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第37話 ノックダウンってなんですか

 翌日の朝、学校に行くと、下駄箱にメモ書きが入っていた。突然、上履きの上に小さく折り畳まれた紙片が乗っていたので、びっくりした。左右を見回して、手に取る。広げてみると、ノートの切れ端だった。ボールペンで汚い字が書かれている。


 「来週金曜午後8時、鶴見緑地野外げき場」


 決闘の場所と時間だろうか。それ以外に何も書いていないので、わからない。「劇」が漢字でないのは、なぜだろう。


 なぜ1週間も間隔をあけたのか。黒沢は他人が困ったり苦しんだりしているのを見ているのが好きなので、僕と岩出が決闘までの時間をジリジリしながら過ごしているのを、ゆっくりと見ていたいのだろうか。昨日、岡山さんから伝授された技で、仕留められるだろうか。もし、捕まえられなければどうする? 想定外に岩出が喧嘩上手だったら? 次々に不安が押し寄せてきて、お腹がシクシクと痛くなる。緊張で冷たくなった指先を、無意識にさすっていた。


 教室に入ると、すでに黒沢が来ていて、例によって前の席に郡司がいた。乗り換えたと言っていたな。では、こいつが今の彼女か。


 隣同士で座っているにも関わらず、お互いに無表情でスマホをいじっている。黒沢はたまにフフッと笑っているけど、それはスマホの画面を見て、なのだ。よく見るカップルの光景だが、僕にはこれがわからない。好きな人と一緒にいるのに、スマホをいじっているっておかしくないか?


 岩出は朝はいつもギリギリに教室に飛び込んでくるので、1時間目の前は警戒する必要はない。問題は1時間目が終わった後の休み時間以降だ。いろいろ絡まれてはたまらない。僕は休み時間になると、早々に教室を出た。クラスメイトがあまり来ない、北校舎の廊下に行って時間を潰す。


 「あれ、城山じゃん」


 背後から軽快な声が飛んできた。振り返ると、藤田さんが立っていた。色黒で、くしゃくしゃの天然パーマに目がいく。白い歯を見せてニカッと笑い、両手で小さな段ボール箱を抱えていた。


 藤田さんは、美術部の部長だ。つまり、3年生。4人しかいない部員の一人である。美術部員に見えない。まるでサーファーだ。妙に体格がいいのは、昼休みに体育館のウエートトレーニング室で運動部員にまじってベンチプレスをしているからだった。


 普通、美術部員がそんなところにいれば、野球部とか柔道部とか強豪運動部員に「どけよ」とか言われるようなものなのだが、藤田さんは噂によればベンチプレスで100キロを挙げるらしく、そういう連中も一目置いているらしい。


 「あ、チワス」


 僕は軽く頭を下げて、あいさつした。入学して一応、美術部に籍を置いていた。1学期は空手にハマったり、不登校になったりして全然、部活に行けていなかったが、初めて参加した時に中学時代のスケッチブックを見せると、藤田さんは僕のデッサンをめちゃくちゃほめてくれた。


 「これはすごい! 久々に本格派が来た! もう漫画部とは言わせないぞ!」


 興奮して、特徴のある高い声で一気にまくし立てた。美術部員は僕以外、みんな部活で漫画を描いていた。そりゃ、漫画部と言われても仕方がない。藤田さんはやれば油彩ができるのだが「部費がなくて画材が買えないから」と言う理由で、やっていなかった。


 「みんな、俺たちもちゃんとした美術部員になろう!」


 その場で早速、デッサン大会が始まったのだが、確かに藤田さん以外は、入ったばかりの僕の目から見ても、イマイチだった。


 藤田さんは小さな段ボール箱を抱えていた。僕が見ているのに気づく。


 「あ、これか? これ、画材」


 箱を少し開けて、中身を見せてくれた。油彩の絵の具や、テレピン油の瓶などが入っている。


 「え、部費がないんじゃ……」


 「自腹で買ったんだ。俺も、高校生活で後悔したくないからな。文化祭には間に合わないかもしれないけど、最後にビシッと油絵描いて、部室に寄付するわ。後輩らに『こんなん描けよ』って示すためにな」


 いたずらっぽく、フフッと笑う。


 「重いから、先に部室に持って行くわ」


 先輩たちはもうそろそろ、本格的に受験勉強に入る。運動部は1学期で引退するところも多いけど、美術部は結構、ギリギリまで3年生が活動している。


 「そりゃそうと、お前、大丈夫か?」


 藤田さんは僕に近づくと、顔をのぞき込んで言った。


 「え? 何がですか?」


 なんのことかわからなくて、キョトンとする。


 「あまり大きな声じゃ言えないんだけどな。お前、ノックダウンに出るの?」


 「え、なんですか、それ?」


 全く心当たりのない話だった。


 「ほら、鶴見緑地でやっている、決闘イベントだよ。出るんだろ?」


 えっ。思わず息を飲んだ。僕と岩出がやる決闘って、一対一でこっそりやるようなものなんじゃないのか? 混乱して一瞬、頭が真っ白になる。


 「すみません。決闘はする予定なんすけど、そのノックダウンとかいうのは、全然知らないです」


 馬鹿正直に答えてしまった。


 「知らんのかいな」


 藤田さんは呆れた顔をした。


 「ノックダウンって、この辺りの悪ガキどもがやっているイベントだよ。夜にヤバいやつらが集まって、ブレイ◯ングダウンみたいなことやってんだろ」


 すみません……。ブレイ◯ングダウンがなんなのか、わかりません。あとでググってみた。うわあ、怖い。怖そうな人が集まってやっている、総合格闘技のイベントだった。


 「なんか、今回はみんな見に来いよって、俺の連れの間で話が回ってるんだよ。ちょっとヤバい連れなんだけどな」


 藤田さんは、視線を僕から外して、周囲を確認した。聞かれてはいけない話をしている感じだ。そんなヤバい連れがいるの?


 「ああ…まあ、そうなんスか」


 「で、なんで見に来いなん? 誰か特別なやつが出んの?って聞いたら、城山って1年生が出るっていうからさ。お前、けんかなんか、できんの?」


 目を少し見開いて、呆れたというか、驚いたというか、とにかく意外なものを見たような表情で、僕を見てくる。


 「はあ…ちょっと、空手やってた時期があるもので…」


 藤田さんは僕から少し離れると、胸を張って、納得したようにふうんと言った。まあ、先生には言わんけどな。お前も言うなよ、と釘を刺された。


 教室に戻ると、また岩出が男子生徒に囲まれていた。2学期初日のようなドヤ顔はすっかり消え失せてしまった。あの時は、童貞卒業を自慢げに語っていたのだろう。だけど今は、逆に聞き手に責められて、うろたえているようにみえた。目は泳ぎ、何かを話そうとするたびに、さえぎられている。


 放課後に僕を見つけると、また「城山!」と叫んで追いかけてきたが、走って逃げた。お前と話すことなんて、何もない。

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