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第43話 新田

 昨日の今日だから、黒沢や岩出が待ち構えているのではないかと思ってビクビクしながら下駄箱、校門と通過した。廊下の角なんかで立ち止まって、少しだけ顔を出して周囲を見回しながら進んだが、最後まで会わなかった。


 会わなければ会わないで、なんだかモヤモヤする。


 黄崎家は留守だった。


 確か、まだ入院中のはずだ。母さんが週に一回くらいのペースでお見舞いに行っている。マイの状態は、少しずつよくなっているらしい。「あなたもお見舞いに行きなさい」と2日に一度くらい言われるのだが、あの病室での姿を思い出すと、どんな言葉をかければいいのかわからなくなって、足が動かなかった。


 いろいろな不安を振り払おうと、荷物を部屋に置くとネバギバに行った。とりあえず現時点ではうまく行ったことを岡山さんに報告したかったが、クラスに来ていなかった。


 翌日から、岩出は学校に来なくなった。


 会いたくないやつが一人減ったのは、僕としてはありがたかった。だけど、黒沢と同じクラスであることに変わりはなく、何か仕掛けてこられるのではないかと、休み時間になるたびに教室から逃げ出す日々が続いた。


 行く先は大体、北校舎の4階だ。


 物理室とか化学室とか、授業で使ったことがない教室が並んでいる。放課後には科学部が部室として使っているらしい。だけど、休み時間はがらんとしていて、僕と同じように教室に身の置き場のない陰キャが何人か、時間を潰しに来ていた。


 人がいないので、この階にはクーラーが入っていない。窓が開けっぱなしになっている。ムワッとした空気が充満しているけど、北向きなので、耐えられないほどではない。


 窓辺に手をかけて、ぼんやりと外を見た。手前に川が流れていて、川向こうは隣の区だ。ずっと向こうに低い山が見える。箕面の方だ。


 これから、どうなるんだろう。いつまでこうやって、ビクビクしながら暮らせばいいのだろう。あの山を越えて、誰も知らないどこか違う街で、新しい生活を始めたかった。


 ああ、いやいや、それはダメだ。マイを置いていくのは、ダメだ。


 自分に何かできる気は全くしなかったけど、あんなにボロボロになったマイを見捨てて、自分だけどこかでリセットしてやり直すというのは、なんだかとても卑怯な気がした。


 じゃあ、マイを連れていくのか? いや、無理だろう。今のマイには家族をはじめ、僕以外の人間のサポートが必要だ。


 そう、僕以外の。


 なんだか、改めて自分がとても無力でちっぽけな存在に思えてきた。まあ、そりゃそうだよな。なんしろ、まだ16歳なんだし。


 何もできないことを、辛いと感じた。胸の辺りがチクチクする。


 自分が大人だったら、マイを支えることができるだろうか。立ち直るのを、そばで支えてあげたい。また学校に来て、笑えるようになってほしかった。


 「おい、城山」


 はっきりとした大きな声で不意に呼びかけられて、ビクッと体が縮み上がった。妄想から引き戻される。見ると、新田がこっちに向かって歩いてくるところだった。大股で僕に向かって、ズカズカと一直線に向かってくる。


 ヤバいやつが来た。


 シャツを第2ボタンまで開けて、ワタリが異様に長いボンタンを履いている。もちろんネクタイはしていない。


 清栄学院は比較的、自由な校風で、制服を多少いじっても何か言われることはない。なので、新田は毎日のように、明らかにヤンキーと分かる着こなしをしてきていた。背が高いのでもともと怖いのだが、服装が服装なので、さらに威圧感がある。気持ちのいいものではなかった。


 どうする。ダッシュで逃げようか。左右を見回して逃げ場を探して迷っている間に、手が届きそうな距離まで来られてしまった。


 「いつも休み時間にいなくなるから、探したぜ」


 ニタァと粘着質な笑みを浮かべた。


 新田は標準語だ。生まれ育ちが関西ではないのかもしれない。黒沢を上回るイケメンで女子には絶大な人気がある。ただ、ぶっきらぼうですぐに手が出る性格なので、人気があるだけで寄ってくる女子はいなかった。みんな遠巻きに見ているだけだ。1年4組なのだが、男子の友人もほとんどいないようで、黒沢以外の人間とつるんでいるところを見たことがなかった。


 珍しいな。黒沢と一緒じゃないぞ。一体、何の用だろう。僕は目の端で逃げ場所を探した。


 「おい」


 日焼けした腕を伸ばすと、僕の肩をガシッとつかんだ。力が強い。


 またビクッと体に力が入る。


 「俺とやろうぜ」


 今にも舌なめずりしそうな…と思っていたら、本当にチラッと舌なめずりした。おぞけが走る。背中を冷たいものが流れた。


 何? 何をやるんでしょうか?


 「えっ。何を?」


 カラカラになった喉から、ようやく言葉が出た。


 「ノックダウンをだよ」


 新田は僕の両肩をつかんで、正面へと回り込んだ。


 くるっと大きな目、小さくて形のいい鼻。そして何より肌がきれい。アイドルみたいなイケメンだ。どこからどう見てもイケメン。男子の僕が見ても少し照れてしまうくらい。だけど、凶悪。男子バスケット部の厄介者だった。手が早くてすぐにけんかを始めるので、先輩たちに「狂犬」と呼ばれている。すぐに追い出されてもおかしくないのだが、背が高くて運動神経もよく、選手としては優秀なので、まだ追い出されていなかった。


 今は、まだ。


 「な、なんで?」


 「なんでもくそも」


 そういうと、僕をポンと軽く突き放した。


 「お前、あんなに強いやんか」


 似合わない関西弁を使っている。


 ああ、そうか。岩出と戦った時、新田はすぐそばで見ていたな。だけど、あれを見て強いと思ったのか? 一発も殴ってないけど…。


 「あのな、城山」


 今度は肩を組む。楽しそうに笑っているが、目つきがギラギラしていて異様だった。少しほおが紅潮して、鼻息が荒い。なんなんだ、こいつ。今にもベロリと舐められそうな勢いだ。


 「俺、あれ見て、しびれた。勃ったわ」


 吐息がかかるくらい近い耳元で、ささやいた。


 は?


 はあ?


 何を言っているんだ、こいつ。変なやつだとは思っていたけど、こんなにヤバいとは知らなかった。


 「お前とガチでやりたい。俺が勝ったら、お前のケツマ◯コをいただく。お前が勝ったら、俺のケツマ◯コをやろう」


 いやいやいやいや


 さらに想像の斜め上をいくヤバさ!


 「え、新田…」


 思わず名前を呼ぶと、新田は実にうれしそうに微笑んで、さらに顔を寄せてきた。


 「名前を呼ばれただけでゾクゾクするわ」


 そう言って、僕のお尻を乱暴にガッとつかむ。


 「うわああああああ!」


 背筋がぞくぞくっとして、思わず変な悲鳴が出てしまった。体を離して、飛び下がる。


 「オウ」


 新田は驚いた顔をして両手を上げると「周りがびっくりするから、デカい声、出すなよ」と言った。


 「お、お前、ホモなのか?」


 「ホモ!」


  大袈裟に顔をしかめると「ゲイだと言ってくれ」と訂正した。何が違うんだ? あとでグーグルで調べてしまった。結論、新田が正しい。


 「いやあ、お前があんなイカすやつだとは知らなかったよ。たまんねえぜ。お前とガチで殴り合って、その後、ガチでハメ合ったら最高だろうなああああ」


 僕がドン引きしているのを知ってか知らずか、あっちを向いて髪をかき上げて、一人で悦に入っている。振り向くと「なあ、いつがいい?」と笑顔で聞いてきた。


 「いつがいい?じゃねえよ! そもそも、やらないし!」


 ムキになって拒否すると、新田は突然、寂しそうな顔をした。


 「お前、俺のことが嫌いなのか?」


 何言っているんだ。結構、僕のことを殴ったり蹴ったりしたよな。当たり前のこと、聞くなよ。頭に血が昇ってくるのを感じる。


 「嫌いに決まってるだろ!」


 「なぜだ!」


 突然、すごい剣幕で凄まれた。さっきまでヘラヘラ笑っていたのに、急に形相が変わって、殴りかかってきそうな勢いだ。ドキッとして気圧される。ちょっと怖い。だけど、引かないぞ。なにしろ、僕の肛門の貞操がかかっているんだ。いつもこんなシチュエーションでは黙り込んでしまうか、逃げ出すかのどちらかだったのに、僕は自分でもびっくりするくらい、真剣に反抗しようとしていた。


 僕たちが大声でやり合い出したので、廊下にいた生徒たちが、ざわめき始めた。


 「黒沢と一緒に、僕をいじめていたじゃないか!」


 新田はハッとした表情をした。見てわかるくらい、怒りがスッと引いていく。


 逆に、僕の方が一気に頭に血が昇ってきた。もう止められそうにない。


 「散々、殴ったり蹴ったりしただろ! マイのことだって、絶対に許さないからな!」


 ええい、もうここで殴り合いになっても仕方がない。僕は本来なら黒沢に言うべき不平不満を、新田にぶちまけた。


 「殴ったやつは『ああ、楽しかった』で済んでいるんだろうけど、やられた方は嫌なんだよ! 殴ったり蹴られたりするのは、マジで嫌なんだ!」


 怒りで声が震える。怖がっているわけではないのに、歯の根が合わずに、唇もわなわなと震えた。脇の下にドッと汗をかくのを感じる。


 なんだ、こいつ。なんで、何も言わない。


 新田は呆けたように目を見開いて足元の廊下を見つめて、しばらく黙っていた。そして「ごめん」と小さな声で言った。


 え? 今、なんて言った?


 「なんて?」


 「ごめん、って」


 新田は顔を上げた。ほおが紅潮している。


 「もしかして嫌なのかなと、ちょっと思っていたけど」


 告白する前の女子みたいに、自分の指先をいじり始めた。なぜ、急にモジモジし始めたのか。意味がわからない。笑ったり怒ったり、情緒が安定しないやつだ。まあ、だからいきなりキレて殴ったり蹴ったりするのだろうけど。


 「もう殴ったり蹴ったりしない。だから、俺とノックダウンでガチファイトしてくれないか? 殴るのは、あそこだけにするから」


 また豹変した。僕の両肩をガシッとつかんで、今度は泣きそうな顔で懇願してくる。


 意味わかんない! なんなんだ。結局、殴るんじゃないか!


 救いの神、チャイムが鳴った。


 「嫌だ!」


 僕は新田を突き放すと、教室に向かって走り出した。背後から「あきらめないからな!」という新田の声が聞こえる。


 いや、あきらめろよ。

 マジであきらめてくれ。

 絶対にやらないから。


 新田はそれからしばらく休み時間になるたびに僕を追い回して、ノックダウンでの対戦を要求してきた。怒って威嚇したり、悲しい顔をして泣き落としにかかったり、ただの乱暴なやつと思っていたけど、そうではなくて、少しイカれていた。だけど、岡山さんに改めて「二度と行くな」と言われていたし、マイが関わっていないのならば、絶対に出るつもりはなかった。


 新田は僕の戦いの何が気に入ったのだろう? そこは少し気になったけど、それを聞いたら戦わざるを得なくなるのではないかという不安があって、聞かなかった。


 追いかけ回されているところを目撃され、僕と新田は仲がいいという噂が生徒の間で回っていると梅野から聞いた。


 冗談じゃない。

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