岩出は休み時間のたびに大勢の男子生徒に囲まれて、何やらドヤ顔で話していた。こっちに来るのではないか、何か言われるのではないかとヒヤヒヤして、休み時間のたびに教室を飛び出して時間を潰した。
ああ、なんだか気が休まる暇がない。
4時間目が終わると昼休みだ。長い自由時間を、どうやって誰にも会わずに過ごすか。それを考えていると、またお腹が痛くなってきて、北校舎1階のトイレに駆け込んだ。
どうしたらいいのだろう。
なんとなくだけど、マイが自殺未遂した理由を知ってしまった。だけど、どうする?
どうしようもない。
用は済ませたが、便座から立ち上がれず、頭を抱えた。全てお腹から出たはずなのに、まだ何かが下腹部にたまっている感じがする。と、その時、個室の窓のすぐそばに誰かが来た気配があった。ドタドタと荒っぽい足音がする。一人ではない。複数だ。
「どういうつもりやねん」
個室の窓のすぐ外で、話しているようだ。窓はすりガラスなので姿は見えないが、その声は間違いなく黒沢だった。
「え、どういうつもりって…」
ドスッ。肉と肉のぶつかる音がする。聞き慣れた、腹を殴った音だ。
「ぐえっ」
「お前、なめとんのか。どういうつもりでマイとやったことを言いふらしてるねん」
必死で声を低く抑えているが、窓越しでもわかった。黒沢と、相手は岩出のようだ。そして、黒沢はめちゃくちゃ怒っている。
「いや、だって、ヨシキくんだってノリノリやったやんか」
岩出はハアハアと息を荒げながら、こちも声をひそめて言い返した。すぐに黒沢の怒りに満ちた声が返ってくる。いつもより早口だ。
「お前、マイは一応、俺の彼女ってことになっとるんやぞ。黒沢の彼女が他の男、しかも舎弟とやったとかいう話が出回ってみろ。みんなどう思う? 俺はそんなアバズレを連れ回しとるんかとなるやないか」
ドスッ。もう一発。
「殴らんといて」
ハアハアと荒い息遣いが聞こえる。
「はあ? 何言うてんねん。殴られて当然のことしとるって、わからんの?」
「ヨシキくんが先に3Pしようって言い出したんやんか」
ああ、そういう事情だったのか。ここまで聞いていて、ハッとした。そうだ。録音してやろう。証拠を残すんだ。震える手で、ポケットからスマホを取り出す。息をひそめる。バレたらおしまいだとか、うまく録音できるだろうかとか、渦巻く不安を必死で抑えながらボイスメモを起動して、窓際に置いた。
「なんやねん、俺のせいなんか」
少し声のトーンが上がる。ドスッ、ドスッ。続けざまに殴る音。自分が殴られているわけではないのに、思わずビクッとする。道場で黒沢から食らったボディーブローを思い出して、胃が迫り上がってくる。
黒沢は顔を殴らない。傷がつけば、殴ったことがわかるからだ。
「ヨシキくんだって、楽しそうにしとったやんか」
ぐすっ、ぐすっとと声がする。岩出は半泣きだ。
「ボケか。あの時は酒も入っとったし、勢いでやっただけじゃ」
ドスのきいた声だった。そしてまた、ドスッ、ドスッ。
岩出がウッウッとすすり泣く声が聞こえる。
「お前、あの時のレイプ動画、LINEで流したろか。ほんで、マイにお前にレイプされましたって訴えさせたるわ」
「えっ」
岩出が絶句する。というか、そんな動画があるのか。
「え…。レイプって、どういうこと? そんなこと、してへんやん。ヨシキくんが、やれっていうたんやんか」
「なんや、また俺のせいか」
「いや…そういうわけやないけど」
岩出の声が震えている。
「確かに、お前がビンビンになって登場した時は、ほんまに笑けたけど。マイはマジで嫌がっとったしな。あれ、知らん人が見たら、ただのレイプ動画やで」
「いや、だから、そんなん流されたら、俺、終わりやんか!」
岩出は思わず大きな声を出した。黒沢がフンと鼻を鳴らす音がする。口の端を引き上げた、いつもの冷笑が目に浮かぶ。
「お前がうれしがって、ペラペラしゃべるからやないか。おかげでヨシキ・クロサワのブランドはガタ落ちや。舎弟に股開く女と付き合っとったってな。女見る目、ないわって。今頃、みんな俺のこと、そう思うてる」
追い詰められていく岩出に対して、黒沢は冷静…いや、冷酷だった。
「そんなことないって。大体、もうマイから郡司に乗り換えとるやんか」
岩出はもう陥落寸前だ。しどろもどろで、防戦一方だった。
「そうやな…。よし、動画を流して、マイはお前と浮気したことにしよ。で、俺は振られた、かわいそうな男子ということでOK。それなら辻褄が合うやろ。マイはお前が好きなようにせえや」
「そんな辻褄、おかしいって!」
岩出はまた声を上げた。
「マイの後始末、頼んだぞ。自分のケツくらい、自分で拭けや」
「待て、待って!」
立ち去ろうとした黒沢を、岩出が引き留めているようだ。
「あの動画流されたら、ヤバいって。レイプ動画みたいやし、俺、退学になってまうやん。それにマイの後始末って、どういうこと? あいつ、俺の顔なんか見たくもないはずやで。終わった後、めっちゃ怒っとったやんか」
「そうか? 意外に気持ちよさそうにしてたし、お前のこと好きなんとちゃうか?」
黒沢は、嘲笑っているようだった。声のトーンが軽い。
「いやいや、どっちにしろ、流されたらヤバいって!」
足音がする。移動を始めたようだ。
「待って、待ってえや、ヨシキくん!」
「うっさいな。トイレや!」
なっ
恐怖で髪の毛がゾワッと逆立つ感じがした。ヤバい! こっちに来る。聞き耳を立てていたのが、バレるんじゃないか。
僕はあたふたとスマホを仕舞って手早く身支度を整えると、手も洗わずにトイレから出ようとした。ドアのところで、バッタリと黒沢と会った。思わず息が止まる。背後から岩出がくっついて来ていた。