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第35話 決闘

 「城山…」


 こんなところで会うと思っていなかったのだろう。黒沢はしばらく瞬きを忘れて、驚いたような顔をしていた。いや、驚いていた。その証拠に「モラシ」と呼んでいない。が、すぐに素に戻ると、目を釣り上げて表情を歪めた。


 「モラシ、お前、さっきの話……聞いとったやろ」


 僕は声も出せず、首を横に振る。怖くて肩に力が入っているのがわかる。黒沢はずいと一歩、近寄って僕の目をのぞき込むと、ドスのきいた声で尋ねた。


 「俺と岩出の話、聞いとったやろ」


 もう一度、首を横に振った。冷や汗がこめかみに浮いてくる。


 「ああ…ヤバい、城山に聞かれた…」


 黒沢の後ろで岩出が悲壮な表情をしている。明らかに動揺して「モラシ」と言わない。背後に隠れるようにして、身を縮こめている。黒沢は振り向いて岩出を見ると、僕に向き直って、楽しい遊びを思いついた子供のように、実に楽しそうにニヤリと笑った。


 「いいこと、考え〜た!」


 僕の両肩にポンと手を置く。


 「おい、お前、岩出と決闘しろよ」


 唐突な申し出に、何を言われたのか、意味がわからなかった。けっとう? けっとうって、あの決闘か? 言葉は頭に入ってこない。


 黒沢は岩出の方を向くと、半笑いで「オモロいやろ?」と言った。


 「2人でけんかせえよ。マイを取り合ってよ。マイが俺を振って岩出とくっついて、それが気に入らへんモラシが、岩出にけんかを売ったという構図や。オモロいやん」


 次第に声が弾んでくる。事実を都合のいいように歪曲して、自分は高みの見物というわけだ。あまりに勝手な言い分だった。そして何より、マイを物のように扱っている口ぶりに、猛烈に腹が立ってきた。


 えっ、でも…と岩出が何か言いかけるのを制して、黒沢は「勝ったらあの動画、消したるわ」と言った。岩出がごくりと唾を飲む音が聞こえる。


 「モラシが勝ったら…」


 黒沢はしばらく斜め上を見て思案してから「お前をしばくの、やめるわ」と、半笑いのままで言った。


 突然、腹の底から、強烈な怒りがわいて来た。


 何を好き勝手なことを言っているんだ。マイの高校生活をめちゃくちゃにしておいて自分は一切、非難されないところに隠れて、トカゲの尻尾切りのようなことをしようとしている。僕が勝っても岩出が勝っても、マイを巡るトラブルはこの3人の間での話で、自分は関係ない顔をするつもりなのか。


 これまで僕は、いじめっ子からずっと逃げてきた。逃げるか、いじめが終わるまで、頭を下げてじっと耐えていた。だけど、今回はそういうわけにはいかなかった。僕だけの話ではないのだ。大事な、僕の大切なマイが傷付けられているのだ。されるがままではダメだ。恐怖で詰まりそうになる喉を必死でこじ開けて、僕は言葉を絞り出した。


 「そ、それだけじゃ、ダメだ」


 思っていたより、小さくて頼りない声だった。


 「ああん?」


 黒沢の表情が歪む。怖い。だけど今、ここで関係をはっきりと絶ってしまわないと、こいつらはいつまでも僕らにつきまとう。


 「僕が勝ったら、今後、僕とマイに一切、関わるな」


 さっきのやりとりを録音してあるんだぞと言っても良かったが、うまく録音できたか自信がなかったし、まだ時期尚早な感じもした。今、スマホを取り上げて水没でもさせられたら、おじゃんだ。これは最後の切り札として、取っておかないといけない。握りしめた手が、緊張でブルブルと震えていた。


 黒沢は少し考えてからフッと笑うと、思った以上にあっさりと「おう、それでええよ」と言った。


 そんなこんなしている間に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、決闘の時間と場所は、後で連絡することになった。黒沢は僕のLINEを知らないはずだが、どうやって連絡するつもりなのだろうか。


   ◇


 下校時刻になり、靴を履き替えていると、岩出が追いかけてきた。


 「おい、城山、ちょっと待てよ」


 焦った声で呼びかけながら、駆け寄ってくる。「モラシ」と呼ばないあたりに、こいつのいやらしさを感じる。


 無視することにした。靴を履くと、走り出す。


 「おい、城山! 待てや!」


 背後からキレ気味の大声がする。思うがままにしていた僕が、予想外の行動に出たので驚き、怒りに火がついたのだろう。だが、無視だ。足を大きく振って走り出す。下校途中の生徒たちが、僕のことを振り返る。電車に乗るのはまずい。追いつかれる。そのまま自宅まで走った。岩出は追いついてこなかった。


 さて、大変なことになった。


 家に帰っては来たものの、とりあえず頭を抱えることしかできなかった。


 けんかをする? 僕が? 岩出と?


 岩出は中学時代は野球部だった。控えの投手なので大した選手ではなかったが、普段から運動をしていて、体が大きい。高校に入ると野球をやめてしまい、放課後は黒沢とダラダラ遊んでいた。それでも、今でもフィジカルの強さはそこそこありそうだった。


 小中通じて僕をいじめていた人間の一人だった。今の黒沢と一緒で、自分の手を汚すタイプではない。背後で噂を流し、いつの間にか孤立させる。嫌がることを言って、メンタルを傷つける。そういうことを平気でやる男だ。


 一方、僕はずっと運動とは無縁だった。中学の体力測定では走るのはもちろん、握力や柔軟性も結果は常に平均以下。最近、格闘技を始めたとはいえ、岩出とけんかをして勝てる気がしなかった。


 どうしよう。


 仮に勝ったとしても、けがをさせてしまったら、何か罪に問われるのではないのか。不安になってスマホで検索したら、16歳は普通に逮捕されると書いてあった。これは専門家に相談するしかない。僕は荷物をまとめると、ネバギバへと向かった。

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