笑った。


 そりゃそうだろう。こんなイカれたやつ、誰も好きにならない。


 「今、俺はお前しか見えない」


 そう言って、ピストルのように人差し指を立てると、僕を差した。銃弾が出るわけでもないのに、思わずのけぞってしまう。


 「お前は一体、どっちの味方なんだ?」


 不安を心の隅に押しやって、声を振り絞った。


 「どっちって?」


 新田は無邪気に小首を傾げる。


 「黒沢の仲間じゃないのかよ」


 「え?」


 少し目を丸くして唇を突き出し、不思議そうな顔をした。


 「黒沢とつるんでいるじゃないか」


 思い切り責める気持ちを込めて、強い口調で尋ねた。


 「それは、あいつと一緒にいると、勝手にけんかが転がり込んでくるから。別に舎弟になったつもりはないし、以前は好きだったけど、片思いだったし。今は好きでもなんでもないし」


 新田はふざけて唇を突き出して笑いながら、流れるように説明した。


 「だけど、城山のことは好きだよ」


 そう言って、ウインクする。またキランと効果音が聞こえた気がした。


 「なんで!」


 本当に、意味がわからない。ゾッとするのを通り越して、ムカッとした。ホットドッグの残りを口に押し込むと、憤然と立ち上がった。


 「だって、俺を否定しないだろ」


 新田は僕の方に手を差し伸べる。


 「めちゃくちゃ否定してるよ!」


 「近寄るなって言うだけで、こうやってちゃんと話してくれるじゃん」


 「お前がまとわりついてくるからだよ!」


 僕は拳を握り締め、語気を強めて否定した。


 「城山、好きだ!」


 新田は僕の方に向けて両腕を広げると、求婚するかのように片膝を着いた。なんだ、それ。なんかのミュージカルの真似か? 新田の周囲に、バラの花が見えてきそうだ。もう、いい加減にしてくれ。


 「俺ともガチで勝負してくれ。勝った方がねじ込む。悪い話じゃないだろ」


 両手を組んで、懇願してくる。キラキラン。


 「悪い話だよ!」


 キッパリと断ると踵を返して、土手を駆け上がった。


 「城山、明日もここで待ってるぞ!」


 背後から新田の楽しそうな声が追いかけてきた。

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